今回はネット記事にも、「自分を虐めた人を呪いで殺した」 とか実際に書いてあるというお話になります。
人は何かが遭った事である日学校とかに行かなくなり引きこもりになる。
テレビニュースや新聞とかにも、自宅で20年も引きこもりをしているバカ息子を何とかしようとして父親が殺害してしまった事件とか、逆に息子の方が父親とかを殺害してしまった事件がある。
あるいは、学校で虐めとかに遭いその事で悩んでいたりして、ある日虐めっこをナイフでめった刺しにしてしまった中学生とかの事件のニュースもある。
虐めとかに遭い抗う事ができないという人もいるわけで、ある日自殺してしまうニュースとか9月とかに増えるとかあるじゃないですか。
虐めっこが強すぎて、抗うのは怖いとかあると思う。
2019年元農水事務次官長男殺害事件を見ても、裁判では有名私立中学に合格後に子供がおかしくなっていったという事がわかっている。
ただ人付き合いが苦手だったりした事で虐めに遭い、それで家庭内暴力へとなったみたい。
官僚のトップまで上り詰めたというお父さんの事は尊敬もしていた。
でも、学校で虐めに遭ったのであれば、さっさと公立の中学校に転向するとかできたと思うのですが、履歴書とかに中学校から書いたりするので、その辺が上手く対処できなかったのかもしれない。
外では立派なお父さんと見られて、家に帰るとバカ息子が暴れるとかの人に言えない環境となるというのは、もう子供がお父さんを虐めているようなものではないかなあ~ と思う。
自分が働いたりして収入もあったりする事で、何とか耐えていたりする。
でも、定年となり静かに老後の生活を送りたいと思っても、子供が年老いた親に暴力をふるい、それに耐え、「よそさまに迷惑だけは掛けないようにしないといけない。 これは親のせいでもあるので」 耐え続け、でも次第に年を取るごとに弱っていく面もあるので、最後は自分がやれるうちに長男を殺害してしまう。
長男はアスペルガー症候群だったそうです。
世の中には、小学生のテストで100点とか簡単に取る子は少なくない。
アスペルガー症候群だと見たものを写真のように鮮明に記憶できるそうです。
例えば、私三之橋が大人になってどこかの上場企業で働くと社内失業者という、、どこかの凄い難関国立大学を卒業している勉強はできるのに仕事はできない人がいて、朝から晩まで仕事がないと言うと、「冗談ですよね?」 と言う人がいる。
元農水事務次官長男殺害事件でも裁判の話とかをネットで詠んで見ればわかると思うのですが、学校のテストで高得点を取れる人が大人になってそれが役立たないとかわかったりする事例は少なくない。
年齢で言えば6歳くらいから22歳とかの学生時代に記憶力はあった方が良いと思うのですが、その後の人生では対して役立たないじゃないですか。
学校の成績が良かったりする事で、「私の子供は発達障害じゃないみたいで良かった」 と思ったりする事でよりアスペルガー症候群とかの発見が遅れる。
まあどんな親であったとしても、我が子というのは大学を卒業したりして新社会人になって会社員1年生になった時とかに、自立できるとかが初めてわかる世界なのだと思う。
そんな感じなので、もしも我が子が残念な人だった時にショックは相当大きいと思うのです。
例えば、お父さんが40歳で会社で働いていてそこそこ出世していると、自分の子供が引きこもりになったとしても、まだ働いて収入があるので、「そのうちなんとかなるだろう」 とか問題を直視しないまま放置してしまう。
会社の飲み会とかでお酒を飲み、「部長のお子さんはどうですか?」 とか訊かれた時にいつも嘘を言うのだと思うので、演者として仮の人生を演じ続けるのでボディブローのようなダメージは蓄積すると思う。
私三之橋の場合も、虐めっ子というか頭のおかしな人に級長にさせられていた。
友達が引きこもりの子とかしかいなかったりするので、引きこもりの子の家に行くと、「えっ、三之橋君で級長をしているの~~~~」 とか驚かれる。
引きこもりの子の家のお母さんはなぜか襟章とか見るので、同じように、「あの子は学校に毎日通っていて級長なのか」 とそういう子が子供の友達であると希望の光に見えるっぽい。
バスとかに乗っている時とかにOL姉さんとかに、「ねえあの子あの学校の襟章を着けていてしかも級長と書いてあるので賢いんじゃない?」 とか話しているとかあって、「どうも」 と会釈したりしないといけない。
何だか自分がヤフーオークションで買ったどこかの企業の襟章でも着けてエリートな人を装っているような、人を欺いているかのような人に見えてしまうので、イミテーションな人生は嫌だったりする。
『実は学校の同じクラスに頭のおかしな人がいて、その人に虐められて級長をさせられていまして』 と言えれば楽だと思うのですが、言えないじゃないですか。
例えば学園祭があって女子高生が来ていたりして、「ねえ級長さん、学校を案内して」 とカワイイ子に言われた時に普通に、『嫌です』 と言うと思うのですが、そこに、『実は僕は頭のおかしな人に虐められて級長をさせられているだけなので』 とか言いたくないじゃないですか。
そうすると、『ええ、まあね』 みたいなちょっと自慢でもしておくようにしないといけなくなる。
そんな感じだったので、引きこもりの子のお父さんとかは会社とかで演じているというしんどさはあると思うのです。
例えば、私三之橋の場合は小学生1年生とか2年生の時に小学校のテストで8点とか12点とかだった。
同じクラスの子と遊ぶ時に、「三之橋君って意外とバカだったので安心した」 とか言われる。
福岡は日本国内でバスの台数とかが1番多いとかそんな感じなので、幼稚園生の頃から一緒に幼稚園にバディ・システムで通う友達のお父さんが西鉄バスの運転手さんで社宅に住んでいるとか意外と少なくなかった。
小学生1年生の時学校が終わって同じクラスの子と一緒に帰ったり、その子の家に遊びに行くのですが、西鉄バスの3階建ての鉄筋の団地みたいなところに住んでいたりして、あちこちに点在していたりした。
その子のお母さんとかにも、「三之橋君は意外とバカちんね」 とか言われてなぜか歓迎をされる。
人生は出世するとかそういうのが1番ではないと考えている感じの家が多かった。
高校生の頃には引きこもりの子ばかりというグループで日曜日とかに公開される話題の映画を観る為に映画館で並んでいたりするのですが、なぜか毎日学校に通っていたりする変わっている子という感じだったのに仲間に入れてもらえた。
意外に思われる人もいるのですが、私三之橋は1度もダツラクした事がないので意外にも毎日学校に朝遅刻せずに通って勝手に早退する事もなく普通に定時に帰るとかしていた。
「引きこもりって頭が悪いんじゃないの?」 と思い込んでいる人とかいるのですが、当時普通の人は持っていないようなデスクトップPCとかが100万円みたいな感じで、本棚にはズラ~っとコンピュータゲームのソフトとかがたくさん並んでいた。
普通の高校生だとPCとか持っていないのでそもそもコンピュータゲームとかしていないというか、操作もできない。
でも、引きこもりの子の家の部屋には50万円はするようなミニコンポが置いてあるとか、普通の人のお父さんの車より高額なオモチャで溢れていた。
流行りの事に詳しくて、でも社会に適応できない。
人の好き嫌いが激しいので、そんなグループに入るのもどこか難易度が高いような感じ。
「引きこもりのグループに入っているなんて恰好悪いでしょ?」 みたいに思う人もいると思うのですが、イメージのようなものでバカにしたりしていて、でも現実としてその子が叩くキーボードのキーの入力のスピードにも負けてしまう、というのがあったりすると思う。
社会に適応できずに残念な人というレッテルを貼られてしまっていても、実際にはどこが残念でどこが優れているとかは一緒に過ごしてみないとわからない。
テレビを見すぎてしまうと学歴の凄い人が、良いみたいな風潮になると思うのですが、そういうものでなくて自分で一緒に過ごして、映画館に行って映画を観るとかしたりした時にその引きこもりの子の良さとか悪さとかを知るみたいな学習みたいなもの。
恰好が悪くても良い。
普段学校でちょっとテストで良い点が取れて、「俺は級長さまなんだ」 みたいにもう人生勝ち組みたいに思い込んでいる達は見ているのでわざわざ学校以外で同じ人を見ても何も得るものはない気がする。
経験というものは、普段学校でテストの点がどうとか気にしている人と過ごすと、放課後は違う種類の人と過ごした方がより経験が広がるのかもしれない。
そんな感じで取り繕う人生ではないというのが自分の流儀みたいなものだったりする。
そういう人の視点では、我が子が引きこもりになって何とかしないといけないと思って抜け出せない人生というのは、その苦労はきっとわからない。
例えば、中学生から高校生になったとか、高校生から大学生になったとか、大学生から会社員になったとか、それまでの環境が変わった時に環境に上手く順応できずに躓くという事はある。
環境が変わると先行きが見えないような感じになるので、「もしも失敗したどうしよう?」 みたいな不安は誰にでもあるかなあ~ と思う。
それで、失敗しないようにという風にやる人は少なくない。
でも、すでに友達が躓いて引きこもりとかになっていると、一緒に映画館に行って映画を観るとかしたり遊んだりしていると、『もしも自分が躓いたらどうなるのだろうか? 引きこもりになった時に友達ができるかな?』 とか考えないじゃないですか。
想像してみてください。
あなたは中学生から高校生になり、同じクラスに頭のおかしな人がいて目を着けられて虐められる事になりました。
そんな場合、どうします?
私三之橋であれば、それは自分に問題があるというより場所に問題がある事で発生していると考えるので、『こんな学校は辞めてしまいさっさと転校するか』 という風に考える。
そもそものきっかけは何なのか?
説明するのが難しいのですが、同じクラスに難病みたいな子がいて、大人になるまで生きる事ができないらしくて、誰かがその情報を仕入れてからかっていた。
というか、虐めていた。
「高校を卒業するまで生きていられないのに、勉強しているのか?」 とか囲んでメチャ楽しそうに目が笑っていた。
”おい、三之橋お前もやれよ”
みたいな空気感だったので、”僕は結構です” と参加しなかった。
教室で同じクラスに子を何人かのろくでもなしが囲み、からかっているという一線は通り超して、まるで自殺を仕向けているような虐めにしか見えなかった。
『もしも、その残酷に見える虐めに参加しなかったら、自分が虐められる側になる。 ”あいつ生意気じゃん” となるのかも』 という雰囲気に飲まれるような不安は無きにしも非ずという感じ。
でも、それってどっちを選択しても結果は地獄だったりする。
参考資料:『強くて簡単な「呪いのかけ方」・完全マニュアル』だけは絶対に使ってはいけない
上記のブログ記事にもう大人なのに中学生の頃に虐めていた子を呪い殺しちゃったとか書いてある。
インターネットのない時代に、本屋さんが近所にあり立ち読みした本に同じような事が書いてあり、中学生の頃に虐められた人がいて卒業して大人になった数年後とかに同窓会を企画して会場の食品に毒を入れて全員殺そうした事件とかも書いてあった。
本人は、「軽い気持ちでやった」 とか覚えていなかったりするのに対して、虐められた人は将来認知症になるとしてもその直前くらいまでは覚えていたりする。
例えば、40代とかになって会社をリストラされたりした時など、何か不幸な出来事があった時に、「あいつさえいなければ俺の人生はこんな人生ではなかったはず」 と思って、そこで呪いで殺すとかしているとかがある。
あるいは、60代になって会社を定年退職したりして、「私の人生がつまらない人生だったので中学生時代に私を虐めたあいつのせいでこういう風になったので、死ぬまでにやりたい事のリストに復讐を書いて実践する」 みたいな人もいる。
つまり、虐めてしまったという事があると、そこから3年後に復讐されるとかではなくて、虐められた人がふと頭をよぎった時とかに復讐が起こるとかがあるという先行きが見えない世界だったりする。
テレビニュースでも、何か仕事ができると話題になっていた人が、ある日中学生時代とか高校生時代に同じクラスの子を虐めていたという事が暴露され人生が反転してしまうとかの報道も少なくないじゃないですか。
芸能人でテレビ番組のMCとかが稼いでいた人でも、ある日コンプライアンスに違反していたとかの理由ですべての番組から追い出され芸能界追放になったりした人でも、番組のスタッフを虐めていたとかは少なくない。
つまり、1度軽い気持ちで誰かを虐めていたりするとその責任をいつ取らされる事になるのか? がわからないというものを背負って生きていく事になると思う。
メチャかわいい奥さんと結婚できたり、かわいい子供がいるとか家族に、「まさかそんな人だと思わなかった」 みたいに言われてしまい別れる事になるとかあると思うのですが、『もう余命いくばくもない難病の子が同じクラスにいて、みんなが面白がってその子が明日には自殺するかな~ みたいに残酷な言葉で虐めて楽しそうにしていた時にその虐めに参加しなかった事で虐められた』 というのは、それを聞いた人が、「えっそんな人だったの?」 と言ったりしない。
飲み会でネタみたいに誰かを虐めていた過去をしゃべって、その場ではウケたように見えたとしても、翌日とかに、「あの人ってこんな残念な人だった」 と伝播していくので、人がドン引きしてしまう結果を招いたりすると思う。
会社とかって、良く出世する人と出世しない人の差というのは、何かスキルの差、才能の差とか思い込んでいる人もいるのですが、「あいつの人間性を疑う」 とCEOとか専務とかがそういう風に言うともうその会社では出世なんてしないので辞めて転職をして新しい人生を模索した方が良いじゃないですか。
結婚して奥さんの実家とかで奥さんのお母さんとかにそんな虐めていた過去を知られると、「やっぱりそんな人だと思った」 みたいに言われたりして距離感ができてしまい、その後の人生で縮める事は無理だったりする。
想像してみてください。
あなたが高校生になった頃にクラスでもうすぐ死んでしまう難病の子をみんなが残酷な言葉で虐めていたとします。
その虐め、首吊りゲームに参加しなかった事で虐めっ子のボスを怒らせてしまい、無実の罪を着せられてしまい責任を取らされて退学になり履歴書が高校中退となった。
10年後とかに誰かと結婚をする事になった時に彼女とかに正直にその虐められた過去を話したとします。
一部の人は、「情けないやつだ」 と思われるかもしれないのですが、意外と過去のお父さんやお母さんとは、「良い人」 という風に感じてフォロワーになってくれるとかあると思う。
そんな感じになるので、”加害者” と”被害者” では印象が大きく違うのです。
もしも、自分の娘が結婚した相手が殺人犯であったりすれば、結婚後にそれを知ると騙された感じの印象になる。
でも、被害者であった場合、1つ屋根の下で一緒に寝た場合や、旅行した場合でも、特に怖いとか不安はないじゃないですか。
虐めていた人だと、「私たちが高齢になったら弱くなり虐められる形で人生を終える事になる」 みたいな不安になるので距離を取っておきたくなるとかある。
そんな感じなので、過去を誰かに知られないように、バレないようにしないといけなくなり、余命が縮むとかある。
中学生から高校生になり、虐めなどがきっかけで学校に行けなくなり、引きこもりになる。
そんな人って、バカじゃない限りは、「僕は被害者なんだ」 と考えると思う。
じゃあ、高校生が終わると人はどうするのか?
福岡で生まれ育った人は高校を卒業するとどこかの会社、東京にある会社などに就職して、1人暮らしを始め働き出す。
あるいは、福岡の高校を卒業して、東京とかの大学に進学して、アローンスタートを始める。
高校を卒業したら、その先に進む事になるのですが、”就職” をするのと、”大学生になる” という進学があるのですが、難易度的には就職する方が簡単だったりする。
それはなぜか?
大学に行く為に何の土地勘もない所に引っ越して、実家を離れて初めての1人暮らしをする。
何の土地勘もない、誰も知りあいのいない大学に1人で入学式に行って、その日に誰かを声掛けして友達が0人の状態から増やすというのは意外と難易度は高い。
高校生の場合は、朝から15時とかまで同じクラスの子と過ごすのでさすがに友達ができない人はいない。
でも、大学生は講義を選択するので、自分の受ける講義がまったく同じクラスの子はまずいない。
ちなみに私三之橋は、入学式で声掛けしていった事ですぐに知り合った賃貸マンションの綺麗な部屋に住んでいた子と仲良くなり、毎日入り浸っていた感じで、「同じ講義にしようぜ」 と2人でまったく同じ講義にしてしまった。
1年生が終わる頃に、「あなたたちは残念な人で、取得した単位の数から恐らく4年では卒業できないと考えられるので励ますパーティーに招待します」 という招待券が実家に郵送され、それも友達と一緒でした。
2人でチョイスした講義も同じで、その子も招待され、でももう治らない病気になったという事でパーティーに行かずに辞めてしまった。
講義をチョイスする際に、誰も知らない大学生ばかりの教室で1人ぼっちだと精神的に良くなさそうだと理由で友達と合わせ講義にしたのですが、「小学生のガキみたいな幼さがある事でそういう結果を招いている」 とパーティーで叱責を受けました。
私三之橋は別に大学生になりたいとか思わなかったので受験勉強もしていないのですが、人間行動分析学とかで評価され推薦とかで大学生になれた感じ。
よくどういう戦略でとか訊かれるのですが、大学生って何の土地勘もない誰も知りあいがいないというアローンスタートになるので、それまでの経験から、『友達がいないとミスってしまうなあ~』 と考えた。
講義をチョイスするとかって、同じクラスの子と一緒にならないので人間関係の構築が上手くできず精神のバランスを崩すとどんなに一生懸命勉強してテストで高得点を取得しても、卒業し会社員になって潮目が大きく変ると結局ダメになると考え、友達とどのくらい一緒に時間を過ごすのか? をサプリームプライオリティにしていた。
大学生は朝電車や車で大学に行くと、その大学で講義がどうしても2限目と4限目とか離れてしまい3限目とかの時間帯が空くので時間をつぶす場所も確保した方が良いじゃないですか。
上手くいけば、朝から15時くらいまでずっと友達と過ごせるじゃないですか。
例えば、旅客機のパイロットって2人1セットじゃないですか。
パイロットと、コパイロットで年齢とか経験差もある2人で飛行機を操縦している。
子供の頃に飛行機でどこかに行く時に、「本日の機長は片桐で総飛行時間2万時間を超えるベテランで・・・」 とかアナウンスをする。
2人一緒に行動していれば、自分が気づかない事でも、「あれはどうする?」 みたいな話になるので、何もわからない人と呼ばれる人生にはならないじゃないですか。
就職だと職場の人とずっと一緒だったりするのでその辺は楽じゃないですか。
車の運転でもわからないと訊けば良いし、部下とか後輩に訊かれてわざわざ嘘を教えても同僚が運転できないと結果自分も困るわけなので教えてくれる。
共生している人達というもの。
でも、大学生は同じクラスの子であったとしても、別のその子が運転がダメでも、わざわざ教える必要はないじゃないですか。
卒業したらどうせ別れるという間柄になるので、自分が何か負担してまでその残念な人がきちんと運転できるように指導する必要がない。
就職だと朝から夕方まで一緒に過ごし、帰宅したらテレビでも観られる。
でも、大学生は日中大学に行って勉強もしないといけないのですが、夜は夜でアルバイトもしないといけないし、洗濯もしないといけない。
不慣れな事がたくさんあるのに、1度にそれに挑戦していかないといけなくなるので、器用な人でないと実害の損害が目に見えない車の運転とかを犠牲にしてしまう。
よく大学を卒業している人の方が高卒より出世するとか言ったりするのですが、正確に言えば、高校を卒業して誰も知りあいもいない大学に行って1人暮らしをしているとかを履歴書で見ると、「この人は自立しているなあ」 とかがわかるだけの話だと思うのです。
どこかの上場企業に就職して、上司は部長とかでバカじゃないので、車の運転をさせてABC判定でチェックすれば、履歴書を見て総合判断で、「こいつは優秀だ、部下にとっておこう」 とか簡単に判断できる。
人を欺くという視点では、どこかの会社に就職が決まる事を優先し成績を上げるとか単位を取るとかするのですが、車の運転技術は免許さえあれば審査はないのでまあ手を抜いてしまう。
過去に自分も同じ大学生だったりして、そんな人がどうなったとか見てきているので、そういう審査基準だったりする。
企業の使うオフコンと呼ばれる高額なコンピュータって、ツインCPUだったりして、1つのコンピュータの中に2台コンピュータがあり、並列に同時に仕事をしている。
片方が機械なのでどうしても物理的な故障、ハードディスクが壊れるとか、いろいろあるので、2個あれば1個は壊れないという感じで、何等かの理由で2個のコンピュータのうち1個がおかしくなると正しい方に合わせるというシステムになっている。
理屈でいえばそれと同じで、それまでの人生で大学生だったとかの経験がまったくないわけなので、認知バイアスという、思考の偏りという、まあざっくり言えば思い込みが強い人だと、「人生チョロいぜ」 みたいにどんどん外れていくとかある。
でも、いつも誰かとずっと行動をしていれば、「おい三之橋、最近お前ちょっとおかしいぜ」 とか気づいて言ったりする事で気づくとかできるじゃないですか。
大学の講義をチョイスする場合でも、友達のマンションの部屋で一緒に、「この講義は受けた方が将来役立ちそうじゃない?」 とか2人の意見を話し合う事ができる。
経験値というものがない新しい環境、それも潮目が大きく変るという環境に順応できないと1年で辞めるとかになるわけで、そういう事態に陥らないように2人でバディ・システムを組んでおく感じ。
私三之橋の場合は、根がグ~たらな人なので似たような子とバディ・システムを組んでいたのですが、その友達が夏休み明けにはもう一生治らない病気になったと言って1つのビニールに8種類の薬が入ったものを食後に飲むようになっていた。
結局体を壊したりしたし、成績も卒業できない可能性があるという事で1年で辞めてしまった。
「そんな風に相棒がダツラクしたのに、なぜ三之橋さんだけは卒業できたりするのですか?」 と訊かれたりするのですが、そもそも私三之橋は電車に乗ると2人掛けシートになるので電車に1人で乗るのは無理、精神的にやられそうな気がする、という感じだったので3日目には同じクラスの子といつも電車が一緒なのをホームで気づいたのです。
それで通学友達みたいになったのですが、そもそも同じクラスだったので、講義合わせもその子ともやっていたのです。
つまり大学生1年生で相棒がダウンしたわけですが、そもそもチャンネルは冗長化してあったので通学友達とも同じよう講義にしていたので大学で1人ぼっちにならないのです。
例えば、東大に一発で現役合格した人が、お父さんを説得してバイクに乗りたいと言って乗る事になる。
でも、最初に友達と一緒に行ったツーリングで、事故の遭い即死になる。
息子さんと娘さんと子供がいて、でも、息子はたった1人だったりして、お父さんは我が子が死んでしまった事で落胆しまくり、「なぜ、こんな事になってしまったんだ。 バイクに乗る事を許した俺が悪いのか」 とうつ病みたいになってすぐに死んでしまったりした。
昔は20歳で成人式になるという感じで20歳で大人になるという法律上の問題があったのですが、18歳の大学1年生が大学内でタバコを吸うのも当たり前だったし、みんなでパーティーみたいな席でお酒を飲んでいて、誰も注意する人なんていなかった。
私三之橋の場合も注意されたのは1度だけで、1年生の終わりの残念な人を励ますパーティーに行き、置いてあったビールをまず飲み、学長に、「三之橋君、君はまだ未成年なのでお酒飲んじゃダメでしょ?」 と注意されたくらい。
そんな感じでほんとは未成年なのだけど、もう高校を卒業した大学生なので大人という感じがあったりした。
車とか未成年は親の同意書がないと買えないとかあったのですが、大学生になった子供が親に頼むと断るというケースは難しくて車の運転でも許可していた。
そんな感じだったので18歳で事故で死んでしまう人とかが急に増える年齢だったりするので、ダツラクする人も多くは18歳で躓いた事が原因というかきっかけだったりした。
そんな感じだったので、18歳の大学生1年生になった時には、バディ・システムも冗長化しておく方が良いので、実際は3人グループみたいなトリプルバディシステムを組んでいたので、1人病気でダツラクしてもそこまでの影響、下振れせずに済んだのです。
それまで学生だった人は楽勝な環境で、18歳で一気に変わるという年齢で起こる潮目の問題がある。
もしも、それまで生まれ育った実家を飛び出して何の土地勘もない誰も知りあいのいない大学に通う事になり、大学に行った時に友達ができないと1年生の終わり頃には、そのまま4年生まで続くとかわかるじゃないですか。
面白くないので大学に行きたくなくなり、でもさすがに大学を辞めるとお父さんとかお母さんに悪いので、卒業まで頑張り、卒業後は地元に帰って縁故採用で働くという人が少なくない。
大学が面白い? 面白くない? みたいなものというのは、その大学に行った時に一緒に過ごす男友達がいるか? いないか? みたいなもので決まる性質のようなものがある。
そんな感じなので、大学生になった時にまず考え行動するのは、友達が0人にまで減った状態からいかに早く友達ができるのか? などに左右すると考えられるので、私三之橋の場合は入学式の日から一気に声掛けまくりだった。
とりあえずそんな感じでスタートできれば、後は4年生で卒業できる可能性が高くなる。
後は車の運転というものは、不慣れな操作を普通車のMT車でやりながら、土地勘もない道路で、「この道でどこに出るかな」 とか想像したりしながら、同時に俯瞰(ふかん)視で周りを見て、周辺の中でロールモデルとなる人を見つけ真似て自分も同じように行動ができているのか? をチェックする。
自動車学校を卒業した時点では全員横並びのスタートになるので、そこから先は1年でとんでもないくらいに差が付くと考えられるので、見様見真似でやるというのに1年で慣れていかないといけない。
友達を作るとか、付き合うという部分では中学生くらいまでは地元だったりするのでその友達の家に遊びに行けばお父さんやお母さんやお兄さんとか妹とか見る事ができるので付きやすい感じがあると思う。
でも、大学生になるとその友達が1人暮らしをしているのでどんなお父さんとかお母さんとか見えないものが増えるとかある。
「新しい環境に順応するのに何をどう気を付ければよいのですか?」 と訊かれる事があるのですが、私三之橋の場合は一緒に過ごす人を見つけるという事しかしていない。
大学生になる場合だと、その大学で一緒に講義を受ける相棒みたいなパートナーを見つける事さえできれば、後は大学に行きたくないなあ~ というのは避けられると思うので、『じゃあ、卒業はもう想定内になったと思うので卒業した後で影響をする車の運転技術でも練習するか~』 という風になれるじゃないですか。
大学生で車を運転していると、いつも男友達と一緒で狭い車内で過ごすとかなので、『卒業して会社員になったらOL姉さんだらけの世界となるのでそんなタイプの人は居場所がないと感じると言うので、他愛もない会話ができるようにするか』 という感じになり、ワンデー彼氏募集に応募したりするようになる。
今の生活が安定したりすると、じゃあその先の人生の為に少し努力しておきますか~ となる。
そんな感じで人は18歳で高校を卒業すると次のステップになる大学生に進んだりして、その新しい環境に馴染むように努力もしていき、大学を卒業するとまたリセットされて誰も知りあいのいない会社、そもそも会社員の世界も知らなければその会社の事業とかの知識もゼロになりそこからスタートするという事になる。
じゃあ、大学を卒業して会社員1年生となった時に何をどう気を付けるのか? と訊かれれば、大学生時代にワンデー彼氏に募集して名前も知らないような女性とドライブして会話をしたという経験からOL姉さん、22歳の自分から見ると27歳とかの高校を卒業して新卒入社した会社員10年生みたいな人と一緒に仕事で会話が上手くかみ合うとかそういう感じ。
私三之橋の場合は入社して1カ月後には部下となる短大新卒のメチャかわいい女性が入社してきたので、その子と椅子をくっつけて座り朝から晩までずっと一緒に仕事をした感じで、そのくらいの頃に会社の中で自分の居場所が見つかった気がした感じ。
大学の入学式は、土地勘がないので電車の乗り継ぎもよくわからないぶっつけ本番だったので入学式に行ってそこでのアウェイ感はハンパない感じで孤立感は凄かった。
電車で通学して3日目には、『もう無理。 これが1カ月も続くと頭おかしくなりそう』 と思ってしまい、駅のホームで同じクラスの子の隣に座ってしまった。
でも、会社員の場合は入社式の日から朝から晩までずっといるので、メチャ時間が長くて、遅く感じて1日で、『もう内勤は無理』 と思ってしまった。
最初の1週間は、どういう風にその人達の輪の中に入れば良いのか? がわからず戸惑っていた感じで、大学よりも慣れるのに時間がかかってしまっている。
そんな感じだったので、高校生時代に引きこもりになった子というのは、みんなが高校を卒業するタイミングでシンクロするように新しい環境に飛び込む方が楽だと思うのです。
もしも高校1年生で引きこもりに卒業するまで2年とか引きこもりになった人だと、同級生が大学生になった頃に引きこもりをしていると4年間で凄い経験の差がつく。
もしも同級生が会社員となったら1年でとんでもない経験の差がつく。
高校生1年生16歳、2年生17歳、3年生で18歳、
大学生1年生で19歳、2年生で20歳、3年生で21歳、4年生で22歳
会社員1年生で23歳かなあ~ と思うのですが、
高校生3年、大学生4年、会社員1年生で1年なので、わずか8年間自宅で引きこもっている間に同級生は大学生と会社員という2つを経験する事になり、新しい環境に順応する最初の1年目というのは最低でも2回経験する事になるじゃないですか。
経験した事もない新しい環境に遭遇して、すべての人がそのハードルを乗り越えられるわけでもないと思う。
挑戦して失敗する事があってもそれはミスという感じで気にしなくても良い気がする。
タイミングを逃してしまうと、最初は「私は被害者なんだ」 と思っていると家族とかも最初は仕方ない事だと受け入れていても時間が過ぎれば過ぎる程に家族の視点では加害者で逆に自分がまきこまれている被害者なんだと思うのではないかなあ~ と思う。
例えば、2025年11月27日のニュースで、福岡県警で警察官同士の虐めが報道されていました。
>福岡県警の第二機動隊で、特定の隊員が寮で裸にさせられるなど複数の“いじめ行為”があったことが分かりました。
>県警は関係する十数人を処分する方針です。
>複数の“いじめ行為”が確認されたのは、北九州市にある福岡県警第二機動隊で、水難事故や水中での証拠品の捜索などを行う「スクーバ部隊」です。
>県警関係者によりますと、約20人が所属するスクーバ部隊では、去年以降、特定の隊員が飲み会のあと寮で裸にさせられたほか、真冬のプールに入ることを強要された隊員もいたということです。
顔に尿をかけて遊んだとか、そんな内容を6人が認めていて、「悪ふざけをしただけ」 みたいに言っているみたいでした。
たしかに大人なのに、自衛隊とか、警察官とか、消防隊とか、自治体の福岡市職員などが行った虐めなどのニュースを観たりしますので、まあ絶対に大人になって虐めがないとは言い切れないと思うのですが、民間企業とかの会社員だとそういうのは見ない感じ。
例えば、海外だと学校で誰かを虐めたという事を警察に言えば、翌日とかに授業中の教室に警察官が入って行き逮捕して刑務所に入れるとかある。
それを考えた場合、虐めをする加害者=犯罪者となるので、日本の警察官の場合ですと、犯罪者が犯罪者を取り締まるという摩訶不思議な感じになるのかもしれない。
じゃあ、その論理でいくと警察官を辞めるのか? と言えば、それは難しいと思う。
第1に家族がいたりすると、奥さんとかが、「えっ、あなた子供もいるのに軽い気持ちで虐めとかをやらかしてこうなるってわからなかったの?」 みたいになる。
第2に再就職の問題があるじゃないですか。
虐めをやらかして辞めました~ とかという退職理由だと、応募された企業側から見た視点では、「うちの会社内でもやらかすつもりなのかもしれない」 みたいに敬遠されると思う。
なぜか? と言うと、世界的に見て、「人間の中の一部の人にそういった種類の人が一定数いる」 という風に解明されてきているので、いかにそういう人を雇わないのか? というのが企業が成功する前提条件だったりしている。
もしも、責任を感じて警察官を辞めてしまうと、一気に困る事になる事が予想されるので、普通は辞めない。
でも、警察官として残りの人生を過ごす場合でも、出世はどうかなあ~ と思ったりする。
4年前、福岡県宗像市の高校に通う男子生徒が自殺した問題で、生徒の母親が、いじめに関わったとして当時の上級生4人に対し、損害賠償を求めた裁判です。福岡地裁は19日、最後まで争っていた1人に対し、賠償を命じる判決を言い渡しました。
そのようなニュースが最近あったのですが、4人が虐めて楽しんで、3人は虐めていた事を認めたのに対し、主導者は認めないとかが続いている感じじゃないですか。
「軽い気持ちでやっちゃいました」 なんて言ったりする感じですが、責任を取らされるという事態に陥ると、もう残りの人生終わったなあ~ みたいになると思う。
強いていえば、その人に何かを言われると、「はい」 としか言えないお局様界の大ボスとかは見た事がある。
その人の言う事を聞かないとその会社にはいられない感じですが、それはただの認知症だったりする。
でも、高校生の虐めとかはもっと残虐じゃないですか。
無実の罪を着せて責任を取らせて、学校を退学させて、履歴書に高校中退と書く人生はもう終わりなので悲観して首を吊って死ねと言われた。
殺害を目的にしているので、虐めを通り越して殺人未遂じゃないですか。
頭のおかしな虐めっ子が操縦している相手は生徒会ですので、テストで高得点は取れるくらいの知能はあったりするので、おそらく勝てても1回とか2回が限界で、パターン解析されると思うので卒業するまで身が持たない気がする。
正義とかに固執すれば、おそらく殺される結果が待っている世界なので、『みなさんもお元気で、さよなら~』 という感じで、PEACE POT MICRODOT と言ってお別れをした方が良いじゃないですか。
一般的に人は幼稚園生くらいから毎朝幼稚園に出掛け集団生活という学生生活を送るので、幼稚園生・小学生・中学生・高校生となっていく過程ですべてでいつも虐められていたりすれば、それは虐められる人に問題があるのかもしれない。
でも、そういうのがなくて、高校生になって虐められた、というか無実の罪を着せられて殺されそうになるというのは、場所に問題があるだけだと小学生3年生の子供でもそう考えると思う。
高校生だと年齢15歳になっているので、刑法第41条の責任年齢で刑事罰を受ける対象になるので、相手も「人を呪わば、穴2つ」 というそれなりの覚悟で殺そうとしているのだと考えられるじゃないですか。
人によっては、パンツを脱がされたという事で自殺をするという選択をする人もいるのですが、そういうものとちょっと違っていて、逃げるタイミングを間違うと殺されるという感じなのでひっ迫感が違うと思う。
普通の高校生だと、「俺は不良で少年刑務所に収監されたりしたけれど、さすがに人は殺した事がないぜ」 とか不良の人でも言うじゃないですか。
そんなレベルと違っていて、もう何人か死んでいるとかの話だと、生き残るのにしんどさもある感じ。
高校を中退した人とか世の中には5万といたりするし、引きこもりになった子も多いし、「なぜ中退するとかでなくて転校なのかがわからない」 とか言われるのですが、いじめっ子というのはイギリスのテレビ番組、刑事ジョン・ルーサーに出てくるような殺人犯なんですよ。
人生初めて遭遇した殺人鬼みたいな人を目の当たりにした時に、もう経験がないせいで思考パターンが読めないのです。
立候補すらしていないのに投票で級長にさせられてしまい、生徒会に所属していた事で、「この学校で創業以来のとんでもない事をやらかしたやつがまさかうちの生徒会に所属していたなんて~」 と頭を抱えた人達、怒りまくりの人達がいて、『何だお前、俺の上司か~』 って思う人が目の前に100人いて責められているわけです。
いじめられっ子という人で、そういう目に遭った人とかいないと思う。
『もうここで脱出してにげないと、おそらく次は女性をレイプして、その犯人にでもさせられてしまうじゃないか』 みたいな悲壮感しかない。
そもそも、人を殺している人って高校という学校の中にそういないと思うので、その高校より格下であったとしてもその学校にエスケープして人生をリセットした方が良いと考えた感じ。
例えば、虐めとかに遭って、「僕は何も悪い事はしていないもん」 みたいになると、たぶん学校を退学しないで引きこもりになって、留年になりとかダラダラする事で損失が拡大するのだと思う。
刑事ジョン・ルーサーを観た時に、仕事が終わって夜に自宅に帰るバスに乗り、その車内で殺人鬼に遭遇して殺された人とか、殺人事件を目撃して逃げて捕まり殺された人とか出てくる。
あんな感じで、自分が悪いとかでなくて、運が悪いと考える感じ。
そもそも、自分が気に入らないというか嫌いな人を退学させるというそこにこだわりがあるのは、おそらく自分が過去に転校したりした過去があると思うので、逃げてしまった私三之橋を追撃できないという構造上の問題があると考えた感じ。
引きこもりになる人というのは、広場恐怖症の人みたいに、人がいる場所が苦手という感じになると思うのですが、逃避している状態なので、それが長くなる程自分で抜け出すのは無理になると思う。
そんな感じなので、高校生で引きこもりになった人は、同級生が高校を卒業するタイミングで、仕事に行けばひっくり返す事ができると思う。
「なぜ高校を中退したのですか?」 と訊かれたら「虐めに遭いまして、でももう18歳なので引きこもりも卒業しないと家族に悪いと考えました」 と言えば、採用してくれると思う。
例えば、高校生の場合、朝起きて学校に行く時に、『今日はクラスの中の人間に殺されるんじゃないか』 とか考えない。
あるとすれば、『昨日はしょうもない1日だったので、今日も同じような日だろう~』 みたいな感じだと思う。
でも、そんな予想が裏切られた感じの、全く想像できない事が起こるという事態に遭うと、それはショックだったりする。
『いったいなぜ? このような事態になったのだろうか?』 という戸惑い。
でも、『考える時間は2分か3分か、その時間内で考えられないとタイムアウトエラーか』 みたいなひっ迫感。
そのような問題は、勝っても負けても、どっちであったとしてもそれで終わりではない。
学校で高得点を取るという事にかけてはスペシャリストとなる級長の集団100人の人達が、「三之橋、ざあまみろ~」 みたいな満足感で退学勧告決議案を全会一致で可決した。
正規の手順を踏んで得た権利なのに、それは権利の行使ができない。
なぜなら、ふと気づいた時に右手に持っているのが、”デッドマンスイッチ” だと気づいてしまう。
誰か1人でも責任を取らせてしまうと、そういう事があったというのを認める事になるので、何もなかった事にしようとなる。
人に学校を退学させるとか散々やっている人達が、いざ自分も辞めないといけなくなると、急に、「そんな事はなかった」 となってしまう。
過失か? それとも故意なのか?
というのはどっちでも良い。
自分が気づかずに無実の罪で人を処分したという事がもしもバレてしまえば、東大に行くような人達にとっては取返しのつかない事件になってしまうので、何もなかったとなる感じ。
誰が正解だったのか?
という部分では私三之橋だけ正解だった感じですが、そんなおかしくなった人達を目の当たりにしてしまうと、素直に喜べるものではなかったりする。
その時に学んだ事は、誰かを虐めるという人にはならないようにしよう~ みたいなもの。
東大に行くような人が、「俺は勝ち組なんだ」 とエリート気取りの人達が一瞬で地獄に堕ちるみたいなものを見てしまった時に、人生一寸先は闇だなあ~ と感じた。
担任の先生が、メチャかわいい彼女と結婚するというのを学校をクビになり、さすがに彼女もバカじゃないだろうから結婚も取りやめになりショックで行き場を失って首を吊って死ぬはず・・・
そういうシナリオに参加しないと三之橋もクビにしてとかそういう感じですが、そもそも担任の先生がクビになると三之橋も連動してクビになるという、どっちを選んでもクビになるシナリオだった。
このシナリオ自体がもうメチャクチャだった。
そもそも担任の先生はチャラかったので、理事長がもう契約更新しないとクビを打診していた。
虐めっ子が何もしなければ先生はクビが決まっていたのです。
高校生くらいの年頃というのは、担任の先生が解雇されるという事を目の当たりにすると、「あいつ人生終わった」 みたいに大笑いしまくる。
どうせクビにするのであれば、学校で問題を起こした責任を取らされた形にした方が再就職が無理となるのでたぶんそこから責任を担任に取らせるぞ~ というシナリオができた。
どうせやるなら、生意気な三之橋も地獄に送るぞ~ となっていた。
冷静に考えてみてください。
担任の先生はそもそも解雇になるくらいの人なので、その事件あってもなくても、たぶんそのメチャかわいい彼女と結婚しても、数年でまた解雇されると思うので、その結婚は上手くいかない気がするのです。
担任の先生が、”普通のクビ” から、”学校でやらかした責任を取らされてクビ” という、クビのランクで言えば1段階くらい上がったというか、下がった感じなので、そういう風になる事件もあった。
学校の中で、唯一事情を知る人間として私三之橋が吊るしあげられた時に、どれも言えない話だったので1つも言っていない。
太平洋戦争が終わった後の東京国際軍事裁判みたいなのと同じですよ。
自分が助かろうと考えてすべて事実を話すと、担任の先生は、普通のクビから責任を取らされてクビになってしまう。
仮にもしも私三之橋がクビにならなかったとしても、それは担任の先生を地獄に突き落とす必要がある。
こんな話をしてもきっと誰も信じてもらえないと思うのですが、学校で問題が起きたという事で先生達も召喚された生徒会の会議に担任の先生もいて、「私は何も知らない」 という 顔をして並んでいた。
『お前はハリウッド映画に出てくるスターか』
みたいな演者だったのです。
そのようなシュチュエーションで本人の前で、『担任の先生はこういう人でした』 とか証言できないじゃないですか。
そんな感じでもうグチャグチャな世界を目の当たりにしたので、人を信じられないようなものもあった。
人は失恋したりしてもショックを受けたりするし、恋人が病気や事故で死んでも喪失感などでショックを受けたりする。
高校生になり、同じクラスの中に頭のおかしな虐めっ子がいるというもの以外でも、担任の先生もおかしな感じがあったりした。
そういうのも朝学校に行く時に予想なんかできないじゃないですか。
その日に自分の退学勧告決議案があり、その場に担任の先生が自分は関係ないです~ みたいな顔をして見ているとか想像できる人がいれば逆に凄い。
そんな目に遭った時に人は何かショックを受けたりする。
じゃあ、どういう風にして立ち上がるのですか?
という話が重要になると思うのです。
”過去に捕らわれた人” になるか? それとも、”未来に向けて歩む人” になるのか?
という部分で言えば、重要なのはきっと、「転地効果の連続かなあ~」 と私三之橋は思うのです。
ザックリ言ってしまえば、新しい事に挑戦し続ける事。
”転地効果” というのは、引っ越しとか環境を変えるというのもそうですし、どこか行った事もない所に旅行に行くとかもそうです。
例えば、昔こんな女性がいたのですが、18歳で彼氏と付き合い10年経った27歳の頃にはなんとなくその彼と結婚するのかと思っていたら、ある日、「新しい彼女ができたので別れて」 と言われたらしい。
そんな失恋でショックを受けて、でも職場を変えるのは年齢的にも厳しいと感じ、アパートを引っ越したそうです。
仕事が終わってアパートに帰りそれで1人で部屋にいると悲しくなって泣いてしまったりする。
でも、新しいアパートに引っ越しをすると仕事が終わってアパートに帰る時に、「この辺はあのスーパーで買い物するのが良いのかなあ~」 とか考え寄って買い物をしたりする。
それまで行った事もないスーパーだと、売り場もよくわからずに買い物をする場合でも考えるとかしないといけなくなる。
引っ越して新しい環境になるとやらないといけなくなる事が増えるのでそれまでアパートの部屋に帰り1人でテレビでも観ていると失恋した事とか考えたりするのがその余裕がなくなって考えなくなったりする。
頭の中に箱、ボックスのようなものに記憶があるとした場合、その箱の記憶に触れたくない場合にはもう1個箱のボックスを作りそこに毎日記憶を積み重ねていくとその箱の記憶の事でせいいっぱいになる感じ。
例えば、18歳になると人はそれまで生まれ育った実家を飛び出して、何の土地勘もない大学に通う為に生まれて初めての1人暮らしをしたりする。
大学の入学式に行く時に1人ボッチというのを感じると入学式の日に同じクラスの子に声掛けしたりしたりしていかないと1人ボッチのままが続くだけじゃないですか。
友達ができてもそれで終わりじゃない。
もう周りの子がみんな普通自動車運転免許証を取得して普通車の中古車でも買って乗っていたりするので同じように免許を取りに行くとか不慣れな事が続く。
車の運転をした事のある人だとわかると思うのですが、土地勘のない道路は道がわからない。
わからない道を走り、同時に不慣れな車の操作をしてMTのシフトチェンジとかもしないといけない。
例えば、毎日大学に通学で運転する場合、最初は不慣れなので同じ道を走るという事で不慣れさをカバーしようとするのですが、少し慣れると、『あの道を走ってみるとどうなるのだろう?』 みたいに走った事もない道に入り、それで大学に遅刻する結果になったりする。
男性の場合、彼女とかガールフレンドに、「ねえ、今度の日曜日はあの新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ~」
と誘われると本音としては行きたくない。
平日に疲れているのにわざわざ日曜日とかに道も知らないのに遠くまで運転するというのはカーナビのない時代はしんどい思いをするだけだとわかったりするから。
彼女が言った目的先にちょうど良いタイミングで到着させるとかも難易度が難しいし、お昼ご飯を食べるのもちょうど良いタイミングでちょうど良いお店でないといけないじゃないですか。
行った事もない道路を走りその運転も不慣れなので余計に疲れる。
今の時代だとカーナビに目的地をセットすると概算の到着時間とか距離がわかる。
PCにここから〇〇までと検索すればどういうルートでどのくらいの時間に到着できそうとかわかるじゃないですか。
例えば、家族でお墓参りに福岡市から郊外の太宰府市にある太宰府メモリアルパークという霊園に行く場合、行くのが日曜日であればその1週間の日曜日の行く時間にグーグル検索すれば今の交通量から到着予想時間を計算してくれるので、『来週も同じ交通量だとすればこの時間に出れば良いか』 というのがわかる。
でもカーナビのない時代だと、1回自分が県外に走った記憶などから、「あそこまで2時間かな」 とか目安を考えないといけない。
経験が乏しい初心者マークを貼ったような1年生とかの方が経験値がないので目安のようなものがよくわからないのでドライブルートプランの組み立てに苦労する。
彼女と毎週同じ海まで行きそこでサーフィンをする、みたいな決まったものでないと毎週リセットされ続けるので落ち着かない。
新しい事に挑戦すると見通しが見えないような世界だったりするので時には上手くいかないとかもあったりする。
”引きこもり” になる人というのは、たぶん自分が失敗しない事を前提にしていると思うので冒険なんかをしなくなる。
私三之橋の高校生の頃の引きこもりの子という友達の日常というのは、好きなコンピュータゲームをして、そこでミスっても自分が実際にけがをするわけでもないという事の繰り返しじゃないですか。
例えば、「直観力の優れる人」 みたいな人って生まれつきそうではないので、新しい事をいろいろ挑戦してみた結果としてそのようになったりするだけの話なのです。
じゃあ、高校生とかの頃に引きこもりになって自分の好きなものに囲まれた環境で毎日を過ごすと、失敗は無くなるかもしれないのですが、成功も無くなるだろうし、経験をするというものも大幅に減ると思うのです。
車の運転が苦手という人でもそうじゃないですか。
自分が運転免許を取得して遠くまで知らない道を走り続けるというのがちょっと、みたいな抵抗感というか苦手意識があったりしてやらない。
やらないといざ遠出するという事はやりたくないという気持ちになる。
そんな感じで道がわかるスーパーまでしか行かないみたいになっていたりする。
じゃあ、18歳の大学生1年生で免許を取りそこから毎週のように県外まで知らない道を運転している人がいたとして、22歳とかで大学を卒業してどこかの会社でそういう人とそうでない人がたまたま同期入社したとしたら、2人には場数の差みたいなものがあると思う。
たぶんね、1度失敗した事から受けるショック状態みたいなものから、「失敗恐怖症」 みたいになっていき、失敗しない事が正義のように思い込んでしまう事でそうなっていくのだと思う。
でも、失敗したとか失敗しなかったとかそういうのとは関係なくて、前に進む事の方が重要だったりする。
実家から離れないというのは、たぶんお父さんやお母さんが一緒だというそれまでの環境が変わらない方が良いという事で親離れができなくなるのだと思う。
環境が変わらなければ失敗しないはず、みたいな思い込みでしょうか。
何かその人なりの時間が止まった感じになるのかもしれない。
でも、そのまま実家に引きこもり続けるとかすれば、お父さんやお母さんとか家族の人的には、負担になり続けると思う。
テレビニュースでそんな感じの報道があったりすると思うのですが、10年とか20年とか引きこもり続けるというのはさすがに問題があると思うのです。
例えば、親という視点で言えば、自分の子供がある日中学生とか高校生で引きこもりにでもなれば、底知れぬ不安となると思う。
それは、親というものは子供の面倒をみるのは、未成年だからという1つの年齢の区切りみたいなものがある。
「もしも、あの子が18歳とか19歳という年齢になり、同級生だった子が大学生になるとか就職する事になったりした時に、就職もしないでずっと家に引きこもり続けるというのはあるの?」
みたいな、年齢が大人になったら自然とどこかで働いてくれたり、1人暮らしをしてくれるという希望が良く見えない事になる。
それが第1の不安だとすれば、次の第2の不安は、人は18歳とか19歳あたりで大きく潮目が変わる感じがあり、その時にガツンと急激に成長していくようなものがある。
第3の不安としては、子供が10代で躓いたりして引きこもりになると、「親が俺の育て方を間違えたせいでこうなった」 とか誰かのせいだと思い込む。
元農水事務次官長男殺害事件でも、ずっとお父さんやお母さんを殴る蹴るとかしていた感じ。
そんな感じで、「怒りの矛先が自分に向くのではないか?」 みたいな不安。
自分に向かなくても、長野市議会議長長男立てこもり4人殺害事件でも、両親が病気を見て見ぬふりをした点で後悔しているとかそういう風に証言していたように赤の他人を殺害したりする。
それと似たようなものになると思うのですが、「虐めた奴を20年後に許せなくて呪い殺した」 みたいな事をブログとかに書いている人も少なくない。
虐められた人は虐められた過去に捕らわれすぎる傾向にあると思うのですが、引きこもりになったきっかけを作ったのは虐めっ子だと思うのですが、その後の数十年とかの引きこもりを含め上手くいかなかったのは必ずしも虐めっ子のせいでもないような気がします。
虐められた経験がない子、虐めて楽しんだ子、そういう人であったとしても18歳くらいの潮目が大きく変った時に躓いてそのままという人は少なくない感じ。
中学生が虐められた事で虐めっこをナイフでめった刺しにする事件とか、去年は40歳のおじさんが中学生カップルを刺し殺す事件とかあったりするのですが、そういう事をやるとさらに自分の人生が悪化するだけだと思う。
昔は20歳で成人だったのが今は18歳で成人ですので、まあ18歳になったら家を出て1人暮らしをして、お金がないとか仕事がないのであればさっさと生活保護受給者になるのも1つの手かなあ~ と思う。
人生って崩れていく時にドミノ倒しのようになると言うので、自分がミスった時に家族とかは連動しないようにバックアップの想定計算をしておく感じ。
なぜか? と訊かれれば、俯瞰(ふかん) で見た方が良いから。
例えば、どこかの上場企業で働いていたとしてそこで未曾有の事態が起きその問題を解決しないといけなくなった時とかって、自分が失敗する事を前提に考えたりしないじゃないですか。
ただプロの世界だとミスったりして損害出れば弁償させられるかなあ~ とかは考えるので、自分のミスに巻き込まないようなものはどこか意識している感じ。
例えば、中学生が虐められた人がいて、ある日学校に行く投稿時間とかに虐めた子を一気にナイフでめった刺しにするとかする事件があるじゃないですか。
あれは自分の視点でモノを見すぎてしまっているのでそうなるのだと思うのですが、「俺はめった刺しにした方が気持ちが良いと思う。 でも、その結果お父さんとかお母さんは大変な事になりそうな気がする」 みたいに自分以外の家族であったり誰かの事まで気を使うとそういう風にはならない。
警報第41条の責任年齢でやらかした人は刑務所に収監されるだけですが、民法では未成年がやらかした被害の弁償は保護者に連帯請求できるとなっているので、お父さん破産じゃないですか。
自分で家族を崩壊させたり、お父さんを破産させたりした人ってずっとそれを背負って生きていくみたいですよ。
とある先輩が、某大手損保会社で営業でいつも多額な現金を集金していて軽い気持ちでギャンブルに使い込んだら、会社を解雇されただけで済まずに、お父さんが持っていた豪邸とか全部売らされていたそうです。
それ以来合わせる顔がないとかずっと家にも帰れなくなったそうで、何十年経っても悔やんでいた感じでした。
まあ未成年ではない大人のやらかした事件で親に弁償させるのは法律上問題あるっぽい気もするのですが、そのくらい厳しいのが上場企業だったりする。
そんな感じで家族を巻き込んだりしないと気軽な人生になる感じはある。