2014年、私は3年ぶりに東北に戻った。

多くの被災者たちが、仮設住宅で新たな生活を始めていた。

仮設を一軒ずつ回り、地域の情報を届ける活動は、自然と、被災された方との会話を生んだ。
「被災者」という名前ではなく、お一人お一人が、私にとって出会いだった。
それぞれの生活と人生に触れさせてもらってるような、かけがえのない時間だった。

仮設住宅は、避難所とは異なり、世帯ごとのプライバシーが保たれるから、以前と比べてずっと環境が良くなったのでは…と、傍からは思われるかもしれない。
でも実際には、部屋は狭く、冬は寒さも厳しい。
一番驚いたのは、隣家の音が伝わりやすいという事だった。
時には、ニ軒隣の音まで聞こえてくる、という方もいた。


ある日、次のお宅へ向かおうと敷地内に佇んでいると、一人の女性が私たちに声をかけてきてくれた。

小さなお子さんをお持ちのその方は、周辺の公園すべてに仮設住宅が建設されたため、子供たちの遊び場が無いことなど、住んでいないと気づかないことを話してくれた。

衝撃を受けたのは、震災直後の様子だ。
当時、配られた水はキャップ2杯…。
チョコレートが一つ配られ「2週間もたせてください」と言われたこともあったという。

津波は生き抜いても、「死ぬんだと思った」という過酷な状況があったことを初めて知った。

幾つもの避難所や仮設住宅を転々としてきた方も多く、ただでさえ慣れない暮らしが、3年ともなると様々な気苦労の声を聞いた。

そんな話を聞く度に感じたことは、ボランティアという「よそから来た人」の存在意義だ。
被災者の方からよく言われたのは、「あなたたちだから話せる」ということ。

復興住宅が当選したことも、仮設でのストレスも、心の中の苦しみも、ここ(仮設)では話せない、と。

他の家はもっと大変だろう、といった気遣いが、本音を口にできないストレスとなっていたのかもしれない。

ボランティアにできることは限られているとしても、被災地の外から来た第三者であることが、逆に、素直な気持ちを吐き出せる存在になるんだと実感した。

仮設住宅で暮らす方々のお話をたくさん聞かせて頂いた中で、何人もの人から言われた大切なことが、もう一つある。

「決して他人事ではない」ということだ。

震災が起きる前、テレビで地震などの災害を目にする度、「大変だろうな…」と思っていたという。
まさか、自分の身に起きるなんて想像もしていなかった、と。

でも、震災は起きた。だから、他の地域にも、いつ災害が起きるかわからない。
決して他人事と思わず、備えてほしいという声だった。

実際に想像を絶するような経験をしてしまった方たちが、自分たちと同じ思いはして欲しくないという、心からの願いだった。