闘争心や嫉妬心で向かってくる人の、
奥底にあるのは「たすけてください」
なのです。が。
これが理解できない。ということで。
ちょっと説明してみようかなっと。
信頼関係があれば、攻撃の形をとらないし
困っているなら、普通に「助けて」と言うはず。
なので、攻撃は、攻撃する理由がある。
だから相手を徹底的に排除しようとする。
ということらしい。
そりゃぁ~
攻撃する人の、正当化でしょう。
と思うのですが。
まず相手を信頼していないから「助けてください」
と言えずに攻撃の形をとる。
力で欲しいものを奪い取る・・・こういう攻撃です。
もし自分の要求が「助けてください」と言って
通るなら、攻撃なんていう面倒なコトはしないでしょう。
「あの子と、仲良くしたい」と少年は恋焦がれる。
でも、「イヤ」と言われたら自分が傷つく。
そこで、可愛い子をからかう、苛めてみる。
単純に言えば、こんなこと。
思うことの反対を行動してしまうのです。
つまりは、自分が不利にならないための
防衛行動なのです。
長い時間をかけて、相手の関心をかって、
徐々に近づいていけば「仲良しになる」
ことはできるかもしれないけれど、
その手間を省く行為が「攻撃」なのですね。
即座に自分の要求がかなう。
そういう暴力的な行為なのですね。
でも、でも、攻撃されているのに
「この人は、助けを求めている」と
受け止められるのか。
という問題もあります。
それが、そのまま慈悲の心ですよね。
サンスクリット語の
「マイトリー (慈とするもの)」は、
本来は「友情」「友人」の意味です。
「親友」って、好きなところもあるけれど、
嫌いなところもあるけれど、世間が責めるなら、
自分が楯になってでも守りたい。
自他不二を現実化して見せてくれるものかと。