6. 「集団自決」をめぐって
通常、虐殺事件に含まれないが、虐殺としか言いようのない事がある。
沖縄戦における「集団自決」などと呼ばれている出来事がそれである。
沖縄の多くの人は、この「集団自決」という呼び方自体が問題だと言う。
(実は、この呼び方は、他ならぬ日本軍が呼び、今の日本政府に引き継がれた呼び方なのだ)
「集団自決」ではなく、内実は日本軍による「強制集団死」に他ならない。
「集団自決」の名称は、本質を意図的にごまかすものだとの主張である。
( 明白な事で言えば、赤ちゃんが「自決」するはずなく、死に追いやられた事はまちがいない )
かろうじて生き残った女性(金城ナヘ)の証言で、その実態をみていこう。
阿波連は、一日目の艦砲射撃で、焼け野が原になっていました。アメリカ軍は、阿波連から上陸するので、早く渡嘉敷の山へ逃げるようにと、私は小さい息子二人をせかして、追いかけられるようにして渡嘉敷に向かっていました。
大粒の雨が、私たちの行く手をさえぎっていましたが、今、目の前に浮いている、山のような黒い軍艦から鬼畜の如き米兵が、とび出して来て、男は殺し、女は辱しめると思うと、私は気も狂わんばかりに、渡嘉敷山へ、かけ登っていきました。
( この後、本文では、彼女が死なずに生き残った事、そのため、親戚に迫害された事、米軍に「保護」された時の事、日本軍の村民殺害の事……等が、証言されている ) |
( 内閣府 沖縄戦関係資料閲覧室 証言集 慶良間諸島2 より抜粋 → ココ クリック )
まず気づくのは、多くの手榴弾が配られていたという、明白な事実だ。
(直接、軍が配らなくても、配った者が軍の意向を無視して軍需物資を住民に渡すはずがない)
「日本軍が関与した証拠はない」などという主張は全く意味をなさない。
(集団自決が起きたすべての場所に日本軍が駐屯、いなかった島では集団自決が起きてない )
しかも、両側の生き残った人たちの「証言」が、少なからずあるだ。
それなのに、「軍が強制した証拠がない」と言い張る人たち。
どういう神経をしているのか、理解に苦しむと言わざるを得ない。
大江健三郎らの「集団自決裁判」判決で、軍の関与が認定されている。
( 2011年4月21日、最高裁で、原告らの上告が棄却、大江らの勝訴が、すでに確定している )
「軍が深く関わったことは否定できず、総体としての軍の強制、命令と評価する見解もあり得る」
さらに、「自決」賛美の洗脳が、日本軍・政府により、なされていたのだ。
( 沖縄でも、台湾・朝鮮と同様に、「皇民化教育」「同化教育」が、徹底的に行われていた)
また、女性は投降したら、必ず強姦されるとの嘘を植え付けられていた。
( 男の場合は、拷問・生体実験・男根を切られる・耳や鼻を切られる等の噂が流布されていた )
これらすべてをふまえ、「集団自決」は「強制集団死」との主張なわけだ。
(命令がない場合も、日本軍に自決に誘導・追いやられたので、「総体としての強制」だと主張)
( 続き 「 7. 教科書検定、抗議集会 」 ココ クリック )
( 「集団自決」 の事例一覧は ココ クリック )
( 「集団自決」の場所が荒らされ、説明板、遺品が破壊された 2017年9月13日 朝日新聞 )