岐阜からこんばんは

 

介護職してる理学療法士

和穂です

 

 

なんだろう。丈夫なはっぱ、



 

 

 初めての"シモの世話"は、
祖母のクッキー缶だった。



あ。


「排泄介助」
はいせつかいじょ



よりも、
"シモの世話"って書きたい気分なので

そゆことで。




さて。


10代後半のある日、
同居の
祖母の部屋に行くと



祖母の足元、ベッドの下に
クッキー缶がチラ見え


少しの液体とクシャった紙が見え


側にあるトイレットペーパー🧻と
部屋の匂いから秒でなっとく。


流さなきゃ


とろくさい私だが、
この頃からこーゆー時には

一瞬で動いた。


祖母の部屋に入り
「おばあちゃーん」の声かけ

から一瞬で流さなきゃで、


次には手に缶を持っていた。


当時の祖母は、まだ頭はクリア。
認知症ではなかった(体感的に)


だからなおさらのこと、
早く済ませてあげたいと思った。


あ、それはええわ

と祖母は言うけれど、
その声は背中で聞いて、

トイレで流し部屋に戻り
缶は元の場所へ。


すまんなぁ、悪かったなぁ


と祖母の声には、

うんうん、
あのねぇ、今日ねぇ、


すぐに用事の話を始めた。
それしかできなかった。



缶の模様も覚えてる。


大正生まれで
14才で家を出て
看護師になった祖母。

戦争も経験し、
結核病棟で看護師長まで務めた祖母。


畑が上手で、
お裁縫か上手で、

時々、着物を着て台所に立ち
おいしい炊き込みご飯を 
作ってくれた、祖母。




トイレまで行きたいのに
行けないと思った祖母が


缶を手にとったときの気持ちを思うと


さっと捨ててあげるしか
できなかった。




その缶を、捨てにも行けず
孫の私が片付けることもまた、



辛かったと思う。


その日から、クッキー缶でトイレの往復。




この数年後に、
紙オムツになり



ベッドの上でオムツを替えるようになっても
祖母の頭はまだクリアで


ソレをしているのが
"孫のかずちゃん"   なのも
祖母はわかっていて、



だから、とにかく、
手短に済ませるように、してた。


サクランボの新芽


大切な人の
シモの世話は、


いろんな形で始まる。


理学療法士になり、
病院で、在宅で、

介護職として今は施設で、



いろんな始まり方を見ているけれど、
ほんっとにさまざま。


えっ?てくらいに100才さんが
普通の下着でいけてたり、

通い慣れた若手の方(70代)が
急に間に合わなくなったり、


紙パンツやオムツの受け入れも、
ほんとにさまざま。


つくし、はじめました。




たくさんを見てきて思うのは、



先回りして構えなくてもいい。



"世話"をする人もされる人も
ある日急に、または、徐々にくるソレを


とまどうことも、
怒っちゃうことも、


プライドが傷つくことも、
泣いちゃうことも、


あるけれど、



その時の目の前を


やれるように、やる。
わからないことは、相談する。


普通や、正しさ、よりも

する人される人、の
「私は」が大事。




そう。


シモは特別じゃない。
生き方とおんなじ。



主語は「私は」で考えると、
あなたの答えが出ます。


ってことを、
臨死体験をしてからの
終末期医療の"しぬこと"のお勉強で


ゆっくりじっくり
お伝えするのが、


「いっぺん死んでみるWS」
なのです。


私、認定講師なのです。
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