岐阜からこんにちは✨

 

 

介護施設で入浴介助する理学療法士

和穂です

 

 

祖母が作ってくれた裁縫箱のバッグは

実家の仏具とおそろいw




その時、

祖母はじっと天井を見てた。




今まさに

自分のオムツを替えているのが、

「シモの世話」をしてるのが、


一緒に暮らしてきた孫の「かずちゃん」だと

祖母はわかっていたし、


私も「祖母がわかっている」と

わかってたから


「パンツ、かえるね」と声をかけたら

この時間が短くなるように

ひたすら速く、済むようにした。








大正生まれの祖母。


14歳で親元を離れて、

電気のない時代だったから、と

猛勉強の末に酷い視力低下もして


看護師になり、

明治生まれの祖父の妻になり


戦争も肺結核の病棟勤務も

義理の実家の横暴も

幼子を亡くしたことも

暴れる祖父の面倒も

お金がないことも



いつだって

なにがあっても


「前だけを見て自分の足で歩んだ人」


だった。



末っ子の私が生まれた時にはもう

「おばあちゃん」な佇まいだったけど


その気の強さ、

肝の座り具合は、

子供の目にもわかるほどだった。



尊敬する祖母。



94歳になってた祖母は、


オムツ替えをする私が

社会人で29歳であることが

わからない程度には

年相応に認知症だったけれど、


「かずちゃん」だとは、わかってた。



祖母お手製の、お数珠袋。



気丈な祖母にとって、

孫にオムツを替えられる時



どんな心持ちだったろう。



私をわかってくれるのは嬉しいけど、

「わかるから、つらい」ってことも

あるんじゃないか。



もっとわからなくなってたら、

あんな風に黙って天井を見なくても

よかったのかな。



でも、

「わかる」って、つらいなぁと

思ってたのは、私。



祖母がどうだったか、わからない。





ひたすら手早く、短く済ませた

オムツ替えの時間が終わると、いつも



「ありがとぉ」


と、私に言ってくれた。




もっとわからなくなってたら、

どうだったんだろう。




 

 

 

 

*zoomでマンツーマンで