過去の記憶というものは、自己解釈にすぎない。
記憶って、完全に書き変えていたり、妄想だったり、
いい加減な物じゃないかな~と。
昨日の事、一昨日の事、一年前、三十年前。
過去、記憶している事は本当にあったことなのか。
そこまで行かなくても、
記憶として覚えているのは、どうしてか。
ほとんど忘れてしまう・・・でしょ?。
昨日の事も、三十年前のことも。
特別に記憶力の優れた人はいるけれど。
記憶というのは感情と一緒になると記憶しやすいものなので、
感情と切れていると、忘れやすいもの。
嬉しい・悲しい・恥ずかしい・楽しい。
と結びついて、記憶される。
恥ずかしい~なんていう感情と
結びついている記憶は、忘れにくいし。
悲しい~なんてのも、同じ事。
あの恥ずかしい記憶が、次の恥ずかしい記憶を呼び覚まし
・・・そんな循環がまた忘れにくくさせたり。
そんなふうに
強く残る記憶は、何度も思い出すから、忘れにくいんですよね。
しかも、何度も思い出すたびに、はっきりしない部分は
書きかえられていたりする。
そのうちに、あったことか、なかったことか。
非常に曖昧になったりします。
そして記憶は、今に、都合良く解釈され直される。
という性質があるものですから・・・。
なので。
「昔、こんなことがあって」
という話が来たら、それが事実かどうかより
事実だとしても、妄想だとしても
それにこだわる、その人の「いま」を
完全に移しこんでいる。
と。そして聴く、と。
だから逆説なのですね。
過去が、その人の今を作った。のではなく
過去を、いま、創る必要があって創った。
ということで。それを心して、その人の声を聴け。
と、思います。
間違って。その話が事実か、真実か。を追求すると
その人自身を、見失います。