得るものが、まったくないものが功徳である。
功徳は取引ではなく、行為そのものなのだ。
期待することもないし受け取るものもない。
言わば内側から理由なく、
やってくる喜びのようなものだ。
それを至福と呼ぶ。
行為の中に喜びが含まれている。
なにも得るものがない。
つまりは
「私がした」
というものがない。
そこにおいて
本当の喜びがある。
ということになりますか。
いや。まったく。
「私が、私が・・」
それがないこと。
そのものが至福ですね。
なにかをして
「私がした」があると
見返りが欲しくなります。
人間ですもの。
褒めてほしい。
感謝されたい。
そういう得るものを求めます。
しかし。
それが重いですね。
相手も自分も。
それくらいなら、何もしない。
そのままで、そのままで、と
いうような誘惑もありますが。
それを超えて。
「させていただく」
それすらも捨てて。
そんなパラドックスがありますか。