岐阜からこんばんは

 

介護職する理学療法士

和穂です

 

 

 

いっぺん死んでみるWSの認定講師のお仲間

ひーちゃんのブログで

 

 

心の蓋が開いて

溢れ出しました。

 

今日は溢れ出たやつです

 




 

保育園の頃から

劣等感の塊。

 


ずっと思ってた

 

なんで

私なんかが

生きていてもいいの?

 

 

「不安

 

 

目が覚めて

寝るまでずっと

 

その気持ちが張り付いて苦しかった。


 


なんとか払いのけたくて

ずっとずっと

努力した。

 

 

 

頑張れば、努力したら

不安は取れると思いたかった。

 


でも


 

15歳で分数の足し算ができるようになっても

保健室に通いながら大学を出ても

 


私がみんなの普通に追いつくには

何十倍もの頑張りが必要なんだ

 

 

こんなに何の能力もない私が

社会で役に立てるわけがない


 

就活も怖くてできなかった。



 


何もない自分が社会に出るには

誰の目にもわかりやすい

「資格」

が必要だと思った。



 

28歳で国家資格を取って

「医療従事者」という鎧を

身につけたような気になった。


 

でもそれは

不安に鎧を着せただけ。



中身はずっと

 

どうしたら

自分を好きになれるの

自分を信じられるの

生きていてもいいのだと思えるの


 

鎧をつけたつもりが

そんなものは無く



鎧ごとつぶれて

2年半引きこもった。

 
 
何度も死のうと思ったのに
10年経って
死なずにいたら


 

のぶこ先生に出会って
いっぺん死んでみるWSに出会って
 
 
自分が生きていることに
許可が欲しかったこと

 
それでも「死ぬ」を選ばず
ここまできたこと

 
私は生きていたかったんだ
に気づいた。
 

そして「死んでみた」ら多幸感に包まれた。
 
 
「私はよく頑張って人生を走り抜けた!
私よ、ありがとう!
出会った人たちは意地悪も友達もみんな
沿道で応援してくれた人たちだったんだ!
出会った人たち ありがとう!」
 

まさかの、
嫌いな自分に感謝した。


そして
「主観の死」はゴールテープを切ることで
負けでもバチでも忌みでもなく
誇りに思えることだった。
 
 
自分が嫌いは、ほんとに辛い。

もしも
自力でどうにもできないなら
 
その嫌いな自分を
医師考案の「いっぺん死んでみるWS」で


安心・安全に
いっぺん「死なせてみる」のもあり。
 
 
zoom(無料通信アプリ)で
岐阜からお届けします。
 
私とあなたの
マンツーマンです。
 
あなたの話を
聞かせてください。