「自分」を自分で見る | 朱鷺の“人生七転び八起き”

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心と体の健康の情報を発信していきます。

人のことは、いろいろと思うし、
言うことが出てくるんですね。

まったくもって
「自分のことは、さておき」となって
しまうのが、私達なのですね。

どこまで行っても、相手は、自分の鏡
・・・観ているのは自分なのです。

「相手が、こういうことをしている・
こういう状態だ」と思うそのことは、
自分自身なのね。

相手にカベがあるから
人を受け入れようとしない・・・
と思うようなことがあって
ガードが固いぜ~と感じる。

そんなとき相手に「ガードを下げろ」と
言いたいなら、自分のガードを下げる。

それだけで、ガードの問題は、
解決しちゃうのね。

相手に下げさせたいから、
解決しないんです。

そんな簡単なことなのだけれど、
やってみれば分かるんだけど、しないのね。
もう~あらゆるトコロに、その手
のパラドックスは、あるのね。

しかし、このような構造がなければ、
私たちは、本当の意味で
「自分を見ること」ができない。

ただし、自分を見ていると気づかなければ、
それに、なんの意味がない~となりますが。

それで気が付いたのだけれど~
「自分のドッペルゲンガーを見たら死ぬ」
という話があります。
似ていると思いませんか?
自分で自分を見たら、その瞬間に
「自分は死ぬ(消える)」んです。

・・・自分と思い込んでいた自分が。
「消える」「死ぬ」というのも象徴。
自分に、こだわらない状態ってこと?

昔から、ソレを示唆する言葉が、
本質(意味)を隠して
残されているんじゃないかな。

その意味に気づくと、様々なものが
シンクロしされて顕れる。
いろいろな処にね。
智慧のタネというか。
隠れている。