自分を見失うということ | 双極性障害

双極性障害

双極性障害と診断されて

双極性障害の躁状態も鬱状態も、自分を見失ってると思います。





どちらの状態でも、あとあと考えると全くおかしいと思えるようなことを、その時は真剣に考えているのです。





自分は偉い、天才だ。
自分は罪深い、死ぬべきだ。




両極端の考えが頭をめぐります。





ここから自分の理解ですが、




その時その時の考えがコロコロ変わるのが、"性格なのか病気なのかの線引き"は、




社会でやっていけているなら、性格(発達障害または軽躁状態または2型)

社会をドロップアウトしたら、病気(躁状態または1型)




となるでしょう。
もし、自分が医師なら大枠の基準はこうします。




もし将来、脳内の動きが解明され、この性格・個性が数値として見えるようになったとしても、自分が医師なら、社会でやっていけるかどうかの基準も残し包括的に判断するでしょう。





さて、本題の"我を忘れる"に戻りますが、私は感情が豊か過ぎて、所"我を忘れる"状態になることが多いです。





これは双極性障害と診断される前もありました。





興奮し易い。涙もろい。よく笑う。などなどが、他の人に比べて大きいのです。




こんな性格を友人は、動物で羨ましいと言った事もありました。
先輩は"感受性"という言葉で表現していました。
内科医はホルモンですぎと言っていました。




いずれも納得できる話です。





動物的で感受性が強くホルモン異常があるからか、後になって、昔の考えと真逆の考えになったりします。





これを、振り返って考えると"自分を見失っていた"と呼ぶ気がします。





言い訳がましいですが、毎回自分を見失って、ぶれないことが出来ない脳である。というのが自分なりの理解です。





上に書いたことも数日後には変わっているかもしれませんが。。。