我が家の車の納車についていきました
ちょうど大阪から
同級生が
仙台で乗り継ぎする日だったので
「トラックに乗ってく?」
ということで
仙台でピックアップ!
あんなに快適だった三陸道はうねり
上下に揺さぶられ首や肩が緊張するなか
気仙沼を目指す
海を一望できた気仙沼線の線路
実家に帰る時に使っていた線路が
土手から落ちています
我が母校気仙沼中学校
ベランダに洗濯ものが干してあります
家族がここにお世話になっています
母の案内で室内まで行きました
使っていなかった
折りたたみテーブルを送ったら
それを中心にさい部屋を作っていて
それを見せてくれました・・・
両親が浮○者になってしまったかのように感じ
涙が出そうになりました
お掃除当番があるそうです
まさかこういうことで
また学校を訪れるとは思いませんよね
実家の焼け跡を見に行く途中の魚市場前
土嚢の奥が本来の道路で
完全に冠水したため砂利や土を盛り
昔のような道路を作っている途中のようで
水たまりに突き当ると行き止まりです
自宅を見に行きたくても
行けない人も多い
捜索中の地域も多く
立ち入り禁止の地域がよくあります
実家に行くと
通信簿の後ろになぜか
ご成婚祝いの切手が
ここからジャンプするのが
私の使命でした
中間にある太い枝を
お腹に指して悶絶して帰ってきたっけ
沿岸部もそうでしたが
こんなに空が綺麗なのに
むしろ嫌味に感じるこの心
あんなに好きだった桜も同じ
恨んではいないし綺麗だとは思う
あんなに地震の日に
ここまでするかというくらい
寒く雪が降ったのに
ケロッとしている気候が怖い
そして何より
海が青かったことが怖かった
でも、それだけだ
仙台に戻ると
「仙台たいしたことねんだろ?」
と言われたことがありました
私には心ない一言に思えましたが
言った本人は忘れているはず
あの時の状態は
同じ時間を共有した人にしか
分からないかもしれない
地震後一週間のハグは
生きていた人に会えた時のハグだった
形式でもなんでもない
戦争に行ってきた人
帰って来た人みたいだった
被災地にかかわる
多くの人が言っている
「精神状態のアップダウンがひどい」
そうだと思う
もの凄い世界を生きている
そう、生きているんだ
痛みがあるのは生きている証拠