この闇も

どうせいつか、

抜け出してるんだから



記録で書いておこうかと、

そう思うほどには

上がってきてるのね。



今朝5:40の岐阜。







かれこれ二ヶ月ほど、

落ち込んでいる。






寝たきりな鬱病も

10代からの躁鬱病も

経験済みで、



お薬も通院も体感として知ってる。



これは、もうダメだ



のラインも心得ていて、



さりとて、

どれとも違うのだ。




嬉しい悲しいを

たくさん吐き出してきて

なんとも救われたこのブログを書く行為も



やる気になれず、



手も足も出ない

というよりも、



手も足も何も出したくない



そんなイヤイヤ期を過ごしてた。





友達と続けてる5:30からの歩きは

呼吸のごとくできてた




数日前から、

9年も前の恨みごとが

思い出されて



でも、


今さら言ってもしょうがない



相手も、しょうがなかったんだ



今ごろ言うなんて

みっともない



そんな自分の声が

大声で聞こえるけど、



やっぱり恨んでいて、

早朝の歩き友に

聞いてもらった。




こんな景色を前にしても、

だいたいお互いの愚痴を聞き合ってるの



話してみると、

ほらやっぱりね、



心の中で膨らんでたやつは

言葉にすると大したことない気がした。



そして、気づくんだよね



恨んでたんじゃなくて


悲しかったんだ、わたし。




恨みごとの相手は、母。



悪気はないこともわかってる。


だから、


9年前も自分で言い聞かせたよね



そうだよね、

仕方ないよね、

うん、そうだよね


と。



サクランボが毎年近所の堤防で実ってるの。

食べるの毎朝。



恨みごとが、

悲しいに蓋をした物だったと

気づいた今朝、



急に、

この2ヶ月の落ち込みの正体に気づいた。



あぁ、私は、絶望してたのか




腑に落ちた。



私は、絶望してたんだ。



何に絶望してるのかも、

気づいたけどそれはまだ書けない。


でも、どうしたらいいかは、

わかる。



お友達がくれた言葉があるから。



飽きるまで、絶望すればいい



その通りだ。




この言葉に

愛も希望も入ってる。



ちゃんといつか、

飽きるんだから。