ホーチミンの町はベトナム戦争の際、惨禍の真っただ中にありました。戦争博物館に行ってその悲惨さを目の当たりにし、同時に、改めて「平和の大切さ」を心から願わずにはいられませんでした。
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館内には戦争で使われていた武器が沢山展示されています。
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 ベトナム戦争の経緯は、割愛します。もし興味があれば調べてみてください。

 


 


この戦争について、私が最も感動したことは、

 アメリカ軍による化学兵器の使用                  です。

そう、皆さんご存知の『枯葉剤』です。
名前は英語で
            Agent Orange
 
 自分から世界の正義を名乗りながら、ベトナム戦争に参戦してきたアメリカ軍が最も苦戦したのは、ベトナム兵ののゲリラ戦法でした。密林の中で、どこから現われてくるかわからない敵兵たちをアメリカ軍は非常に恐れていたといわれています。


 そこでそんなゲリラたちが潜伏するだろうジャングルを空から焼き払ったり、枯れ葉剤を散布したりして、ゲリラの隠れ場所をなくそうと考えたのですね。
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枯れ葉剤が使われる前の森林と使用後の森林の様子。ナパーム弾の影響ももちろんあります。
 







・・・・・・・・・しかし、これが大きな負の遺産を残すことになりました。。。。。。


 

アメリカ軍はこの戦争において結局、撤退を余儀なくされてしまっただけではなく、この化学兵器が同胞たちにも大きな影響を与えることになってしまったのです。


 密林に隠れているゲリラたちを掃討すべく使われたこの化学兵器ですが、それに関わったり散布地域近くにいたりした兵士たちにもその負の影響が出てしまいます。

 本土に戻ったその米兵たちは、化学兵器の影響が体のあちこちに異変として出始め、その子どもたちにまで影響してしまうケースが少なからずありました。未だにその影響で苦しんでいる人がアメリカ国内にいるのです。これはみなさんよく知っていると思います。
 

 さて、化学兵器の影響を受けたのはもちろん米兵たちだけではありません。ベトナムの現地の人たちも同様です。

 化学兵器に対して無知だった彼らは、終戦後普通の生活に戻るわけですが、アメリカ兵たちと同じようにその子々孫々にまで化学兵器の影響が出てしまいます。

 枯葉剤を浴びた両親から生まれたこどもは、例えば水頭症だったり、奇形になったり、四肢がなく生まれてきたり、体が一つなのに頭が二つある。。。などです。

 このような、ベトナム戦争の負の遺産を受け継いだ人々の写真も博物館には多く掲載されています。記憶に新しいところでは、べトくん、ドクくん兄弟ですね。
 
 これらに加えてアメリカ軍が行ったのは、ナパーム弾による一斉火炎放射です。これによって、罪もない民間人も非常に多く犠牲になりました。当時の状況を物語る有名な写真も展示されていました。
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著作権侵害にならないか不安ですが、もしこの写真掲載だめというのを知っている方いたら教えてくださいね。
大学時代に、国際理解の授業で見せてもらってとてもショックを受けた写真です。

 
ホーチミンに行ったらフォーを食べるのもいいですが、ここは日本人として必ず見てほしいと思います。

  




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プノンペンでは見るところ見てしまったので、すぐにベトナムに入ることにしました。

 プノンペンからあさの6時半発ツアーバスで11ドル。ホーチミンまでは6時間半ほどです。途中またいつものように国境近くで停車し、お昼休憩。

 ここでもやはりコミッションをとるのか・・・と思うと、このツアー会社の魂胆に巻き込まれるのは御免なので何も買わずにやり過ごしました。

 といっても、カンボジアりエルがいくらか残っていたので、それを有効に使うためには、少し小腹の減ったこの辺でうまく使うために大好きなパイナップルを丸ごと一個食べました。



 国境付近ではこのように大きな欧米人向けのホテルがあります。カジノなんかもあるようでやはり、外貨獲得のためなのか。。。
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 ホーチミンへ入ったのは夕方3時ころ。思ったより早く着きました。到着したのは、ファングーラオ通り。旅行者が集まる安宿街が軒を連ねている場所です。事前に情報を集めておいた宿に向かいましたが、あいにく満室とのことです。そこでいくらか他を当たってすぐ近くに、安宿を見つけました。
 
 この時のお金のない私にはありがたい、エアコン付きドミトリー5人部屋で一泊5ドル。トイレとシャワーは共同で、階下にあり、ここで働く人たちと共同です。部屋は中2階にあり、
[ここは、部屋専用に作られたのではなくて物置だったところを改良したのでは…?と思わせるような部屋でしたが]。

 それに、この宿にはどこの誰だかわからない人たちがしょっちゅう出入りしています。部屋に上がってくるわけではなく、一階のフロントで食べ物を持ってきて食事したり、雑談したりする中年のおっちゃんやおばちゃんたちです。

 そして、そんな人たちもここのトイレ、シャワーを使います
 つまりは、公衆トイレのようなところでシャワーとトイレを共有するというわけです。


 でも、5ドルなのでこれには目をつぶることにしました。翌日から部屋やホテルを変えることも考えましたが、荷物を持って移動したり、お金がない自分が余計にお金を払ったりができないと思ったので、結局同じ部屋で3泊しました。




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プノンペンでの2日目。以前からどうしても行きたかった場所が2つあります。トゥールスレン博物館と、キリングフィールドです。
この2つはポルポト政権時代にあった、拷問と虐殺という2つの暗い出来事と密接につながっています。
 
トゥールスレン博物館はプノンペン市内にあります。殆どどこの宿からでも徒歩もしくはバイクで10分以内でたどり着けます。画像

ここはポルポト政権時代に、無実の人たちがたくさん拷問を受け、虐殺された場所です。1950年代に建てられたという建物は、当初、多くの学生たちが通う高校でした。ポルポトが政権を握ってからここをそういう場所に変えてしまったのです。敷地内には4つの建物があります。ビルディング1からビルディング4までです。
この収容所は暗号名でS21(セキュリティオフィス21)と呼ばれていたそうです。

ビルディング1…収監されていた人たちが拷問を受けた部屋が並んでいます。鉄のベッドに結ばれた人たちが拷問を受け、亡くなったという部屋がたくさんありました。床にはまだ血痕が残っていたり、壁にはそこで亡くなった人々の写真が掲載されていたりと、とても凄惨な当時の様子を感じました。写真はとてもじゃないですが撮れなかったのでここには掲載していません。

ビルディング2…ここは主に収監されていた人たちの独房や監獄があります。暗くて狭い中に何ヶ月もの間閉じ込められていた罪もない人たちのことを考えるととても暗い気持ちになります。
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ビルディング3…ここも同じように収監されていた人たちの房や監獄があります。これに加えてここで亡くなった人たちの膨大な量の写真が収められていて、見学者を圧倒します。。。


ビルディング4…ここでは、旧ポルポト派の要人たちの現在を示すものがたくさんあります。レン・サリ、カン・ ゲック・イアウなどがその主犯格としてあげられます。

 彼らはそのほとんどが戦争裁判にかけられているのですが、その罪状や裁判の経過などが写真とともに記されています。彼らの写真を見るとみんなもう70を過ぎたおじいさんやおばあさんたちです。深くしわの刻まれた顔には、ポルポト派だった頃が想像できないくらいです。老い先短いだろう彼らをこれからまだ裁判にかけるのは聊か酷だなとも感じましたが、彼らが犯した罪が許されるわけではありません。国際弁護士によって弁護をされている人がほとんどですが、彼らは自白をしているので、収監、終身刑は免れないでしょう。それほど彼らの犯した罪というものは大きいのです。彼らの言い分は、

自分がやらなければ、自分が上の者からやられる
 
という世界だったというものです。
それだけポルポト政権時代は、上意下達の形が完成していたし、独裁色の強いものだったのでしょう。なお、このカンボジア国際法廷には日本の野口裁判官も国際判事として出席しています。

 みなさん、これは何かと似ていると思いませんか?日本の学校におけるいじめと同じでしょう。自分はいじめに加担したくない。でも、いじめに反対すれば、自分がいじめの対象にされる…

 戦争は、いじめの延長線上にあると言えるのではないでしょうか。 


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