BetunのWisma Victoryは朝食の清潔に頂くことができ、ぎりぎりWestern Standardをクリアー。ここでたまたま居合わせたSianto君の金持ちの弟夫妻ともお別れし七時半に出発。車に乗る前からSianto君が「右の耳が聞こえない、なんでだあ?」と言い出す。からもほとんど私と同じ年だし、疲労で耳が聞こえないのかもしれない。不安・・・・・!ホテルを出てから10分ほどで海沿いの幹線道路からBelu県のLocal Roadに入る。道は昨日と同じで所謂Twisted Road。
激しく揺れて腰と首がおかしくなりそうになりながら二時間でBoas村に到着。ここでSianto君が昔から知っているおじさんと連絡を取りIkatを集めてくれと電話で依頼。このおじさんがやっている食堂にてIkatが集まるのを待つ。最初にもってこられたのはものすごく古くてよごれている布でがっかりしていると、探していたIkatにほどこされている刺繍と同様な刺繍のあるIkatをおばちゃんが持ってきた。結構、感動!残念なことに未完成品が二点でしたが、探していたものに近いので二点とも買いました。
左から二番目がSianto君のお友達のIkatの仲介者的な人「二日くれればもっとたくさんIkatを集めてあげられる」とおっしゃってました。
この店を車ででてすぐの家にSianto君が入って行って、Ikatはいいものがありませんでしたが他のものを発見。Ikatを売りにきたおばちゃんがしていたブレスレットに興味をもち、舐めたりして「このブレス、間違いなく純銀だ、おれも一つ買うからおまえも一つ買った方が良い」とすすめるので奥さんを呼んでサイズをチェック。最初小さくて腕に入らなかったら、おばちゃんはbraceletを舐めて家内の腕にはめようとする、さすがにちょっと勘弁でしたが、購入しました。
このブレスはこの村で作られたのですが、なぜこの村に銀があったのでしょうか?その答えは長いオランダの統治時代にオランダ人が持ち込んだオランダ銀貨をブレスに鋳込んだのでした。こんなところにも歴史があるのです。
ここからいよいよ目指すMandeu村に向かう。途中、下校途中の中学生の一団に出会う。この日木曜日はこの地方では学校でイベントがある日、この子達がなんとも美しいIkatのサロンを身に着けていた!これこそ私の探していたこの地方のIkatそのものです!
この右側の女の子、なんと裸足です。この美しいIkatは孫か娘のために丹精込めて作られたに違いありません。まさしくIkatは晴れ着なのです、愛する子供やご主人のために半年とか一年かけて作るのです。それも場合によっては綿花から糸を紡いで作るのです。家族愛のかたまりです。
やっぱりTimorにIkatを訪ねてきたよかった。
Mandeu村に着くと、さきほどBoas村で行き会った男性がバスで先に帰ってIkatをもって待っていてくれました。
この繊細な模様のIkatを購入、右から二番目の方のおばあちゃんが作ったものとの事。
ほかにも私のもっている前出のIkatに良く似たものもありました。
いずれにしてもこの一帯が私の好きなIkatが織られいる場所です、次回はもっと余裕をもって来たいです。
さてお腹も空いてしまったので先を急ぎHalilulik村を過ぎたあたりの村で昼食、綺麗なブギス人のお母さんのやっている食糧品屋さんでお湯を分けてもらいインドネシア産のカップ麺を頂きました。このお母さん本当に品が良くて素敵でした。
二時半頃にMaubesi村のArt Shopに寄る、事前に頼んでおくと民族舞踊を見られるそうです。
このIkatはお値段が高いので買いませんでした、Siantoくんによると「作った人が値段をきめてこの店にIkatをおかせてもらっている。だから値段はFixed Price」だそうです。
ところでSianto君の耳の状態が悪いようで「俺はKupangに今晩帰る、心配するな、俺のおじさんがSoeで大きなホテルをやっているからそこに泊めてもらえる。明日はBoti村に行けば良い、そのための4WDとガイドはおじさんが手配してくれる。」だって。がーーーーん、出ましたドタキャン。この無責任さは何なんだろうか。ここまできて我々をほっぽりだすのかい!?ええい、知るかあ。ということでSOEのホテルに無理やりに部屋をとってもらいました。でもガイドブックにも載っているSOEではベストのホテルでした。良かった。
Gajamada Hotelです。エアコンも熱いシャワーもあります、ドアや窓は隙間だらけだけれどSoeは高地なので蚊に悩まされることはありませんでした。残念ながらSianto君は我々をおじさんに引き渡した後Kupangに向けとんずらしてしまいました。
明日は4WDでしか行けない最後のRaja(王様)がいるBoti村です。









