わたしらは、なにがなんでも、得たい。
自分を守るもの、着飾れるもの、誇れるもの。
たくさんあれば、安泰だと・・・思いこむ。
しかし。どうでしょう。
持つ物が、あればあるほど、自分は小さくなる。
本当のあるがままの自分と、乖離していく。
見せられる自分と、見せられない自分が、出来上がる。
自分でも「見せられる自分」が、自分だと思い込んでる。
見せられない自分は、どこか奥底に隠される。
暗がりの中で、脅えている。
こうなると~光があたると、たいへんです。
見られたら困る。見られたら困る。
右往左往です。
なんとか正当化しなければ、なりません。
しかし言うことに矛盾がありますから四苦八苦。
見られたら困る自分は、逃避するしかなくなります。
人と、親密に関わることは、その危険が多くなりますから
壁を厚くする。人からは遠ざかる。
さてと。
「自分探しの旅」なんていうものが
ありますが。
探しにいく必要なんてないですね。
「いまの、この自分を見ましょう」
ということじゃないですか。
見せられる自分も。
見せられない自分も、
全部が、自分。
「いまあるがままの自分」
「いまあるがままの自分」というと、
何かイイモノのように錯覚しますが。
馬鹿で愚かで視野が狭く何か欲しがる・・・
という「あるがままの自分」なのでしょう。
つまり、評価すると、そうなるのですが。
そこから評価をはずして、あるがままを認識したとき
何も持たない貧しい自分。しかない。
(貧しいものは、幸いである)
しかし~
それこそが命の源泉。
まったくの、サラの自分に出会える、のですから。
そのとき自由とか喜びとかに、触れるでしょう。瞬間的に。
そしてやっと。その先に道があるのが見える。
閉ざされていた扉が開いた。
と、私の場合ですが。