自分が分からない。
自分で自分の考えていることが分からない。
どうしても~自分を中心にして、自分を正当化したスタンス
で存在する・・・そのはたらきの中にいるからですね。
とにかく、人のコトは、よく見える。
「これは、間違っているよ」とか・・・
「これは、浅はかなんじゃない?」とかね。
つねに、つねに、批判的な視線でみている。
そんな自分を、どう見るか~
直線的にすると
自分の醜さを観る。意識する。
「こう言っている自分」
「こういうことをした自分」
その醜さってのは~本当は
分かっているんだよね。
その言動・行動の中に隠されている悪意。
人を落とそうとしている。
人を値踏みしている。
人を自分の思うように動かしたい。
しかし、あからさまに、できない。
ので「隠す」のですね。
うま~く、隠し通す。
ここからしか、自分は、見れない。
んじゃないかな~と思います。
でも
「えーーーっ。そうだったのか」と分かった時
それほどショックじゃないのです。
「やっぱり、そうだったか」程度のモンじゃないの?
「こんな自分は・・・イヤ」というのは
まだまだ評価の中にいるんですよね。
それを、一気に、飛び越える。
真に自分を知った時、出会えたコトの喜びしかなくなる。
そのソコの底にある。
いとおしい~ばかりの、ただひとつの自分。
それは、到達点・最終点ではない。
それも、自覚するでしょう。