塾でのあの子 | ニンニキ知己日記ニ~ン♪

ニンニキ知己日記ニ~ン♪

長い事、日記代わりに書いてます。2018.4月に卵巣癌の影が定期検診で見つかり2018.5.2にPET検査2018.5.31に子宮付属器、卵巣、虫垂、大網の切除手術を受けました。2018.6 明細胞腺がん1c期確定 TC療法2018.12.6終了寄り添う人の温かさに感謝☆クリスチャンカミングアウト

ちょっと思い出したんだけど
わたし、癌になるまで20年ほど
学習塾で小学生のクラスを担当させてもらってて。

中学部クラスに上がると名前をすっかり忘れ
新しい生徒さんに集中って感じだったんだけど。

でも、忘れられない生徒さんも居て
一人の男の子のことが浮かんだんですよね。

学校では知られた暴れん坊で
「え?なんであの子が塾に来てるの?!」って
文字通り血相変えて見に来た保護者さんまでいて。

その子は、英語だけ習いに来てた。

〜絶対に手を出さないで。
手を出したらココで勉強できない。
君も守る。
けど、他の生徒さんを守るのもわたしの仕事だから。
腹が立つことがあったら、まずわたしに言いなさい〜
が最初の約束で、部屋の角の机を指定して座らせてた。

手を出そうとしても、すぐには届かない場所。
でも一度も暴力を振るうことはなかった。

その子は可愛かった!
出来なくても何度もやり直して
「もう一度教えて!説明して!」と伝えに来て
一生懸命だったし宿題もクシャクシャだったけど
必ず提出した。
それをわたしが褒めまくる、また意欲湧くのループ。

ある時
小さい頃、俺は身体が弱くて生後2年の間
病院に入院していたんだ、と話してきた。
だからダメで、勉強出来ないんだ、と言う。

わたしは
「先生はさ、15年、小学生をみてるんだよ。
 君の理解力は同じ学年の子と比べて
 全く劣っていない。
 もう、赤ちゃんじゃないじゃん。
 ほら、鏡、見てみな。
 自分をダメだと決めつけてるの、君だけじゃん。」


というようなことを言ったのを覚えている。

また別の時は
母親が外国人で父親は亡くなった。
俺は日本語もよく分からないような母親が嫌いだ。
勉強だって全然教えてくれない。
外国人だから、わからないんだ!と。

わたしは
「先生が外国で子どもを生んで、夫が亡くなったら
 とても一人では育てられないや。
 お母さんすごいなぁ。
 しかも必死に働いたお金で子どもを塾にまで
 行かせるなんて、君なら出来る?
 わたしは出来ない。
 お母さん、すごいなぁ。」

とフツーに感想を伝えた。


今になって思うんだけど
その生徒さん、わたしを試してたのかな?

大人は自分を、身体の弱い可哀想な子とか
外国人の母を下に見るって
いつも周りに意識させられてきてたのかな?

ふと、そんな風に今日、思い出したんだよね。


結局小学部にいる二年間、一度も手を出すことは無かった。

学校で同じクラスにいる生徒さんと塾で机を並べ
教え合うまでになり、学校でも暴力を振るうことはなくなったと聞いた。

ただ、隣りの席の生徒さんの保護者の方が
「と、隣りの机に座ってるんですか?!」と目を丸くしていたけど。

自由席だけど互いに隣りに座りに行くんだよね。
いつもニコニコして楽しそうに問題と格闘していた。



わたしは英検の指導が得意だったので
どの生徒さんにも必殺自作過去問で鍛えて
合格ラインまで持って行っていた。

でも、プライドが高く失敗を恐れていたその子は
結局受けずじまい。


もったいないなぁ
わたしも同じようなところがあるから分かるけど。

もう、二十歳をいくつか過ぎているはず。
誰も試す必要なく
元気で幸せに生きていて欲しい。