紀の川の茜屋流鮎師・小西島二郎氏の言葉です。
「(小西さんのご自身の性格はどうですか。)いや、短気じゃないですよ。漁根といって、漁は根ですよ、やっぱり。根がなかったら、漁にならんです。そのうえで、ある程度の見切りというものもつけないかん。見切りをようつけんようなことで根を入れても、これはだめや。ある程度、見切って根をつめないかん。たとえば、ここだと思う場所で一時間待つとして、これで鮎になるかならんかという見切りをつけないかん。それで、漁になると思ったら一時間のつもりが二時間でも待つ。この鮎の跳ね方やったら必ずくるという自信が持てたら、待つべきです。それには、根がなきゃあかん。ここまで待ってもこんから、もうやめてほかへ変わろかというた後になってくるようなことになるわけです、鮎というのは、そういう意地の悪いもんですよ、漁というのはね。ほやよってに、これは辛抱しきれんなと思っても、いま少しは待つべきで、その根気がなかったら、漁にならんということです。ただ、なんぼ待ってもこんところで待っても、それはむだなことで、、そこを見切るのが大事ですよ。これはなかなか素人にできんよってに、そういうところにも漁の上手、下手というのがあるわけです。」
漁、言い換えれば鮎の友釣りの神髄をついている言葉だと思います。粘るか移動か、それが問題だ! To stay or to move, that is a question. なんてね。
