今回は、なぜ虐められたの? という高校生時代に新しい環境に順応できず、馴染めないという所から虐めに遭ったというお話になります。

 

 

よく「お前の人生をメチャクチャにしてやる~ と虐められるのは相当強い恨みになるので、三之橋さんあなたいったい何をやらかしたのですか?」 と訊く人もいる。

 

 

何かをやらかしたという足し算ではなくて、足りなかったという引き算だと思う。

 

 

私三之橋の場合は、高校生になった頃に新しい環境に順応できず戸惑っていたと思う。

 

 

幼稚園生2年、小学生6年、中学生3年というの合計11年間は家のそばを中心に動くので、幼稚園でも小学校でも行くと何となく同じ学年の人の顔とか見た事のある顔がたくさんあったりするじゃないですか。

 

 

でも、高校生になると1人ボッチでのアローンスタートみたいな感じで知らない顔が増える。

 

 

それに対して生徒の数も増えるので、『知らない人ばかりに囲まれている1人ボッチ感』 みたいなものがある。

 

 

潮目が大きき変わった事で環境に順応するスキルが低いみたいなものを自分で感じてしまう。

 

 

それまでだと新しい学校に行くというシュチュエーションでは何か抵抗感がなかった。

 

 

でも、それまでと違い、何かそのフィールドが自分にとって苦手感みたいなものになると行くのも楽しくない。

 

 

ある日同じクラスの男の子とちょっと仲良くなった。

 

 

売店で買ったジュースでも飲み、教室に戻る時にトイレに行ったりして、何となくそれって嬉しかったりするじゃないですか。

 

 

その子の家に学校が終わって遊びに行くとかの関係ではない。

 

 

連れション友達とでも言えば良いのかもしれない。

 

 

学校の中でいつも1人だったのが、誰かと一緒に歩くみたいな、学校の中だけ付き合ってくれる男友達ができたというちょっとした前進した感じが嬉しかったりした。

 

 

ある日囲み取材のようにその子がみんなに囲まれていた。

 

 

「僕は病気でそんなに長く生きられない。 オシッコが出ないので学校ではトイレにも行かない。 ジュースも飲めない」 みたいな話をしていた。

 

 

病気の話とか聞いた事もなかったし、トイレに行こうぜ~ と言ったら隣に並んだしていたので、トイレに行かないとか言われてもそこまで横でじろじろ見ないので気づかなかったので、『えっ~~~~』 みたいに驚いた。

 

 

雰囲気的なものでいえば、お金持ちの家の子で莫大な資産を相続するはずが、自己管理ができず贅沢し過ぎたりして体を壊してしまい、親よりも早く死んでしまう人みたいに見えた。

 

 

例えるならば、宝くじで6億円の高額当選券が自宅玄関前に落ちていて、それを偶然拾ってラッキーマンとなり、でも換金前には死んでしまうという残念な人。

 

 

ぱっと見、金持ちの家の子という事で周りの学生が羨むというか妬むような人なのに、でも、もうすぐ死んでしまうという残念な人でもあったりする。

 

 

高校生くらいの年齢ですと、「お前もうすぐ死んでしまうのか? 来年3月まで生きられないのか?」 とか残酷な質問をして目がメチャ楽しそうに笑っていたりするとかがある。

 

 

「大学生になるまで生きられないのに、勉強するなんてすごいね~」 とか。

 

 

それは俗に言う、”首つりゲーム” だと思った。

 

 

もしも言われた事がショックでその子が自殺でもすれば、「僕たちは虐めた事もないし、ただ病気の事を訊いてみただけで、体1つ触れていないので」 と言って終わる。

 

 

たぶんその子が首を吊って死ねば、「勝手に死んだ」 となる。

 

 

また、その子が首を吊る事を目的にもしていない感じで、周りの子に、「俺たちに逆らえばお前もこうなる」 みたいな同調圧力という感じの方が強いのかもしれない。

 

 

映画とかテレビドラマだと、「俺は友達を見捨てない」 な~んてカッコいい台詞を言って死んじゃうのですが、現実として善人に程遠い人が何人もいるクラスでそこまではできないというか、怖いじゃないですか。

 

 

それで、初めてできた友達には違いないのでその子に病気の話とかをしないようにしようと思った。

 

 

たぶんそんな感じで私三之橋だけが参加しないというのが頭にきたのではないかなあ~ と思う。

 

 

イメージのようなもので言えば、将来誰かと結婚してその奥さんに高校生時代の時の事を訊かれた時に、『俺は高校生の頃に虐めグループに入っていて3人ほど殺した』 なんて言うのは嫌じゃないですか。

 

 

かといってバレないように、祈り、ずっと秘密を隠し続ける生活は嫌かなあ~ と思った感じ。

 

 

クラスのそういう何か黒い人たちに馴染めないというか溶け込めそうにない自分が嫌でもあった。

 

 

そういう風にどこかその人達を否定した感じになってしまった事で怒りを買ったのだと思う。

 

 

虐めっ子が最大限の苦しみを与えてやろうと考えた事で級長にさせられてしまった。

 

 

級長は襟章に売っていない、”級長バッジ” というのを制服に着けないといけない。

 

 

中学生の頃に引きこもりになった友達に家に行ったら、「えっ、三之橋君って級長しているの?」 と驚かれた。

 

 

学校の事を訊いたりしないのにさすがに級長バッジはその日に気づき訊かれた。

 

 

引きこもりの子のお母さんも級長バッジを見て驚いていた。

 

 

「うちにやってくるバカ息子の友達はみんなバカなのに1人だけ級長バッジを着けている子がいた」 みたいな驚き。

 

 

学校で授業が始まると、先生がまず「先週痴漢事件があり、お前らも気をつけろよ~」 なんて話を振ると、「それ三之橋が犯人じゃないか~」 と言われクラスが異常に盛り上がる。

 

 

学校の授業は、理事長が巡回して見たりする。

 

 

学校の中で1つだけこのクラスの生徒が活き活きとしている。 みたいに見えてしまう。

 

 

なぜか?

 

 

戦後受験ノイローゼとか事件があったりして、テレビドラマ熱中時代とかで主人公の水谷豊さんが学校が楽しく感じられる先生を演じ、全員が手を挙げられるように、①自信をもって答えられる人はパ~、②答えがあっているのかよくわからない人はチョキ、③わからない人はグ~を挙げて全員が「はい、はい」 みたいに叫んで手を挙げる。

 

 

じゃあ、グーの〇〇答えてみて、と言ってクラスがその答えで爆笑となる。

 

 

そういうのを日本全国で真似る学校の先生などが出た。

 

 

予備校でも、名物先生という、「話の面白い奴を先生にすれば生徒が集まる」 という風になっていった。

 

 

虐められているだけなのに、おじいちゃんの理事長から見れば、「あの三之橋のクラスだけは特別楽しそう」 と見えてしまう。

 

 

バスとかに乗っていても、女子高生とかOL姉さんに、「あの人級長って書いてあるのできっと頭も賢いのじゃない?」 とか言われる。

 

 

世の中に多いのは、なんちゃってエリートみたいな人で、何得なく良さそうなエリートに見えた男性と結婚した女性が結婚後になんちゃってエリートだったと残念な人の気づくとかある。

 

 

でも、学校から渡された級長バッジを着けている学生は、なんちゃってエリートでなくてホンモノという風にしか見えなかったりする。

 

 

そんな感じ。

 

 

級長にさせられてしまったという残念な人に過ぎないのですが、なぜか内申書の点数は爆上げみたいになってしまった。

 

 

映画、”ブルーサンダー” と同じ世界ですよ。

 

 

悪党がそのヘリを空中で撃墜させようと命令を出したらミサイルが飛んできてしまい当たるのはさすがに嫌なので避けてしまい、「何~、ヘリにミサイルを売ったら民間のビルが吹き飛んだだと~、お前ら何やっているんだ~」 ってなるじゃないですか。

 

 

虐めっ子にもプライドがあったりするので、「次こそは絶対に外さないように1度で地獄に送ってやる」 となってしまう。

 

 

それが、無実の罪を着させられてしまいその結果退学になり、もう人生が台無しだ~ と嘆き自分で首を吊って死ねという作戦。

 

 

担任の先生にも責任を取らせクビにして、メチャかわいい彼女との予定している結婚式もさすがにクビになった先生とは無理となり、往き場失い首を吊って死ぬみたいな恐ろしい計画。

 

 

でも、そういう計画を立てるだけであれば頭のおかしな人で済むのに、それを実行してしまったらどうなります?

 

 

もうワイドショーにバレたら学校が吹き飛んでしまうとか高校生くらいの知能であればわかるじゃないですか。

 

 

殺人を目的に行動してしまっていた。

 

 

運良く刑務所送りを逃れたとしても、普通は退学で責任取らされるかなあ~ と思う。

 

 

自分が嫌いな人に無実の罪を着せて退学にさせて、自殺させようとかするというのは、普通に考えたらその人自身が1度辞めさせられて履歴書がおかしくなっている犯歴があるのだと思う。

 

 

もしも親が権力者で1度転校させていた場合、2度目は厳しいのではないか?

 

 

そもそも、故殺(こさつ) と、撲殺(ぼくさつ) って違うじゃないですか。

 

 

高校生の男の子が誰かにからかわれてそこで口論になり、そのまま殴り合いの喧嘩になり、打ちどころが悪くて死んだりすれば撲殺じゃないですか。

 

 

でも、虐めをみんなに命じて、数日後とかに実行されたとかの場合、普通は故殺かなあ~ となる。

 

 

転入させてくれる学校があるのかも疑問ですが、その場合、転校2回なので履歴書的にはマズい気がする。

 

 

そこまでのリスクを背負って虐めていたというのは、頭の悪い人となると思う。

 

 

そもそも不思議な事ばかりだった。

 

 

学校や会社で問題が発生した場合、生徒1人1人を呼んでヒアリング調査していくと思う。

 

 

理事長室にクラスの子を読んで、担任の先生をオブザーバーに座らせて事情を聴き、「あなたが何を言ったとかみんなにわからないようにしますので正直に何があったのか?」 を教えてくださいと言う。

 

 

そこで得られた情報をから一体何があったのか? という事を推察して、後は名前の上がった人を呼んで直接反面調査をするのが信ぴょう性の高いやり方だと思う。

 

 

でも、そうではなかった。

 

 

いきなり公開裁判みたいな場に呼ばれ、「三之橋さん、あなたのクラスで何が起こったのか? を説明してください」 と言われた。

 

 

普通に考えるとヒアリング調査して何が出るとかを記録に残すのが嫌なのではないかと思った。

 

 

そう考えると理事長が聞いて気を悪くする事は言わない方が良いという事になる。

 

 

ひょっとしたら、「三之橋さん、あなたのクラスなので何をどう責任取らせるというのはあなたがチョイスしてください」 みたいなものかもしれない。

 

 

最初にヤジが飛んで、「もうネタは上がっているんだ~」 と言っていた人がいた。

 

 

『何だお前、刑事でもやっているつもりか~』 みたいに思ったのですが、そもそもすでにヒアリング調査で決定的な証言を得ている場合、わざわざそんな事を言う必要はない。

 

 

何かを証言させて、嘘をついたという時に、「三之橋さん、実はねすでにこういう証言を得ており、今の話は嘘をついたという事になりますが、どうお考えですか? 私たちはバカじゃないのでそのくらい証言を得た上でこのような事をやっています」 とそこで言った方が切り札になり、言い逃れできなくなるので責任取らせやすいと思うのです。

 

 

そう考える、『ブラフか。 そもそも嘘の証言をわざわざ自分の名前でやるというのは自分が犯人ですという話になるので誰も証言するものがいなくて、”実は私はこういう噂を聞きました” みたいな伝聞でのタレコミなのか』 と思ってしまった。

 

 

そうすると、余計な事さえ言わなければ何とかなる。

 

 

もしも、退学が決定した場合、『証拠の提出も証言もなく、私三之橋も自供であったり追認したわけでもないのに退学にさせられた』 と福岡市議員の先生に泣きつけば、どこかの高校に転入させてくれそうじゃないですか。

 

 

もしも、理事長が意見を言う時に、「あの子たちはまだ子供なので、証拠の提出もない、証言もない、本人の自供すらないのに退学を決定してしまっている。 でも、社会の仕組みと照らし合わせた場合、”疑わしきは罰せず” となるのが正論となるので、これは何も無かったという落としどころにした方が良い」 と言って、どうせ理事長に意見できる人なんていないので、「さすが理事長さまです~」 となるじゃないですか。

 

 

例えば、三之橋という級長バッジを着けた生徒が福岡市議会議員の先生の所に行く。

 

 

その時のシナリオとして、頭の悪い人でなければ、証拠の提出もなく誰か証言する者もいなく、本人が自供すらしていないのに責任を取らされた退学になったというのを訊けば、「それはおかしいな」 となるじゃないですか。

 

 

それで、虐めっ子の主導者は誰? という部分で教育委員会にでも照会して過去に問題を起こしていないか? とか確認すれば、自分が嫌いな人を無実の罪を着せて退学させて殺そうとするという人なりの犯歴が出てくると思う。

 

 

そうすると、「あの学校は外面は良いけれど、中身は裏の顔があるんだ」 となるじゃないですか。

 

 

福岡市議会議員の先生であったとしても、権力者の子供が虐めたとかの調査に首を突っ込むと政治生命が終わる可能性も無きにしも非ずじゃないですか。

 

 

そういう風になるので、俗に言う、”お土産” というのはきちんとあった方が良い。

 

 

全国のワイドショーに出るくらいのネタですと、「なにとぞこれで無かった事にしてください」 と理事長は大金を積んでテレビに出ないように、教育長に知られないようにとした方が良くない? となる。

 

 

仮にもしも三之橋という生徒が、退学になり、福岡市議会議員の先生が出て来た事で再度入学となるとどうなりますか?

 

 

学校の中の書類なので、退学の関係書類を燃やして処分して、再度入学の書面も燃やしてしまえば、最初から何も無かった事になる。

 

 

その場合、福岡市議会議員の先生は、学校関係者が味方に付く事になるので遊んで仕事をしなくて次の選挙でも当選確実じゃないですか。

 

 

仮に三之橋という生徒が転校になったら、それはそれでワイドショーにネタが提供されてしまい、学校が終わるのである事ない事書かれて最後は理事長が首を吊って終わらせるしかない。

 

 

ワイドショーに出てしまった福岡市議会議員の先生は、もう国会議員にアップグレードになるみたいな感じになる。

 

 

人生はシーソーゲームなので、敗者が出ると反対側の人の人生が好転するじゃないですか。

 

 

私三之橋は未成年なのでワイドショーでも週刊誌でも少年A君という虐めの被害者となる。

 

 

でも、学校は、学校Bとかならず実名公表される。

 

 

学校1つそうなると10億円とか20億円の甚大な被害が出て終わるので、理事長が首を吊り家族も大損となる。

 

 

でも、それってそもそも子育てのできない権力者のお父さんがいた事でそういう被害に遭ったとなると、どうでしょう?

 

 

その権力者であってもお父さんは耐えられるかなあ~ となる。

 

 

ウクライナの戦争で、パトリオット迎撃ミサイルは3段階と言っていた。

 

 

1段目でどうしても外してしまう事があるので、2段目で何とかして、3段目でもあるので安心なのだとか。

 

 

最初の迎撃ミサイル発射で学校がダメージを受けて、虐めっ子のお父さんがワイドショーや週刊誌に追いかけられて例えそこで首を吊らなかったとしても、それはそれで良いのではないかと思う。

 

 

もう自分のバカ息子がバカな事をしても庇いきれない状態に陥っているので、悪さができない。

 

 

もしも自分が誰かに嫌われてしまい、その事が原因で無実の罪を着せて退学させられそうになったとします。

 

 

実際にそれで退学になって、どこかの高校に転校したり、あるいはどこにも転入できずに高校中退となったとします。

 

 

その結果はどうでも良いと思う。

 

 

重要な事はその虐めた人が2度と三之橋という人に悪さができなくなったのか? というのがサプリームプライオリティだと思うのです。

 

 

自分のお父さんに言う時の想像をしてみてください。

 

 

『お父さん、僕は高校で同じクラスに余命いくばくもない病気の人と友達になった。 もうすぐ死んじゃうので少しくらい前倒しになっても問題ないとみんなが首吊りゲームをしていたので、虐めに参加しないと自分がやられるだけ損なので一緒になって虐めた』

 

 

『お父さん、僕はその他にも担任の先生がアイドル似のメチャかわいい彼女と結婚するという事に対してみんなが妬み、問題を起こしてその責任を取らせて学校を辞めさせて、無職になった事で結婚が台無しになり人生に悲観して首を吊って自殺するという虐めを虐めっ子が言い出したので、それに参加して辞めさせた』

 

 

普通に考えたら怒りを通り越して捨てようとなると思う。

 

 

福岡市議会議員の先生に泣きつく時でも被害者は被害者として説明して、最後に、『僕は不器用な人間で、時代おくれの人だと思いますが、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします』 と言った方が良さそうじゃないですか。

 

 

学校で虐めに遭ったことで引きこもりになるとか、自殺するなんて人がいる。

 

 

でも、それって死ぬ必要もないと思うし、普通は死ななければ損害賠償でお金持ちになるだけだと思う。

 

 

テレビニュースで、虐められた子が虐めた子をナイフでめった刺しにしたとか遭ったりするじゃないですか。

 

 

でも、どうしてももう人生終わった人にわざわざ自分の手を汚してまでそんな事をするのだろうかと思う。

 

 

例えば、虐めっ子が大学生になり、卒業して新社会人デビューしてどこかの大企業に入社して、役員の娘さんと結婚したりして、2人の娘さんが生まれて、『俺は成功者だ~』 みたいになる。

 

 

そんな頃に善意の第三者から1通の手紙が奥さんに届き、そこに高校生時代にご主人が人を虐めて殺していたような事が書いてあったりすればどうなります?

 

 

奥さんのお父さんやお母さんから見れば、「あの野郎、俺をペテンにかけやがって」 となるのではないでしょうか。

 

 

世の中には犯罪を犯して刑務所に収監されていた人が、内緒にして奥さんと結婚していたりして、奥さんのお父さんやお母さんから関わらないように気持ちが離れてしまうとかあるじゃないですか。

 

 

例えば、覚せい剤をやったとか、ヘロインをやったとか、まあそれって法律的には問題あると思うのですが、被害者がいるのか? という部分で笑って許せるのかもしれない。

 

 

でもね、いつも口裏を合わせて無実の罪を着せて退学させてクビにさせてショックで自殺したとか、そういう1度も犯歴照会でヒットしない悪党だったらどうなります?

 

 

映画でも殺人鬼とか、サイコパスの子供を産んだ母親が、「将来変な人にならないか」 と悩むとかあるじゃないですか。

 

 

もしも、離婚するのはちょっと、そう思っても、同じ家で暮すのは不安にならないでしょうか。

 

 

奥さんのお父さんがエリートだと、義理の息子の系譜は気になると思う。

 

 

ある日息子の昔の犯罪のネタが周囲にバレたらと思うと、10年持つかなあ~ と思ったりする。

 

 

人を殺そうとしたというのは、時効がどうの? という問題でなくて、ある日それがバレたら人生がドミノ倒しのように崩れていくという事なので生きていて毎日笑いが止まらない人生とは程遠いような気がする。

 

 

俗に言う、”取返しの付かない事をやらかしてしまった” というやつですよ。

 

 

自分がズル賢い事でガンガン出世した場合、同じ虐めっ子仲間だった人の誰かが同じように出世できずに、「昔の仲間なので金を融通してくれ」 とせびりに来たりする。

 

 

「俺は会社員ゲームでミスってもう終わった残念な人なので週刊誌に載っても失うものなんて何もないけれど、お前は大変だよな~」 と言ってお小遣いせびりに行くじゃないですか。

 

 

テレビのサスペンス劇場みたいに、「一生ゆすられるならいっそのこと口封じで殺してしまおう」 となったりしないか。

 

 

そもそも虐めっ子グループって1人じゃないので1人殺しても2人目が出てきてしまう。

 

 

そんな感じでわざわざ虐められた被害者が自分の手を汚さなくてもその虐めっ子の人生なんてそんな感じじゃないですか。

 

 

虐められた被害者は、その点が大きく違っている。

 

 

会社員となって飲み会とかのネタで、『私三之橋は高校生の頃に虐めっ子に目を着けられて殺されそうになった』 とか話すと、「えっ~~~、それネタじゃなくて実話ですか~~~」 となる。

 

 

飲み会のネタには困らない。

 

 

可哀そうな人と思われるので、「三之橋さんには優しくしてあげよう」 と思う女性のOL姉さんが出てくる。

 

 

例えば、虐めっ子だったというのが自分の旦那だったりすれば、赤ちゃんを産んだ奥さんとかはショックを受けたりするし、自分がいつか殺されるか、似たような被害に遭うとか思ったりする。

 

 

離れたいとなる。

 

 

その点虐められる被害者は違っている。

 

 

例えば、私三之橋は大学を卒業して新社会人デビューして会社員1年生になった時に同じ課にお局様界大ボスの認知症のおばあさんに虐められている。

 

 

入社して1カ月後に短大卒のメチャかわいい女性が入社して部下になった時に、いつもお局様界ナンバー1のおばあさんに虐められていると部下に言うと、「私もあの人苦手です」 と言って仲良くしてもらえる。

 

 

高校を卒業して入社し10年ベテラン選手みたいなOL姉さんに、「ねえ三之橋君ちょっと訊いても良いかな。 〇〇さんに何て言われたの?」 とか訊かれる。

 

 

『三之橋さんはお洒落さんですね、部長みたいな恰好して。 仕事できないのにね。 そう言われました』

 

 

みたいに正直に話すと、「えっうそ~、そんな事を言われたの~。 でも、あの人なら絶対言いそう~」 と言って机をたたきながら大笑いし涙を浮かべという感じになる。

 

 

会社員になって空気感からそのお局様界ボスのおばあさんはヤバいと思い、ぶつからないように気をつける。

 

 

会社にいる人のほとんどはその人に何か言われると、「はい」 しか言えない。

 

 

みんなそんな風に気を使いまくっているのに新入社員の三之橋は入社したら即日ぶつかったとかを見たら驚くじゃないですか。

 

 

話して見たらの三之橋君はメチャ面白いとか言われ社内に伝播する。

 

 

別に部下のメチャかわいいOL姉さん部下も、10年働いているベテランのOL先輩姉さんでも、三之橋がタイプだからとかでなくて自分が苦手な人だと感じる人に虐められているという三之橋が同じ種類に感じるのだと思うので優しくしてくれるのだと思う。

 

 

ブログにも書いているように社長の自宅とかに呼ばれたりするように、たぶん自分に何かをするような人に見えないというそばにいても良いよと思われるのだと思う。

 

 

高校生とかが学校で虐められて死んでしまう人がいるのですが、高校生なので自分で将来ずっと村八分のように遭うという風な変な想像をしてしまうのでそういう風になったりするのだと思うし、逆に虐めっ子をナイフでめった刺しにして刑務所に収監されるなんて人も同じようにスジヨミができないからそういう風になるのだと思うのです。

 

 

別に虐めっ子や虐められっ子でないような人でも、大人になって会社員になった時に机が隣の人に、「一緒にいると不快」 と思われている人なんていくらでもいると思う。

 

 

虐められたら、それは自分的には想定外だったりするのでショックはショックである。

 

 

そのショックというのは、経験した事のない事になるので、頭の中が混乱するといえば混乱する。

 

 

その混乱で自殺する人もいると思うし、ナイフでめった刺しにして被害者のままで良かったはずなのにやらかした事で刑務所に収監され、連動してお父さんもお母さんも妹も家族まで巻き込みみんなの人生が終わったりする人がいると思う。

 

 

私三之橋は虐められた事で何を学んだのか?

 

 

と訊かれれば、新しい環境に順応スキルが低いと思った。

 

 

潮目が大きく変り、新しい環境に戸惑うみたいな性格だったのだと思う。

 

 

大学生になった時には、一気に反転させた感じで、それまで右手で箸を持って食事していた人がある日から左手に箸を持ち替えるみたいに変えた。

 

 

それで入学式の日に、国産高級車の新車に乗って来て子に同じクラスだった事もあり、声かけしていた。

 

 

「俺はさ~、4年後にはどこかの会社に入社して営業車に乗っているつもりなので、その時に自分が困らないようにこういう風に車を買って公道で実践練習している」 と語っていた。

 

 

その長い、長い話を要約するとこれから先の人生は車の運転技術の習得が大きく左右するファクターなので15歳で始めたアルバイトで貯めた300万円で新車を買い、車で大学に来てその結果3,000万円のように返ってくる投資なんだという話は聞いている。

 

 

それまでの高校生時代までは、『あの人とっつきにくそうだなあ~』 と思えば声掛けもしないし同じクラスが終わるまで一言もしゃべらないでやり過ごすとかしていた。

 

 

今までの自分史上で1番頑張ったのかもしれないのですが、1時間くらいその人の話を聞いて、きちんと言っている意味も理解した。

 

 

周りの子にもヒアリング調査した結果、もうみんな普通自動車運転免許証を取得して、中古で普通車サイズの車もお父さん名義でローンで買って乗っていたとか、同じようにやっていたというのを確認した。

 

 

それも自分史上高校生までは絶対にやらない事だったと思う。

 

 

それまで高校生時代までは、新しいクラスになっても自分が仲良くなりたいと思う人と話すけれど、そうでないと特に話すという事はしなかった。

 

 

でも大学生になったら、一気に同じクラスの人に声掛けして、「俺の家の来る?」 と言われるとそのまま行って下宿であったり、アパートであったり、賃貸マンションであったり、その人の暮らす部屋にあがってコンビニで買った弁当を一緒に食べるとかして、その人がどこから来てどういう部屋に住みどういう趣味があるとか話をしたりした。

 

 

みんなが車の運転でこれから先の人生が変わると言ってやっていたので、それも真似ておいた。

 

 

同じ大学生で同じクラスの人が1番興味を持っていたり実践しているという車の運転をしないと話が合わなくなるかな? みたいな感じでしょうか。

 

 

それもたぶん高校生までにはなかった。

 

 

私三之橋は学生時代に女子に告白されて、『それはどう考えても無理です~』 と言ってしまい殴られたとかある。

 

 

わかる人にはわかる話だと思うのですが、良く知らない女子にいきなり手紙でも渡されると、『何だろうこれは、ひょっとしたら呪いのチェーンメールみたいなものか』 と思ってしまいなかなか開けられないとかあった。

 

 

例えば、同じクラスで席が近くて話してみて何かカワイイと感じるとかの好感度みたいなものを感じて、その後に告白されるとかだと、付き合ってみたいと思うのかもしれない。

 

 

でも、名前も良く知らない人だとどういうリアクションで付き合うとかになるのか? が戸惑うとかあるじゃないですか。

 

 

何となく見た目でカワイイとか思って付き合い、しゃべってみて、遊びに行ってみてもしも最初のイメージと違えば、「ちょっとイメージと違ったのでごめんね」 と言って別れるというのも難しいと思う。

 

 

ある日学校から帰る時に待ち伏せされていると、怖いので反対側の門から帰ろうと思ってしまったりする。

 

 

そんな人だったので、大学生になった時にいつも同じ人とだけ一緒に過ごす人は会社員になったら周りの人に溶け込む事ができずに苦しいだけの人生になるとか言っていたので、いつも同じ男友達とバディシステムを組んで一緒に大学に行っていたので、『自分みたいな人かなあ~』 と思ったので、ワンデー彼氏に応募した。

 

 

「私は20歳の女の子です。 普段は会社でOLしています。 彼氏はいないのですが、今度の日曜日に1日だけ彼氏になってくれてドライブに連れて行ってくれる人を募集しています~」 みたいなものに応募して、全然知らない人と初めて会い、その女性の希望するなんちゃって彼氏を演じ、ドライブして遊ぶみたいなもの。

 

 

出会ってちょっと走って、ランチとかにカップルを装ってイタリアンのパスタを食べるとか。

 

 

全然知らない女性と2人切りになってカップルを演じ食事をするというのは、しゃべる事ができないと空気が重たくなり、相手の女性がもう帰ろう~ となるじゃないですか。

 

 

大学生となり、いつか大学を卒業してどこかの会社に入った時に、そこにOL姉さん達が大勢いて、電算室に端末が置いてあってそのOL姉さんの隣の端末の所に座り、データ入力しながら、「昨日あのテレビは観た?」 とか言われた時に、『あれですね、観ましたよ~』 何て感じで他愛もない話をする。

 

 

もしも、黙って仕事をしていれば何を考えている人なのかがわからず気持ち悪いとなってしまうじゃないですか。

 

 

昔はよく女性はクリスマスケーキのように例えられて、クリスマスケーキって予約してそれ以上作り、オフィス街とかで高値で売っていて、それが次第に値下げされて売られる。

 

 

30歳までに寿退社するみたいなものがあり、18歳の高校卒業して新卒入社してOL姉さんとして働き27歳とかになると結婚をするか、転職するか、それともこの会社でOL姉さんを続けるかとか悩むので、30歳前の20代のOL姉さんが1番多い。

 

 

私三之橋が大学卒業して22歳とかで、OL先輩27歳の人に、「ねえ三之橋君、これからランチなら一緒に食べない? 私が入社祝いに奢ってあげるから」 と誘われてそこで、『僕はちょっと1人で食べたいのでごめんなさい』 と言えば、マズいじゃないですか。

 

 

1人でお店に入って食べると何か残念なOL姉さんに見えなくもないので、誰かと食べようという気分の日もあると思う。

 

 

でも、一緒にランチを食べる時に、他愛もない会話ができないと、マズいじゃないですか。

 

 

人に溶け込むというのは、才能ではなくて努力となる部分だと思うので、大人になった時にそのOL先輩姉さんともう5年とか10年一緒に働いてきた人同士のような間柄のように見えるくらい、他愛もない会話をして、お店の人が長年の同僚みたいに見えるくらいでないとダメだと思う。

 

 

でも、大学生18歳の時でも、27歳とかの何の利害関係もないOL姉さんと他愛もない会話とかしていないので、まあ場数を踏んでおくしかないじゃないですか。

 

 

そういう風になったのも高校生までの頃には、全然やった事も考えた事もなかった。

 

 

「人はある日想定外の虐めに遭ったらどうなるのか?」 という部分の質問もあるのですが、そもそも虐めに遭って無実の罪を着せて退学させられ人生詰んでしまった事で自殺するみたいなものだと、別に死にたくないので何とかするしかないじゃないですか。

 

 

私三之橋の場合は、説明しろと公開の場でいわれ、2分とか真剣に考えて何とか切り抜けたので死んでいないのです。

 

 

『ふう、やれやれだぜ』

 

 

そんな感じで何とか死なずに済んだ。

 

 

100人の人にヤジられてしまい、その翌日に学校に行くとアンチの人が1,000人くらいまで増えてしまい学校が炎上したような感じだった。

 

 

鼠算式にアンチが増えたので学校を休んだ。

 

 

そういう風に自分で自分を救うという結果なったのですが、その後はどう変わるのか?

 

 

人生に躓いたという事になるので、何か自分なりに徹底分析した感じでやり方を全面的に変えた感じ。

 

 

高校生で自殺まで追い込もうとした人がいたという事は大学生だともっとさらに悪化する事が起きるのかもしれないので、入学式の日に1人で電車に乗って大学に向かう時にたぶんそう考え、一気に変えた感じ。

 

 

想像してみてください。 あなたは人生に躓きました。 どうします?

 

 

私三之橋の場合は、自分がある日級長にさせられるという事になった日が、虐めっ子が初めて自分を地獄に墜とすという事を口にした日でしたので、ショックはありました。

 

 

どこか心の中で自分を見る目つきが怪しいとか思っていたから。

 

 

でも、それはどこか冷静に、級長をさせられても何か困るものがなく内申書の点数が上がるくらいじゃないですか。

 

 

それから時間が経って今度は担任の先生と級長の三之橋に無実の罪を着せて退学させて自殺させようと口にした。

 

 

それもショックはショックなのですが、『さすがにそれは実行すれば自分が困る事になるだけなのでブラフか』 というスジヨミになってしまった。

 

 

想像してみてください。

 

 

人を軽い気持ちで虐めて、その子が自殺しようとしたとかになるとそれはもう学校に保護者である親が呼び出されてしまい、「おたくの息子さんはこういう人間です」 と宣告される。

 

 

それはバカ親でも、自分の子供を愛せなくなるかのように見切りを付けるとかになり心が離れてしまう。

 

 

人殺しにもいろいろな種類があり、例えば自分の恋人を殺した人がどうしても許せなくて復讐で自分の残りの人生が台無しになっても実行するみたいな、映画とかサスペンス劇場に出てくるようなものであれば、頭の中が壊れていなかったりする。

 

 

でも、虐めとかで楽しみで殺すみたいな人は、この前の神戸であった面識のない女性を尾行し職場を突き止めオートロックのマンションに入って刺殺事件を起こすみたいな感じ。

 

 

頭の中が壊れている感じで過去にも何度かやっていたりするとか報道されたように、そんな人はバカ親でも庇いきれないとかがあったり、早死にしたりする。

 

 

学校で何か問題が起こるとそれはヒアリング調査されて、1人1人事情を聴いたりするので、自浄作用でどうしても主導者とかバレてしまうじゃないですか。

 

 

数年前に高校生の男子が自殺した件で、加害者の生徒は虐めを認めているのに対して、主導者は裁判でもあれは虐めではなかったとか頑張っているじゃないですか。

 

 

世の中軽い気持ちで虐めていたりする人が多いと思うのですが、どこか線引きをして抑止するという事ができないとダメじゃないですか。

 

 

そういう意味で、『えっ、ほんとに一線を越えてしまったのか』 という戸惑いがあった。

 

 

自分が公開の場で吊るされるなんてそれも人生初体験というシュチュエーションになるのですが、『いったいどうしてこんな事態に陥ってしまったのだろうか?』 というのもわからない。

 

 

自分のスジヨミが大きく外してしまったショックを感じた。

 

 

自分がその場をどう切り抜けるのか? を考える時間なんて2分か3分かというひっ迫感があった。

 

 

ご丁寧な事に、普通はヒアリング調査するというのがセオリーになると思うのに一気に公開処刑みたいになっている。

 

 

太平洋戦争の頃、戦争なので人を殺せと命令されても1割~2割の人は素直にそれができないと言われている。

 

 

それは第2次世界大戦でも世界的に共通していた。

 

 

そんな感じだと思うので、ヒアリング調査であれば、クラスの中の誰かが、「三之橋君は何もしていなくて無実の罪を着せて退学させて自殺させようと〇〇さんが命令した」 とか言いそうじゃないですか。

 

 

級長選挙の投票でも、全員が三之橋に入れていないように、まともな人は実在していた。

 

 

何かがおかしい。

 

 

セオリーであるヒアリング調査を一切しないというのは、三之橋という生徒が責任を負い1人だけ退学するという結論先にありきか?

 

 

参ったなあ~、もしも目の前に2人とかいてその人に答えるのであれば顔色を見てしゃべるとかできるけれど、さすがにミケタの数だとそういう空気を読んでしゃべるというのが無理なので、決め撃ちするか。 まず論理的にどういう筋書きであれば良いのかをグリッドラインを表示してその線を超えない範囲で一気に突っ切るか。

 

 

そんな風に考え、もう学校は捨てようと思った。

 

 

上手くいってもいないのに学校に固執すれば、学校に残れたとしてもそれは地獄だと思うのでさっさと土地勘もない新しい高校に転校して人生リセットした方が良い。

 

 

転校を前提にした会話をチャチャっと組み立ててもう逃げ切ろう~ みたいな事を考えた。

 

 

結果としては、学校をクビにはなっていない。

 

 

でも、「重要なのは結果ではなくて、過程ですよ」 と言うじゃないですか。

 

 

私三之橋の場合は、虐めっ子に出会い、というか頭のおかしな子に出会い殺そうとされるという風な目に遭ってしまった。

 

 

結果としては切り抜けてそれ以降虐められないというものであったので、結果だけを見ればそれは、”成功体験” となる。

 

 

でも、過程を見た場合、そもそも新しい環境に上手く順応できない事があり、その失敗からどんどん悪化を招いていった事で無実の罪を着せて退学させられそうになったと考えられる。

 

 

あくまでも私の知る限り人を虐めて楽しみ、自殺未遂が起こって保護者の心が離れてしまい、そのまま人生転がり堕ちるようになった人の事例とかを知っていた事で、『無実の罪を着せて退学させる作戦を口にしただけで、それってやっちゃうとその人自身が終わりなのであり得ないと思うのでブラフのハッタリだなあ~』 と思い込んでしまった。

 

 

スジヨミが複数ハズれてしまっていて、まさかのヒアリング調査もなしか? とか戸惑いしかなかった。

 

 

引きこもりになった友達がいたり、転校した友達がいたり、どこか普通の人よりもその情報に詳しいつもりだったのでスジヨミがハズレてしまった。

 

 

どうする?

 

 

ゲームチェンジャーでひっくり返すポイントとしてはこのまま1度退学させられたという被害の確定後で間違いないと思うけれど、またハズしたりしないだろうか? と自信はない。

 

 

私三之橋は、根がグ~たらな人なので、あれはどうせブラフに違いない。 そんなスジヨミとなった時に、『もしもそのスジヨミがハズレた場合にはこういう風にしよう~』 みたいなプランBとかまったく考えないという人だった。

 

 

上手くいかない事を前提に行動するとブレてしまい頭のおかしな人になっちゃうじゃないですか。

 

 

自分史上スジヨミがハズレたというのが無かったと思うので、かなりひっ迫感のある中でどうしよう? と考えた時にちょっと反省した感じがあった。

 

 

『今度いつか生まれ変わったらもう少し準備をする人になろう』 みたいな感じ。

 

 

そういう10代によくある自信を持ちすぎみたいな感じで、今すぎ変わろう~ とは思わなかった。

 

 

ただ、大学生になる時にそれまで高校生時代にいつも一緒だったスーパー特待生の男友達と別れてしまった事で、相棒もいなくなってしまったという孤独感を感じた。

 

 

それでやり方を大学の入学式から変えたような気がする。

 

 

例えば、大学を卒業して新社会人デビューして会社員1年生となる人が、まったく何もその為に準備とかしていなくて、「俺は高校生の時でも大学生の時でも同じ学校で男友達がいて困らなかった」 みたいな感じをしなくて、会社員になって潮目が大きく変ってそれまで同じ年齢の人ばかりだったのが下は18歳から上70代までみたいに幅広くなって溶け込めない人がいたりすると思う。

 

 

自分は新しい環境に対しての入り方が良くなかったという事で、人生躓いたんだ~ という風に状況をアクセプトしていた事で、やり方は大学生から変えて、その大学生で同じ会社で働く27歳くらいのベテランOL姉さんと横並びで座った時に他愛もない会話をしてしゃべりながら仕事もするというのを目指した感じ。

 

 

最初の1社目を辞める事になった時に、その会社で20年働く大先輩とかに1番出世街道を爆進していたのに辞めるの? とか驚かれたのですが、出世とか別にどうでも良かった感じ。

 

 

自分は新しい環境に順応するというのは苦手な人なんだという自覚から、さすがに大学生までは相棒がいてバディシステムを組んで上手くやれたとしても、潮目が変わりまくり会社員ではそこまで上手くいかないだろうなあ~ と予想していた。

 

 

入社して1カ月後にはメチャかわいい短大卒の新卒OL姉さんという人生初めての部下ができた。

 

 

普通の人は彼氏になろうとか頑張る感じですが、別に彼女にしたいとか思わない。

 

 

自分が会社員となり、会社の事とかわからない事だらけなので、質問されたらきちんと答えてあげようみたいな感じ。

 

 

そんな時に、『ノクトビジョンシステムを使おう~』 と思った感じ。

 

 

人は会社とかで働いた時に異性となる女性の部下ができたりして、自分で会話が噛み合っているとか思っていても、ほんとは嫌がっているとかある。

 

 

福岡県職員の上司のおじさんが若い女性の部下をホテルに連れ込もうとしたパワハラがあったとかニュースで言っていたりする。

 

 

どんな凄い難関の大学を卒業した人でも、女性の年下の部下ができると上手く指導できないとかあったりするので、そこで前に進めなくなる。

 

 

目にハッキリとは見えないような、空気を読めない人だと非認知の能力がダメとなるので、見えないようなものをもう少し見えるようにするというのがノクトビジョンシステム。

 

 

たぶんそれで新卒で入社したばかりの会社員の世界の事とかもわからない、その会社の事も知らない男性新入社員に年下の女性の部下を着けるとかやるのだと思う。

 

 

部下となった女性は入社すると同時に、”わが社のカワイイOL姉さんランキング” で1位になったような感じがあった。

 

 

ビジュアルが良くて、さらに学歴も良いので、人当たりの良さも含め「この会社はダメで場所に問題があるので辞めます」 みたいにさっさと見切りを付けて転職しそうじゃないですか。

 

 

もしも部細工なOL姉さん部下だったりした場合、再就職が難しいとかの理由で嫌で嫌でしょうがない上司の三之橋との仕事を我慢して文句も言わないのかもしれないじゃないですか。

 

 

そんなシュチュエーションで、『やった想定内だ~、ミラクルチャンスがきた~』 と思った感じ。

 

 

私三之橋の場合は大学生になり車の運転をするようになった時にワンデー彼氏に応募していた。

 

 

会社員になる時に何かをやったのか? と言う点では、”対OL姉さん対策” という特にこれといった関係でもなくて、良く知らないたまたま同じ会社で働いているだけの女性という人と一緒に他愛もない会話をできるというのを目指した。

 

 

世の中に彼女と結婚して、娘さんが2人いて、家の中で自分の居場所がないという事で今夜も仕事が終わった飲んでから帰るなんて人がいたりするじゃないですか。

 

 

新型コロナウィルスの時流行った年には、ご主人がリモートワークやお店を営業できない事で家に居た事で、奥さんが「もう無理」 と言って離婚が急増したとかニュースで報道していたじゃないですか。

 

 

誰かと結婚して奥さんのお父さんやお母さんや、妹とかに溶け込めないとかで葬式で集まったりする時に「マズいなあ、今日はあの人達に会うのか」 みたいになるべく遅れて行く男性とかいるじゃないですか。

 

 

自分的にはそういう可哀そうな自分であってほしくはないのだと思う。

 

 

よく真顔で、「そんな理由で会社員になったの?」 とか驚く人がいらっしゃるのですが、自分が会社員になってデスクで座って仕事を仕事をしていて、もしも隣のOL姉さんが、「あの三之橋の貧乏ゆすりがもう耐えられないわ」 とか忌み嫌っているとかあったりするじゃないですか。

 

 

もしも自分がそんな人であったなら22歳でそれに気づけた方が、残りの人生はまだ修正可能となるので助かるじゃないですか。

 

 

でも、会社というのは入社しないとそれが絶対にわからない構造になっている。

 

 

そうすると大学を卒業して会社に入社して、入社試験とその後に仕事をさせても大丈夫か? とかを会社側がチェックしてくれるので、そこでいろいろなものが見えてわかる。

 

 

朝から晩まで、というか飲み会があると深夜というか夜中までの長い時間を内勤職として過ごしたら問題があれば入社1年生で気づける事になるじゃないですか。

 

 

でも大学を卒業して22歳で電気工事士になってエアコン取付工事ばかりをしていると気づけずに、30歳とかになって結婚して気づくと修正は無理かなあ~ となるので大損すると思うのです。

 

 

テレビのクイズ番組のタイムショックでも、「鎌倉幕府ができたのはいつ?」 と問題を言って、サッとボタンを押して回答したりするのはどこか国立の凄そうな大学を出た人だったりする。

 

 

でも、人生はもっと目には見えないような非認知能力が高い人が出世するとか独占しているとかあるじゃないですか。

 

 

気まぐれな上司の今日の気分はどれなのか? がわかる人が勝っているような世界。

 

 

教科書に載っているようなことをわざわざ会社で上司に訊く人もいないような世界。

 

 

そういう世界で22歳とかでラインに上手く乗っかれれば、もう残りの人生で頭を悩ますものはないかなあ~ と思ったりするので、そこは押さえておきたいみたいな感じ。

 

 

例えば、福岡で生まれ育った人がいて大学が東京だった事でそれまで生まれ育った実家を飛び出して何の土地勘もない誰も知り合いがいない大学に行き、たまたま同じクラスにカワイイ女性がいて仲良くなり付き合ったとします。

 

 

周りのみんなが車の運転をしているという年齢ですので、自動車学校に通って普通自動車運転免許証を取得して、中古で普通車サイズの車を買い乗るようになった。

 

 

彼女と県外にあるテーマパークに車でドライブして遊びに行くという風になり、運転が下手くそで隣の助手席で見ていると危なっかしくて落ち着かず、あまり車で遠出しても面白くもない。

 

 

見た目はチョイイケメンに見えるのに付き合っているとドンくさい感じがしてきて、「〇〇君の運転でドライブしてもイメージと違って面白くもないのでもう別れよう」 と彼女が言ったらどうします?

 

 

昔は携帯電話もカーナビもないので地図本を見てドライブルートプランをチャチャっと組み立てて自分で管理して運転しないといけない感じが今より強くあったりしたので、「俺は車の運転が下手くそなばかりにせっかくできたカワイイ彼女が逃げてしまった」 という失敗感を強く感じ、車の運転を今より上手くならないとこの先もずっと同じ事の繰り返しじゃないか? みたいに変わると思う。

 

 

でも、同じように田舎から東京の大学生になった男性がいて、その人は別にカワイイ彼女とか4年間でできない感じで、周りの人と同じように自動車学校に通い、普通自動車運転免許証を取得して、普通車サイズの中古車を買い乗って、でも最初からずっと運転は下手くそなままだとどうなりますか?

 

 

たぶん、その運転が下手くそな事で普段何かを失ったとかの経験がないと、別に運転が下手くそでも何か損するわけじゃないしなあ~、 みたいな感じになるので、成長しないまま大学を卒業して会社員になり、そこでもずっと同じような感じで変わらないと思う。

 

 

車を運転している時に斜め前とか前の車の運転が下手くそだったりするのを見るとかはざらにある光景だと思うのですが、その下手な運転をしている人が申し訳なさそうに運転しているとか無いと思うのです。

 

 

そんな感じだと思うのです。

 

 

よく大学で難関国立大を卒業した人が会社員になり、その入社した会社で誰か周りの人が直接その人にダメ出しをするとかをしなかった事で、その人は自分で失敗したという認識はしないと思うので、社内失業者になっていても自分でそうは見えないので変わらないという風になるので、10年後とかに困るという事になると思うのです。

 

 

私三之橋の場合は、高校生の頃にその高校に馴染めそうになくて、そこで知り合った初めての友達ががきて、その子が難病でもう余命いくばくもないとか言わなかったので知らなくて、ある日周りが囲み取材のように、「お前もうすぐ死んじゃうのか?」 と訊いたりしていて、それは酷い事を言っているようにしか見えなかった。

 

 

その虐めに参加しなかった事で、「何だあいつ生意気な」 と気を悪くされてしまったのだと思う。

 

 

空気感で言えば、自分のやっている事を否定した生意気な奴なので人生メチャクチャにして殺すとなったのだと思う。

 

 

映画ブルーサンダーのようにある日自分の向かってくるミサイルがあれば、当たるのは嫌なので避けてしまうしかない。

 

 

それで無実の罪を着せて退学させられて人生行き場を失ってショックで首を吊って死ねとか言われたのですが、そもそもそれって虐めの一線をもう超えてしまっていて、ただの犯罪の人殺し事件じゃないですか。

 

 

そんな学校に通っていれば死んじゃうまでそう時間はかからないと思うのでもう転校しようと思った。

 

 

そういう普通の人はしないような苦い経験と言いますか、人生に躓いた経験を自分では人生における大きな失敗を経験したという風にきちんと認識できた事で、じゃあそのような同じ失敗を繰り返さないように変わろう~ みたいになったのだと思う。

 

 

人にはいろいろな考え方があると思うので、「俺は何も悪くない。 虐めてきた人が悪いわけでどこかを反省するとかそれも必要ないはず」 みたいに考えて、大学生になった時にまた失敗するとか、会社員になった時にまた失敗するとか繰り返すのかもしれない。

 

 

あるいは何も変わらなくても、その後に失敗する事が起きないのかもしれない。

 

 

どれが正解というものはないと思うので、十人十色だと思う。

 

 

私三之橋の場合は、高校生になり新しい環境に順応できなくて戸惑っている自分を感じたり、その虐めっ子の人が同じクラスだった事でちょっと嫌な予感がするなあ~ とかそういうのを感じた。

 

 

でも、何か対策を考えるとかもせずに目標もなくダラダラとしていた。

 

 

自分的にはその人ともめたくないみたいな気持ちがあるのに対して、相手から見ればもう人生メチャクチャにしてやると思われてしまった感じ。

 

 

その人ともう違う学校に行けばそこでそのストーカーみたいな付きまとわれるようなものから解放されるというのはわかるので転校しようと思った。

 

 

ちなみにストーカーというのは異性が好きな人に付きまとう恋愛感情を伴う行動を通称ストーカーと呼ぶので、同じ男性をストーカーと呼ぶのは間違っているので、”ストーカーみたいに付きまとう人” と書いている。

 

 

普段自分がその虐めっ子の悪口を言うとかもないわけで、その虐めっ子の人とはたぶん一言もしゃべった事がないのにそれなのに向こうから何かしてくるというアンバランスな関係。

 

 

ひょっとしたが初めて見た時に、『気持ちわるっ』 と思ってその時にそういう 顔をしてしまったのかもしれない。

 

 

一般論のようなものとして、人はちょっと変な人がいたりすると、「関わらないようにすれば良い」 なんて言ってやったりしている。

 

 

始めはそんな感じのよくいるちょっと変な人だったと思う。

 

 

高校生となり、部活の先生にスカウトされて、「俺のチームに入らないか」 と誘われて、『勘弁してください』 と言ってそのスカウトをお断りしていた。

 

 

何か放っておいてほしい。

 

 

そっとしておいてほしい。

 

 

ただ学校は出席しないと卒業できないわけで、最低限の出席をして早く高校生時代は終わって欲しい、そんな感じだったと思う。

 

 

部活とかに入って頑張っている人の多くは、たぶん自分がやりたいスポーツなどがあって志願しているだけだと思う。

 

 

そんな人達から見れば、きっと先生からスカウトされて、お断りしているという人は、「何だあいつ」 みたいな感じでイラっとするのではないかなあ~ と思う。

 

 

何と言うか、目立ちたくないと言えば良いのかもしれない。

 

 

学校には少なくとも2人は先生がスカウトしたい人がいたと思う。

 

 

1人は元スーパー特待生だった男友達となる子で、もう1人は私三之橋かなあ~ と思う。

 

 

小学生の頃はトランペットを吹くようなクラブ活動をしていたので、福岡でお祭りみたいなものがある時にチビッ子がよくパレードで演奏していたりするのを見た事がある人はいると思う。

 

 

意外に思う人がいると思うのですが、体育の時間とかに野球をしてバッターとして打った時に場外まで飛んでいくとかで、例えるならばソフトバンクの柳田さんのようにフルスイングするので、それを見てチームにスカウトされるとかは大学生の頃まであった。

 

 

何かをすれば目を着けられる。

 

 

でも、何もしないと目を着けられる。

 

 

そんな感じでただそっとしておいてほしいと思っても、「ちっ、あいつは何様のつもりなんだ」 みたいになってしまう。

 

 

そんな感じから、級長にでもさせて参加させてやろう~ みたいになったのだと思う。

 

 

何となく、新しい環境に馴染めず、戸惑っていたのではないかなあ~ と思う。

 

 

例えば、「あなたは小学生5年生の時に、日曜日とか何をして遊んでいましたか?」 と訊かれたら、特に何もする事がなくて1日ボ~っと家でテレビを観ていたとかあると思う。

 

 

私三之橋の場合は、小学生5年生の頃だとトランペットの吹奏部に入っていたので、お祭りなどでパレードに出るみたいな感じで土曜日や日曜日は練習とかに追われていたと思う。

 

 

学校で女の子に手紙をもらい、「三之橋君はいつもひょうきんでみんなを笑わせてくれるので学校が楽しいです。 運動会ではリレーで走っていたりして、この前はテレビにトランペットを持って将来音楽家の道に行くとか話していてスーパースターに見えたので応援しています」 とか書いてあった。

 

 

テレビ局の人に先生が言われ、「お前ら2人ちょっと行って来て」 とか言われた。

 

 

そこにいろいろな小学生が集められていて、「みんないいかな、僕が音楽は好きですか? と言ったらみんな好き~ と声を合わせて言ってね~」 とか簡単な説明があり、「はい本番いきます」 となり、言われた通りにみんなが演じていた。

 

 

その本番でマイクを向けられ、「君は大人になったらどういう仕事に就きたいですか?」 みたいに訊かれたので、「僕は音楽が好きで好きでたまらないので音楽家になりたいです」 とか言った。

 

 

別に音楽は好きではなかったのですが、その場の空気感でそう答えただけなので、テレビでそのインタビューとかも放送されてしまった。

 

 

それで、「三之橋君ってミュージシャンになりたいの」 みたいに訊かれたりしてそのリアクションに驚くみたいな感じ。

 

 

いつも適当な答えたりしていただけなので、手紙とかに頑張っているねとか書いてあるとそれを読んだ時に自分で自分の事を哀れな人だと思ったりしていた。

 

 

この前テレビで福岡を中心に活動するアイドルグループに目立ちがり屋だったという事で13歳で入って今年26歳で卒業するという女性が出ていた。

 

 

まあそんな感じで夢を追っていた人みたいなのは正直凄いなあ~ と思うじゃないですか。

 

 

私三之橋の場合は、そんな夢を追うようなカッコいい人でなくて成り行きでそういう風になっただけみたいな、残念な人だったりする。

 

 

そんな適当だったりする事でもうテレビも見られないような時間に追われる残念な人だったと思う。

 

 

中学生の頃にもう学校に行かなくなった引きこもりの子がいて、高校生の時にその子に家に遊びに行くと100万円くらいするようなデスクトップPCや本棚にズラ~っとコンピュータゲームのソフトが並んでいたりして、何だかその子の人生が羨ましいと感じていたりした。

 

 

その友達には、「えっ、三之橋君って学校で級長しているの?」 とか驚かれたのですが、自分的にそんなものはどうでも良くて大した価値はないと思っていたりした。

 

 

虐められたりとか殺されたりするとか、そういうのはしょうもない事が理由だったりすると思う。

 

 

私三之橋は級長選挙で級長をさせられてしまった。

 

 

その時は、何となくそれで終わるとスジヨミとしてはそう考えてしまった。

 

 

級長をさせられたという事で何かそれがマイナスになるようなものでもなくて、その場で虐めっ子に、『何だこいつ~』 みたいに喧嘩をしたりする方が停学処分になるとか、増々学校に行きたくなくなるとかになると考え、消去法で対処した感じだと思う。

 

 

でも、それが無実の罪を着せられて退学させられて首を吊って死ね~ となった時に、『ちっ、参ったなア~。 これは虐めという一線を通り越して犯罪被害者って情態じゃん』 と思った。

 

 

それで、『学校はもう捨てよう、転校しても良いじゃない?』 となった。

 

 

まるで学歴が傷つかないように、そこでサプリーム・プライオリティのような生き方をしているので、しんどくなると思うので、1度それは傷モノになってしまえば精神的に今後は楽になる。

 

 

『自分は失敗したんだ。 ミスってしまったんだ。』 ときちんとアクセプトできれば、好転すると考えた。

 

 

失敗しちゃったものは消しゴムマジックで消せない。

 

 

後は、どういう風にこれから先の事を自分で決める事が重要かなあ~ と考えた。

 

 

何も思い浮かばずに、『どうしよう~』 みたいになって思考停止しちゃうとたぶんその経験からトラウマになるとか、手続き記憶で毎回頭が真っ白になって対処できないとかになるだけだと思うので、自分で決断した感じ。

 

 

後は退学勧告決議案で全会一致で可決したというのに退学にもならずに卒業できた。

 

 

卒業して大学生になる時の入学式に1人ボッチで遅刻しないように大学の入学式にい電車とか乗り継いで行く時に、『俺は新しい環境になったりした時に、自分が気に入った人としか話したくないという性格から馴染めずに犯罪被害に遭ってしまったりするんだろうなあ~』 と少し反省をした。