1995年、12月。
冷たい冬空に放たれた光の輪。
震災から11か月、電気は復旧していても、電車から見える神戸の街並みは本当に暗かった。
東野圭吾さんの作品『幻夜』に出てくる、阪神淡路大震災の描写はリアル。
夜遅くまで明かりを灯して仕事をしていた無数のオフィスビルも、
入り組んだ狭い路地で、活気があったたくさんの居酒屋も、
毎日みんなが帰っていった住宅街も、丸ごと暗闇だった。
家族は無事で、自宅はひびが入っただけで、中はめちゃくちゃでも片付ければ住めた。
断水が解消するまで、毎日、水をもらいに行ったり、
トイレをするたびにタンクに水を入れて流したり。
住宅建設会社に勤めていた私、それでも前を向いて仕事はしなければ。
一日でも半日でも早く住宅再建できるように、
もはや曜日も日にちもわからなくなるような生活。
退勤時には、暗くて不気味な非日常の街並みが、いつしか日常になっていた。
12月の点灯初日。
この日だけはみんなで早く退勤し、
すでに人の頭しか見えないほど人混みになっていた大丸裏通りの方へ。
アーチが点灯した時、そこにいた全員が息を呑んだと言っていい。
一瞬、声が出ず、そして感動のため息が、涙と共にあふれた。
もちろん美しいけれど、美しいからではない。
光があたたかかったから。
光に優しく包まれたから。
よくがんばったね、大変だったね、えらかったねって言われてるような気がした。
涙の向こうで、あたたかく降り注ぐ無数の光の記憶は、生きる希望。