この世が、すべては妄想だと知っている。
大事なのは、地位だ! 名誉だ! 安心だ! と暴走する
妄想の世界を生きている、というのを知っている。
しかし、そこ以外に、生活する場所がないとなれば。
つまり狂った人たちの中に、紛れこんだ正常な神経の人は
やがて狂ったフリをする以外に、行き様がない。
その中で正常を保とうとするのは、自分だけが苦しい。
いっそ、狂って仕舞ったほうが・・・
なんてことも、あるようですが。
自分を自由にしようとすると、
相手がまとわりついてくるように思える、
ことがあります。
それは、この自由が、その底に相手への
抵抗や拒否が潜んでいるからでしょう。
だから、相手を自由にしよう。とすることが、
自分と相手の自由への道ではないかな。
まっ。誰かに抵抗を感じる・・・とか
非難したくなる・・・などと言うとき
「私はすべてを知っているのか?」と問う。
非難や否定は、何か理解していないことがある。
という意味です。
そこで、ソコから離れるのではなく
そこに近づくのです。
余さず、残らず、理解しようと。