2016年4月26日(火)朝5時スカルノハッタ空港を定刻にLion Air JT690便はTake Off。満席で3時間の飛行中ミネラルウオーターも出ない格安飛行機。途中スラバヤにOne Stop、何とスラバヤからSiantoくん夫妻が同じ飛行機に乗ってきた。「スラバヤで10日間木彫りやイカットを売っていた、Timindigoが来るから帰るところ」との由。Kupang空港からはSianto君の運転するTOYOTAにて市内のSianto邸に直行。
コケコッコが走り回っているかと思いきや、かなりましなお宅でした。自分のことを「Raja」(ネシア語で王様)と言ってているけど意外とそうかも!?お宅では私にイカットやら木彫りやらを見せて、いかにも買って欲しそうでしたがまだ旅が始まったばかりなので一切コメントせず。但し、これには心を動かされそうになりました。
これカメの化石、Timorは海底が短期間に隆起した島なのでこんなものがあるらしい。大小二つありました。
Sianto家にてお昼をご馳走になり、「今は暑いから涼しくなってから出発」と言われてお昼寝もして午後3時に出発。息子のDionも乗り込み運転手は二人なので何となく安心。
二時間くらいで大きな街Soeに着く予定、道は東ティモールに続く幹線道路で良く舗装されており交通量も多くなく快適。Soeには着いた処でSianto君が「このまま、まっすぐ自分の実家のKapanに行く、すぐ近くだから後でSoeに戻れる」という言葉を信じた。KapanまではSoeから山道を走り一時間弱、着いたら夜6時で暗くなり始めてる。Siantoが「暗い道は走れないから今晩は俺の家に泊まれ!」と言い出す。およよよよ、民泊なんてかみさんが承知しない。
だからあれほどSoeのホテルを予約しろとSiantoに言ったのに、最初から自分の家に泊まるつもりだったんだ、やられました。奥さん申し訳ないがお願いします。他に選択肢なし。
Sianto君のお母さまはおん歳82歳、ご主人はすでになくなっておりお子さんは6人、Sianto君は三番目だがすでに上二人が亡くなっており今は実質的に長男。このお母さまのお父さん(Sianto君のおじいちゃん)は中国福建省からの移民でTimor人の娘と結婚したそうです。どうりでお母さんは色が白く中国人そのものでした。これ親子です。
こちらSianto君の息子やら兄弟やら甥っ子やらです。中国の血とTimor系の血が混ざっているのがよくわかります。中国人のおじいさんの名前はKinさんだそうです。Sianto君も中国の名前を持っていたけれど、漢字はわからないとの事。ちなみにSianto君が自分のことを王様と言っているのは中国名のKinすなわちKingに由来していること判明、多分中国名の「金」だと思います。
お母さんが10歳弱の頃、このKapan村にも日本の軍人がたくさん居たとの事、お母さんから「日本語を一つ知っている、だけど意味はわからない」と言って口にしたのが「Kola Kola」。すなわちコラ、コラ。やばいと思って意味は言わずに「ごめんね」と謝っておきました。
こちら毎朝卵を産んでくれるコケコッコ、暗いうちから犬と鳥の合唱でよく眠れず、エアコンはなかったけれど高地なので暑いとは思わなかった、蚊取り線香を部屋で焚いたから寝ている間は刺されなかったけれど、家内が少し刺されてた。シャワーは汲み置きの桶から体に水をかけるインドネシアのカンポンスタイル。でもSainto君が気を使って熱いお湯を沸かしてくれた。
これキッチン、意外と清潔かな、やはり中国人の血が入っているせいかな。(真ん中は家内)
こちらお母さんの手料理、Timorの人はご主人しかお客と一緒に食事をしないのかもしれない、いつもSianto君と我々二人で食事でした。
追記
これシアント君のおじさんが自慢していたサンダルウッド(白壇)、香木です。昔オランダ人がこの香木をほとんどすべて持ち出し、今残っているのはわずかの由、貴重品ですね。
さて、次回はいよいよIkatの村を目指します。






