「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ!・・・飛んだ決まった!見事なジャンプ!」北出清五郎さんの名実況が脳裏に焼き付いている。

 冬季オリンピックで日本人初の金メダル獲得の偉業は褪せることなく語り継がれていくでしょう。

 1972年は小学校6年、スキージャンプをテレビで初めて目にし、こんなカッコよく美しい競技があるんだと憧れた。

 学校では、笠谷さんの世界一美しい着地(テレマーク姿勢)を真似するのが流行り、みんな両手を広げて何度もやってた。

 70m級(宮の森)で笠谷さんが金、金野さんが銀、青地さんが銅、日の丸飛行隊がメダルを独占したことが今でも話題になるけど、その後大倉山で行われた90m級の悔しさの方が記憶に残ってる。

 その年の1月15日に曽祖母が亡くなり、90m級が行われた2月11日はその法事が自宅で行われ、親戚の皆さんが法要の合間にテレビで90m級を見ていた。

 1本目に笠谷さんが2位につけ、90m級でも金メダル獲得と期待をかけていた。ところが2本目は不運な突風にあおられ失敗し7位に終った。



 70m級では金メダルを獲ったけど、笠谷さんはこの90m級の失敗をその後もずっと引きずっていたんではないかと、勝手に思っていた。

 どんなに努力しても、物事は全て上手くいくわけではなく思う様にはいかない、失敗もあることも受け入れなければならないって、12才だった自分が漸く感じた。

 次の1976年冬季オリンピック(インスブルック)にも、笠谷さんは日本のトップ選手として32才で出場されたけど、全盛期はもう過ぎ思うような結果は得られなかった。

 高校1年でその姿をテレビで見ていて、なぜか札幌オリンピック90m級の悔しさが再び込み上げてきた。

 後に笠谷さんは「ジャンプは好きだけど、オリンピックは嫌いだ」と述べている。

 70m級では満足いく結果を残したけど、やっぱ90m級の失敗をずっと悔やみ、次への原動力として引退までがんばったんじゃないかな〜。

 スキージャンプの大ファンになって52年、すべては笠谷さんから始まってる。

 一度は大倉山に行ってみたいな〜。

 笠谷さん、安らかにお休みください。



 


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