岐阜からこんばんは

 

介護職してる理学療法士

和穂です

 

 

 

 
いっぺんに死んでみるWS認定講師の仲間で
訪問看護師でもある大場まさみさんのブログで
介護しているお母様の急変と
 
お母様が読むとか理解とかが
もう難しいかもと言われる中で、
伝えたい言葉を直接言わなかったことを気にしていると知り
 
 
聞こえてるって私は思う
だから音声や動画は
ちゃんとお母様に届くと思うと、メッセを送った。
 
 
そう思う理由は、5年前の体験にあった。
 
ある症状から私は
意識がないかと思われる状態になった。
 
 
手足が不自然に固く折れ曲がり
首も体幹も動かせず
眼球はあらぬ方向を向いたまま
 
 
まばたきすらもできずに
私の意思で動かせるものが
一つもなかった。
 
 
意識がないかと思われる
 
とは、その状態の時も
私はちゃんと私だったから、
思われただけでそうではなかった。
 
 
聞こえていたし見えていた。
 
 
でも、同じ理学療法士の夫の目にも
和ちゃんがわかっているとは
思えなかったと。
 
 
 看護師さんに、医師に
問いかけられても答えられない。
 
まばたきで伝えることも、
目線を合わせることもできず
 
 
わたし、わかってるよぉ!
 
 
伝えられずに悲しかった。
 
 
 
刺激を与えられても反応が出せない体
勝手な形で固まる体に、
 
 
あぁ、手足が教科書で見たあの姿勢だぁ
あぁ、国家試験で覚えたあれかなぁ
 
 
あぁ、意識がないと思われても
仕方ない状態なのかな
 
 
はっきりと思考できていた。
 
 
医師とナースの会話も、
私のお腹にすがって泣く
一才の娘の泣き声も
 
 
いつも通りに聞こえてた。
 
 
眼球が斜め上なまま動かせないけど
視界にあるものは
いつも通りに見えていた。
 
 
ただ、わかってるよが伝えられなかった。
 
 
医師に呼ばれた夫が来たことは
聞こえていたからわかってたけど、
眼球動かせず姿は見えない。
 
 
私が私のままだって、わかってほしい。
 
 
こんな症状は初めてで、
このままこうなのかと怖かった。
 
私はここにいるよ、わかってるよ、
と伝えられないままなのかと。
 
 
 
けれどその時、
今も忘れない嬉しかったことがある。
 
 
話しかけても
刺激を与えても反応を返さない私の
動かない眼球の視界に入った医師が
 
 
大丈夫だよ!
大丈夫だからね!
 
 
はっきりと目を合わせて
強く言ってくれた。
 
 
嬉しかったのは大丈夫の言葉もだけれど、
 
目を合わせに来てくれたこと、
わかっている私な前提で
話してくれたその姿勢
 
 
先生はわかってくれてるんだって、
そう思えて安心できた。
 
 
涙も出ない固まった私だったけど、
その言葉がけが
泣けるほど心から嬉しかった。
 
 
 
 
 
私の体験は、一体験で、
"意識障害の方がみんなそう"ではなく、
そもそも、その原因も様々なので
 
ひとくくりにはできないし、
していません。
 

でも、
理学療法士の学校で教わった、
「最期まで聴力は残るから」に対して

臨床の頃に意識障害の方のリハをしながら
話しかけて視界に入りに行っても反応無くて
「どうなのかなぁ」が本音だった私は


伝わっているのだと思って
接する大切さを痛感したし、


 
今日コレを書いたのは、
私がされて、嬉しかったこと
を、伝えたかったから。
 
今朝、まさみさんはこんなふうにブログにしてくださった。
 
 
伝わっていないかもと思って言わないよりも
伝わっていると思って言葉にする方が
お互いの心が嬉しいと思う私です。
 

※私に後遺症の類はなく元気でございます
 
おしまい


 

*いっぺん死んでみる〜今を生きるためのワークショップ〜