兄の生まれた日 | 佐渡の食と佐渡の食文化

佐渡の食と佐渡の食文化

生まれ育った佐渡の郷土の食や素材や料理法など綴っています。昭和の頃食べた伝統的な料理や素材にまつわる家族や村の話など交えて記憶に残る景色を綴っております。
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昭和33年1月9日

すぐ上の次男の兄貴の64回目の

誕生日だ。

私が元旦生まれ

兄二人は12月と1月

農作業を終えた

冬に産むなんて

計画出産だったようだ。

 

お腹をせり出して

稲の刈り取りをしていたようだ。

 

この兄貴は現在

九州の小倉に住んでいる。

 

昭和51年の半年間

兄貴は島の進学校の

佐渡高校に通う

私はかりっきし勉強苦手

分相応の高校で

野球小僧をしていた。

下宿宿は老夫婦が下に居住

その二階の二間を借りた

台所は洗い場だけ共有

トイレは共用

二階には一口のガスコンロ

それで煮炊きをして

兄貴と一緒に住んでいた。

東京の大学を目指して

勉強をしていたので

もっぱら私が炊事をした。

 

いまから考えれば

下の台所で鍋に水をはり

上まで持って行き

煮炊きした

焼き魚は海府に帰った時

たぶん焼いて持ってきた

それ以外は水道もない

台所でつくっていた

本当によく食べていたものだ。

何も疑いもせず

不平不満なんて

口にもしなかった

兄を大学に通わせるため

父や母は一所懸命に

働いていたから

それは当たり前だと

思っていたから

やれたんだろう。

 

兄は現役で大学に受かった

今年の箱根駅伝一区で

記録を塗り替えた

赤いCの文字の大学

卒業後は

新聞社に入り記者となり

佐賀から嫁をもらい

そのまま九州に住み

今年あたりで確か

再雇用期間も終えるのであろう。

 

この兄は勉強は確かに出来たが

炊事などは得意ではない

佐渡島に時より帰省すると

一本ヤスで魚を突くのが得意

魚網に沢山いれて海からあがる

そいつの鱗をとり

内臓をとり出して掃除するのは

私のつとめである

仕方ない私は耳が悪く

潜れないから。

 

ハチメ(メバル)

セイケ(カサゴ)

タナゴ

アブラメ

青バクト(ベラ)

七輪で炭をおこす

空焼きにしてから

網に入れて軽く天日干し

九州に戻る時には

新聞紙に包み持ち帰る

そいつを冷凍庫に入れて保存

何かある時に

そいつを煮漬けて食べる

それが楽しみで

夏に佐渡島に帰省する。

これは自慢ではないが

母は兄貴が来ると

やっけら(メンドクサイ)

んなちゃー(私のこと)も

一緒に来いという

私が兄の世話をするかららしい

確かに手がかかる兄ではある。

 

さー今年の夏はどうするか

しょうもないオミクロンの

推移をみるしかない。