昭和39年の松山駅
松山駅、昭和39年に建てられた映像がテレビで流されてました。
松山駅って、そんなに古くないんですね。そうしたら、うちの今治駅なんて、もっと新しいはず。
そんな中で、私が幼い頃、よく、父親があちこち連れ出してくれました。島からフェリーで。
今治駅から、松山駅へ、今治駅から、西条駅へ。当時は、煙もうもうの汽車でしたよっ❕
特に、父親の兄が住んでる西条市にある家まで、汽車で行った記憶があり、煙がもくもくで、母親が窓を閉めなさい❗って言ってたのを覚えてます。
当時の駅は広くて、改札も駅員さんがいて、パチパチ切符を切ってました。
叔父の家は山奥なんで、バスで行かなきゃ行けないはずなんですが、そこは記憶にありません。
着いたら、栗の木に栗が成ってて、落ちた栗のいがを、叔父が長靴で踏んで、いがを開けて、中の栗を出してました。
ほれ、こうやって取るんじゃい、って。優しい叔父でした。叔父って言っても、当時でも、かなりな高齢者だったんで、田舎のおじいちゃんですね。
うちの父親は、私の60歳違い、叔父が父親より10歳以上は上でした。
うちの父親と一番仲良しだったらしいです。
多分、明治20年代生まれかと。厳しい時代に生まれたのに、私たち子供には優しくて。うちの父親と火鉢を囲んで、何を話すでもなく、あ〜、じゃな〜、ほうか〜、みたいな。
焚き火で焼いてくれた栗が弾けてビックリしましたが、叔父が半分に割ってくれて、中身をパクッて食べたのが、なんとも。
私は、当時はまだ9歳くらいだったとは思いますが、それがすごく鮮明に残ってます。
松山駅って、私と同じくらいなんですよね。個人的には、今治駅の方が記憶に残ってますが、今治駅、新しくなってしまい、昔の駅は跡形もないんですよね〜😖⤵️木造の広い今治駅。松山駅ほどではなかったですが、今治駅を終点とする車両もあり、線路がいっぱい❗広いな〜って思いました。
今は高架になってますので、線路がいっぱいってのはないです。
車両点検は松山駅なんでしょうね。今は、本数も減り、お客さんも減りましたからね。