亡くなった姉のこと | きっと来る

亡くなった姉のこと

姉とは20歳離れてます。

なので、直径の姉ではないのですが、私が生まれたときからずっと私の側にいて、弱かった私に色々助けてくれてました。

例えば、ワガママ病の自家中毒で、生クリームやチョコレート類が食べられない私に、以前は子供たちのお土産にショートケーキやチョコレートケーキを持ってきていたのが、私がショートケーキの苺やミカンしか食べないのをみて、いつの頃からか、こちらの地域では有名なポエムというお菓子店の、カスタードクリームとバニラビーンズがふんだんに入ったシュークリームを買ってくるようになりました。

カスタードクリームを食べたこと無かった私ですが、シュークリームの生地となめらかで甘さ控えめなカスタードがマッチして、やっとお菓子を食べられるように❗

それまで、洋菓子が食べられず、おやつは、父親が食べていた大潮のさきいかでした~😓笑

それからは、お菓子は、ポエムのシュークリームか、さきいか。

そして、私の食べず嫌いを直そうと、台所に一緒に立ち、ピーマンの講釈を❗ピーマンは、苦いけど、食べたら栄養満点💯、やから、ちゃみちゃん、食べてみ~⤴️って。それで、恐る恐る食べたら、旨い❗、、、までは行かなかったけど、食べられる。。。ピーマンって、案外旨いな、って。

あと、お餅が苦手だったのですが、姉が、私が5歳を迎える歳のお正月に、ちゃみちゃん、歳の数だけお餅を食べると五歳になれるんよ~⤴️と言われて、そうなん❔って思いながら、一緒につきたてのお餅を丸めてきな粉をまぶしながら、私専用のお皿に小さく丸めたお餅を5個、姉が盛ってくれました。まだ、あんこが食べられず無理だったので、きな粉餅のみで。

で、頑張って、きな粉餅をました❗

ピンポン玉くらいのお餅なんで、食べられるわけですが、お餅が嫌いな私には、かなりな挑戦でしたが、食べられました✨


あれから、かなりの年月が経ちましたが、私の好き嫌いは、ほぼ無くなりました。牛乳だけは今でも無理ですが😅


姉は、一昨年病で亡くなりました。亡くなる直前まで、忙しくあれこれお世話を焼いていたようです。私にも色々お世話してくれて、5年前に関西から久々に戻ってきた私に、住む場所を提供してくれました。まあ、元々姉が住んでた家が、10年ほど放置されていた場所ですが、お掃除して、電気やガスを開設して、住めるようにしてくれたわけです。


私は、姉から怒られたことが1度もありません。私が鬱陶しいことをしても嫌がらず笑ってました。

でも、周りでは、姉のことを嫌に言う人がたくさんいました。

影では色々あったのかもしれません。

でも、私が生まれてから、ずっと、、、血の繋がりが半分しかない姉は、私がやることなすこと、全部受け入れて、私を叱ることもなく、笑顔で支えてくれてました。

私的には、時折、反発することもあり、納得できませんでした。批判することもありました。そのときは、姉は、、、ちょっと困った風な言い方でしたが、私に反することもなく、また来週行くけん、何かいる❔って聞いてくるわけで。

私が、いらんよ、って言っても、次来たときには、お米やお菓子、お餅、乾麺などを持ってきてくれてました。


姉が亡くなる数週間前に、1度お見舞いに行ったとき、投薬のせいで、私が認識出来なくて、わざわざ来てくださりありがとうございました、と言われて。。。悲しかったのを覚えてます。それが最後でした。


私の亡き母親は、姉にはいい印象は持ってなかったみたいですが、私には、すごく良くしてくれた良きお姉ちゃんです~👍