言われてわかる。言われなくてもわかる。 | 朱鷺の“人生七転び八起き”

朱鷺の“人生七転び八起き”

心と体の健康の情報を発信していきます。

人の言う言葉を、どのように聞くか・・・
感性の問題にもなりますが。

自分は、こうだから、それしかない
となったら、あーそうですか。
ということ、なのですが。

そしてまた、それは「こうです」と
言われたとしても、知識として
覚えておきます、程度のことになる。


明治の文豪さん達・・夏目漱石らが、
今の日本語を構築したらしいですね。

しかし、そこには、日本人にらしい感性が、
含まれている。

夏目は「好きです」と異性に言う代わりに
「月が、綺麗ですね」とか、表現した、とか。

ダイレクトに、言わないで、さりげなく。

それを受け取る女性の感性も、高くなければ
「何いってんのよ。月はいつもと同じ」となる~

ここらが「風流」などを、分けますか。

「いつも見る月と違って、特別に綺麗に見えるのは、
好きな貴女と見ているからです」。
日本男子は、こう、はっきりと言わないもので。
いえないということを、日本女性は知っていた。
そういう関係性の妙は・・・いまは、ないかもね。

想っていることを、ちゃんと言葉にして言ってよ。
言わないと、分からないじゃない?

これがグローバル社会というのもで。


たとえば、私たちは、生まれたときから、
他人の感情や評価・判断を植えつけられます。

「これは、してはいけないこと」
「これは、すべきこと」
「これは綺麗ね」
「これは汚いよ」


小さいころ、犬を叩いて、犬がそれに抵抗しようと
ワイワイやることが、面白い~。としている。

それを見た人が
「そんなことをしたら、かわいそう。やめなさい」
と言われて、・・「叱られたので」
とりあえず従います、ね。

楽しいのに、なぜイケナイと言うのだろうと、
思いつつも「こうすること」と覚えます。

やがて、学校へ行くようになって、、、
同級生にイヤガラセをされたりします。

モノを隠されたり、陰険なことを言われたり・・・
「なんてことを、するんだ」と腹立たしく思う。

そのとき、殴っていた犬の思いと、
自分の思いが、シンクロする、
瞬間がある。としたら。

そのとき「そうなのか」と、思い当たる。
あのときの犬も、こんな気持ちだったのかなっと。

そうなったら、教え込まれたから守る。
ということから、自らが「それはできないこと」となる。

こういうことも、その人の感性を磨く。
ということに、なりますか。