10月2日は朝から宗教の勧誘みたいな人達がうろうろしていた。
自宅のピンポンが鳴り出てみると、「最近涼しくなりましたね~」 とおじいさんが話し出したので、『宗教の勧誘ですか、私は興味がなくて』 と言ったら、「勧誘はしません。 お話をするだけです」 と言われました。
『これから買い物に行くのでバタバタしておりまして、家に病人がいますのでお話をする余裕もありませんので』 と言ったら帰らええました。
10月4日の土曜日は土砂降りになるという予報で暗くなったお昼頃に自販機で冷たいものを買うと女性2人組が外国人男性に今日はどうするの? みたいな話をしていた。
車に向かう時に、「こんにちは~」 を言われ、『日蓮〇〇〇です」 と言われました。
『宗教か何かの勧誘ですか。 僕は宗教に興味がなくて』 と言ったら、「えっとですね、宗教とはまたちょっと違うので今説明しましょうね」 みたいに言われ新聞みたいなのを広げていたので、『すみません、これから出かけるのでお話をする時間がなくて』 と言ったら、「それじゃあ今度お時間ある時にお話ししましょう」 と言われたので、、『貧乏なのでいつも時間はありませんので』 と言って駐車場に入り雨が降り出す前に出掛けました。
家族に、「なぜ宗教の勧誘だとわかったの?」 と訊かれたりするのですが、そういう人にしか見えなかったから。
10月4日の土曜日は、隣人を探してみるみたいな人が自宅のピンポンを押して出て見ると、「東急リバブルですが、〇〇さんを探していて」 と言われたので、「ここは〇〇さんとは関係のない家ですのでわかりません」 と答えたら帰られました。
普通はまず名刺でも出して見てもらい、上場企業の社員です~ みたいに安心してもらい本題に入るというのが社会人としての常識でないかと思う。
例えば、アメリカで小洒落た古い車のカスタマイズしたのが走っていて、車屋さんが後をつけて行き、自宅に入った後にインターフォンを押して車屋をしていてちょっと車の話をしたいと伝えるとパトカーが来て、「住人から話をしたくないという通報がありまして」 と警察官に言われ、「わかりました。 もう2度と来ません」 と言って帰るシーンとかあるじゃないですか。
あんな風に普通は自分が何者であるとか名乗るとか、どういう話をしたいと先に言うのが普通だと思う。
不動産屋さんであれば、「私はこういう者でして」 と名刺を渡して、どの不動さん物件の件で、こういう人にお仕事で依頼を受けて住所も教えていただき訪問に至りましたと言われるじゃないですか。
土地があり、そのお隣さんの家の人と話したりした事があったりして、その土地を買い上げたいという場合ですと、不動産会社の人に相談して、印象を悪くすれば決まる話も決まらないとか考えたりして依頼をされる。
お隣さんに左があれば、右もあるので、1年後にはそっちのお隣さんの家族が挨拶に来られて自己紹介もされたりして買い取りたいとか言われる。
個人の家とかに突然押しかけて、そこで印象を悪くするというのは普通はしない。
もしも自分が逆の立場であれば、みたいに考えたりして行動する。
社会人だと挨拶の重要さとかを会社員1年生で学ぶとかあるので習慣はなかなか消えない。
普通はそういう感じになるので、最初に自分が何者なのか? をわざわざ端折るというのは、先に言ってしまえば、「僕は宗教に興味がないので」 とか言われてしまい、なかなかその人の心に入れないという職種のセールスマンのような押し売り系とか、宗教の勧誘とかそういう人ではないかなあ~ と思う。
特殊なやり方で目の前の人の閉ざされた心の隙間に少しずつ入ろうとしているように見える。
世界的にいろいろな宗教があると思うのですが、時間のない人に無理やり話をするというのはしないと思うので、『今忙しいので時間がありません』 と言う。
ぞうすると、「じゃあ今度お時間のある時に話しましょう」 みたいな約束系に入るので、『貧乏な人はずっと貧乏な人生が続くように、時間のない人は10年経っても時間はないと思います』 と言って約束しない形で終わらせる。
宗教の場合、その人の信じている神様をバカにするような否定をして、その結果死んでしまった人は少なくないと思うので、どの宗教が良いとかそんな事は言わないで終わらせる。
小学生3年生の子供でもそんな風にやり取りしたりすると思います。
宗教の勧誘をしている人を悪い人たちとは思ってもいないのですが、最近は外国人とかも増えたのでより来るようになった感じがあります。
例えば、「三之橋さんは、宗教が嫌いなのですか?」 と訊かれば、『たぶん、好きとか嫌いではなくて、立ち位置の問題かなあ~』 と思う。
世界中で起きている戦争・戦闘や争いごとの多くは宗教が原因だったりする。
お父さんが交通事故などで急死したりした時に、お母さんが財産を相続して、失った喪失感から何もする事がなくて宗教にハマり、1億円の全財産を寄付したりする。
その結果、子供は大学に行くお金が無くなったり、その寄付したお母さんは老後の生活費など無くなる。
「三之橋さんは、神様っていると思いますか?」 と訊かれたら、『いるとかいないとかではなくて、コードブラックではないかと思う』
例えば、中学生の頃に何かあって引きこもりになると、ずっと大人になってもそんな感じで、誰かを無差別に殺して終わる、みたいな人がいたりする。
神様がいても、その人の人生は修正できないとかあるのではないかと思う。
賽銭箱にお金を投げ入れて願い事をしたら、「またしょうもない事を願いやがって、自分で努力するのが先でしょ?」 とブラックリストにでも載るかのようにブロックされて、それに気づかずずっと願い続ける人がいそうじゃないですか。
私三之橋の場合は、病院で心臓が停止して、また動き出したという事がありました。
先生が、「俺は人が目の前で心臓停止するのを初めて見た。 それだけでも驚きなのでまた動き出した。 こんなのはたぶん医者人生で1度あるかないかだと思う」 と言っていた。
もしも、神様への寄付金の多さや、礼拝した数の多さで何か奇跡が生まれると信じている人がいれば、私のように仕事をして初詣も行かないような人が、宗教の勧誘を断っている人に奇跡なんて起きないと思う。
自分の持っているお金をどこかの宗教に寄付をしようとしている人がいて、悩んでいたりすればそれはよく考えてみた方が良いと思う。
先祖の霊がどうのとか、そういう事を言われると何となくお金を支払えば良い結果になると思いそうな気がしますが、死んだ人は悪さとかしないと思う。
学校で虐めに遭って殴られている子を見た時に、悪態をつくのは生きた人だと小学生でも学習していると思う。
この前テレビドラマで大金の家のお父さんがバカ息子を殺すとかあったのですが、自分の子供が3人とかいて1番下のバカ息子だけが問題を起こして電話をしてきて、「助けて」 と言われ、その問題を無かった事にする為にいろいろと部下とかに指示をしていると最後にキレてしまうみたいなストーリー。
何度助けても、助けても、反省しているように見えず、永遠と繰り返されるループのようなものを断ち切りたいと思ってそうなるみたいなストーリー。
ザックリ言えば、生きている誰かを自分が煩わせるという事をしないようにした方が良いという考え方で生きていれば良いだけの話に思う。
例えば、18歳の大学生1年生になるという時であれば、それまで生まれ育った実家を離れ何の土地勘もない誰も知りあいもいない大学のある所で、1人暮らしを始めるというアローンスタートを経験する。
大学生にならずいきなり就職する人もいる。
大学生の場合、入学式で1人ボッチ感というアウェイ感が凄いとかあるのですが、誰かに勇気を出して声掛けしていくとかしないといけない。
同時に大学生として大学にも慣れていかないといけない。
洗濯とか掃除とか、お金の管理もしないといけない。
自動車学校に行って普通自動車運転免許証を取得して、車を買って初心者マークを貼って1人で公道を運転しないといけないし、洗車も面倒くさい。
車の運転は、カーナビもない時代に道を知らないので、青い看板みたいなものを見たり交差点の名前を見たりして、『こっちか』 と思って曲がると、『うわっ、ミスって知らない道に迷い込んだわ』 みたいになる。
迷子になるような感覚があるので、1年もしないうちに運転しなくなる人もいる。
車を運転していて知らない道に入ったら曲がり角とかで停止して考える人がいて、後ろの車が困るという癖のある人がいたりすると思いますが、サッと判断できないとマズい。
彼女とかガールフレンドに、「今度の日曜日に新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ」 とか言われて行くと毎回アドベンチャーゲームのような感じでわからない事だらけをクリアしていく。
大学生の場合ですと1年生の始めがしんどくて、1年生が終わる頃に、ここから先は楽になると感じ、4年間でお父さんに、「助けて」 と電話したり言ったりしなければ成功となる感じ。
大学を卒業して新社会人デビューして会社員1年生になった時は、大学生時代に知り合い0人からスタートして何とかなったという事で人間関係の構築は年齢の幅が広がるので応用していく感じで、1年経った頃に楽勝かと思う感じ。
お父さんに電話したりして、『助けて~、自分で何とかしようとしたけれど何とかできずに会社をクビになってしまった』 といわなければ良いだけの話。
お父さんができた事は、その子供は同じようにできるという感じになると思うので、できませんでしたといわなければ良いだけの話かなあ~ と思う。
県議会議員の人に名刺をもらい、「困った事でもあれば連絡して」 と言われると、『ありがどうございます』 と言ってその日に名刺を捨てる感じ。
それと同じような感覚で、宗教の人に何かを頼らなければ自分が頑張るしか選択肢がないので何とかなるみたいな感覚。
大学生になった入学式の日に誰かに声掛けしないといけないので話し掛けると、周りの人が、「もう俺たちは18歳の大学生なので親に甘えるとそれが自分に返ってきてしまい、一生シャブ漬けの人みたいに苦しむだけなので、この1年で勝負が決まる」 みたいな事を言っていたので真似てしまっただけ。
たしかに1年生が終わる頃に、「あなたたちは取得した単位数から恐らく4年では卒業できない人と考えられるので励ますパーティーに来てくださいね」 というのが郵送されてきたのです。
大学生1年生になって入り浸っていた賃貸マンションに住んでいた男友達は好きなものばかり食べていたら一生治らない病気になったと夏休み明けに告白され、適当に「この講義でも受けておく?」 と同じ講義を一緒になるようにしていたら、残念な人のパーティーでも一緒になり、さすがに親がもう辞めてくれと言ったらしくて大学を辞めてしまった。
仕方なくパーティーに言ったら出席をチェックしていて、同じクラスで5人くらいリストに載っていたのに、参加したのは私だけでした。
そんな感じで、最初の1年は歩き続けるというか、前に進む事を意識するようになった感じ。
大学を卒業して新社会人デビューして会社員1年生になった時でもそうで、『まずは最初の1年間で勝負が決まると思うので、立ち止まらない事を意識してやるか』 みたいにやって、1年が終わる頃に慣れてきた感じになる。
例えば、大学生になって1年未満にやめてしまうとか、会社員になって1年未満に辞めてしまうとか、そういう人の感覚というのはよくわからない。
『この仕事は面白くないなあ~』 と思ったとしても、普通に考えれば給料もらえているのでそれで良いじゃないかと思ってしまう。
1年やってみて、『これは危険すぎるので何度も死にかけたので他の仕事を見つけよう』 思えば、辞めて食を探すかなあ~ と思う。
ちなみに私三之橋が会社員1年生になって死にそうな危険な出来事は入社してすぐに認知症みたいな役員の人が好きな買い物を邪魔したと思い込まれ杖で頭を殴られそうになった事1件くらいでした。
会社で仕事をしていて会社の人にいきなり殴られる事を想定している人は少ないと思うので、まあ驚く感じはあった。
意外に思われるかもしれませんが、人は自分の死が近づくと何か嫌な予感しかしなくて、振り向いたら殴られる1歩手前だった。
もしも守護霊がいた場合、『できれば3日前くらいの事前の知らせて欲しいなあ』 と思う感じ。
例えば、高校生の頃に虐めっ子という、頭のおかしな人に無実の罪を着せられて退学になりそうになった時でもそうですが、何の議題とかも知らされずに行ったら、自分の退学勧告決議案だった。
『うわっ、これを2分とかの時間でどう切り抜けるのか考えるのって難しくない?』 みたいな感じ。
国会でも質問のある人は前日までに書面を提出するとかしていると思うのですが、いきなり質問され、「こんなふざけた人がこの世にいるなんて信じられない」 と怒らせてしまった。
ことわざのようなものに、”怒りの心情は自分の運気を下げるだけ” とあると思うのに怒りまくりそのままドミノ倒しのように崩れていく人たちがいた。
無実の罪を着せられて退学になり、もう人生終わったと悲観して首を吊って死ねとか言われる。
でも、動物とかの中で自殺するのは人間だけって言うじゃないですか。
山の中で首を吊って自殺したら犬に食べられてしまうので自分がかわいそうじゃないですか。
高級ホテルの綺麗な部屋で、睡眠薬でも飲んで翌日は確実に発見される方がまだ良くない? って思うじゃないですか。
せめて自殺する時のやり方はその人自身が好きな方法を選択するべきだ。 みたいな発想が欠落している。
会社員になって、電柱の上の高所で作業する仕事が危険だと感じてすぐに電力系の会社を辞めたという息子さんがいた人がいたのですが、たしかに危険な仕事だとそうなると思う。
大金を運ぶ仕事で、よく、「強盗に遭うんじゃないですか」 みたいに訊く人がいたりするのですが、強盗に遭った事はない。
ある大先輩の息子さんの場合は、高い所で作業する研修とかで足が震えるとかが止まらず、それが続いたらもう頭がどうにかなりそうな感じになるとかですぐに辞めてしまったらしい。
でも、高級車に乗って運転して銀行に行くとかで震えるとかないじゃないですか。
海外の刑事ドラマを観ている時に、「イタリアのことわざに、”慌てて行動するのは死に急ぐ事になる” というのがあり、もっと慎重に考えた方が良い」 と言う台詞があったりするじゃないですか。
大学生だった人が新社会人デビューして会社員1年生になった時に、そもそもすべては上手くいくというわけではないので、失敗して注意されたら大学ノートに注意された事を記録していき、1年とか経った頃にそのノートを読み返してみて、失敗を繰り返している人なのか? をチェックしたり、危険な目に遭ったとかをチェックすれば良いと思う。
どういう理由でも良いのですが、1年で会社を辞める。
次に入社した会社で大学ノート2冊目にまた注意された事でも記録化していく。
業界であったり、仕事内容によって注意される内容も変わると思うので、いちいち気にしないで書いておく。
どの会社でもとりあえず1年間は働くとだけ決めておいて、1年目、2年目、3年目と会社を3つ変わったとして、社会人というか会社員となって3年経てば、3冊のノートがある事になるじゃないですか。
その3冊のノートを読み返して、自分でどういう仕事が良かったとか何となくわかるじゃないですか。
じゃあ、4社目でその仕事とか就けば良いのではないか。
22歳で1社目、23歳で2社目、24歳で3社目みたいな感じで30歳になるまでに見つければ良いのではないかと思う。
1社目で成功を決めようと考えずに、1年で1回仕事を変えても30歳までに見つければ良いと思う。
ただ、30歳にでもなるとさすがに後輩の面倒をみる事ができないとマズいと思うので、それまでの20代で探す。
大きな会社だと、「〇〇さん、辞めてくださいよ」 「嫌です~」 と30年とか働いている人は珍しくないと思うのですが、それってお金持ちのお父さんを煩わせるバカ息子とそう大差ないと思うので、1年とか短い時間で自分で辞める方が良いとは思う。
神様に頻繁にお願いごとをする人は、普段から周りの人にもいろいろお願いしてしまう癖みたいなものがあったりするみたい。
基本として、自分の事は自分でやる。
長い人生生きていれば、自分の手に負えない事があったりするので、俗に言う、”セブン・ウィッシュ” という、誰かが助けてくれるにも上限回数があり、それは7回くらいじゃないか。
みたいな事を小学生とかに通った塾の塾長が言っていた。
塾とかに行った事もない人もいると思うので書いておくと、お寺での合宿とかだと真夏の炎天下でお寺の庭とかの掃除をさせられる。
暑いので汗がダラダラと滴り落ちるのですが、無心になってやらないといけない。
『すみません、僕はこういうのはちょっと苦手なので』 みたいなものはたぶん受け付けない。
やれと言われたら、やるという事が大事。
そんな育ち方をすると、大人になって会社員になった時とかに、「じゃあ、この仕事をやって」 とか言われた時に、『わかりました』 と言ってやる。
でも、育ち方によっては、「僕はその仕事は無理だと思います」 とか言ったりしてやらない。
上司もバカじゃないので、自分なりに新卒入社の部下を見て、やれそうとか判断してやってと言っているので、「面倒くさいやつだなあ」 とか、「育ちが悪いなあ」 と思ったりするのだと思う。
何か変な悪霊でも憑りついているかのようなイメージ。
やった事もない難易度が難しそうな仕事でも、「やって」 と言われると、『はい、わかりました』 と言ってやるだけ。
「こんな仕事は僕にできるだろうか。 ミスったらもうこの会社で終わる」 とか考えたりしないのですか? と訊く人がいるのですが、失敗したらどうしようとか考えない。
やってみないと自分でどういう難しさがあるとかもわからない。
「失敗したらどうなります?」 と訊く人もいるのですが、小学生3年生の子供が考えても、クビになるとかがじゃないかと思う。
”考えるには2つあると思う。 1つは自分にできない理由を考える人。 でも、どうすればそれができるのかを考えるというのもある” とか言う人がいるじゃないですか。
そんなややこしい言い方をするからわかりづらいと思うのですが、最初から、『どうすればそれが上手くのかを考えながらやる』 みたいな事しか塾では教えていないと思う。
そういう習慣というか、育ち方なのだと思うので、上司から見ればそういう人を部下にした方が良いのだと思う。
塾って、いろいろなイベントとかあるのですが、みんなで初詣に行くとかはない。
小学生のガキは、「たぶん塾長はいつも言っているのが、自分を救う事ができるのは自分だけと言っているからじゃない?」 とか言っていた。
塾長の話は面白いのですが、たぶん信じてもいない。
大学生になって入学式の日にはもう車の運転技術でこれから先の人生が変わるとか、言っている事が難しく感じて馴染めそうにもない感じだったので、たぶんそれで塾長の言っていたやり方を真似てしまった。
大学を卒業して新社会人デビューして会社員1年生になり、すぐにメチャかわいい部下ができて朝から晩までしゃべる相手に困らなくなった時に、ふと、『あの人の言っていた事はほんとだったみたい。 このやり方で良いみたいなので続けよう』 と思ったりした。
そんな感じで神様から遠い立ち位置になったのだと思う。
昔は駅によくキャッチと呼ばれる人がいた。
大学の往きや帰りの駅に行くと、「アンケートをお願いします」 とか渡される感じ。
田舎から出て来て、友達ができないと孤独感を感じて、自分に声掛けしてくれる人が良い人に見えて心に刺さる。
それでその宗教が好きでもないのに、一緒に活動するようになり宗教のハマるとか、MLMにハマるらしい。
電車通学友みたいな人がそんな話をしていて、「キャッチの人に声掛けされたら、友達と待ち合わせて時間がないと言えば良い」 と言われ、魔法の言葉のようなものを教えてもらえ、実践していたと思う。
大学生って、キャッチが苦手とかで大学そばに住んでいるとか、車で大学に行くとかで駅に行かない人が多かった感じがある。
大学生の場合って、「あれには気をつけろよ。 対策はこうする」 みたいな事を入学式の日とかその段階で教え合うみたいな感じがあったので特に困らない感じだった。