大平・ダイダラ・タタラ 2 太平山神社 1 | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

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太平山神社

 

 太平山(おおひらやま)神社は栃木市平井町の太平山に鎮座する。

『栃木市史』は「イデン坊の足跡」と題して、つぎの伝説を載せている。

《川原田の前野、粟野街道のほとりの田の中に、くぼ地があった。
 これはイデン坊の足跡であるという。イデン坊という巨人は、一日千里を往復し、水を呑むと湖も干あがってしまうほどだった。
 ある時、この地と安蘇郡の常盤村に足を置き、太平山か晃石山あたりに腰をかけて、巾着の塵をはらったら、その塵が錦着山になり、握り飯の残りを捨てたのが、飯盛山になった。》

 


錦着山  飯盛山がどの山かは不明


 また、太平山の北北西2200m、同市志鳥町の愛宕神社東の小字を大壇房という。

 以上、太平山一帯にダイダラボッチ伝説があることを、まずは、述べておく。

 さて、太平山神社の本殿が鉱窟上にあるということを教えてくれたのは、ヤフーブログ時代からのブロ友さんで、その方とは、今も、たまに、極々たまーに、やり取りがある。彼女の情報に、心を揺さぶられたわたしは、2013年11月20日、紅葉見物を兼ねて、初めて太平山神社を訪った。その後3度この神社、山域を訪れ、知り得たことを、ここに記してみたいと思う。

 


鉱窟入口


 まずは、本殿の下に鉱窟があるということだが、おそらく、これは正しい情報で、わたしが初めて訪れた2013年11月20日時点では、社殿と社務所とをつなぐ橋の下から、その入り口らしきを確認することができた。(この神社の権禰宜のなかには、口の利き方をわきまえないやつがいて、気分を害するから、注意した方がいい。大宮氷川神社の権も同じ。)ところが、去年の6月、今年3月では、明らかに、これをフスマ状のもので覆い隠しているように見えた。つまり、今は見ることができない(と思う)。夜中に、なかに入り込もうと試みる輩がいるんじゃなかろうか。

 ところで、彼女(ブロ友女史)がどこからこのような情報を入手したのかは存じ上げないが、おそらく、賛助会員からではないかと推測する。(ちなみに、わたしが情報を得たのは彼らからではない。)

 実は、この神社には、氏子が存在しない。代わりに、賛助会員というのがいて、この人たちが神社組織を支援している。神社では、一年を通して、様々な祭りが催されるが、なかに60年に一度だけ行われる最も重要な祭りがあり、賛助会員のなかから選ばれた数人(確か3人だったと思う。)だけがこれに参加できるらしい。この祭りは秘事とされ、その名称も定かではないが、どこで行われるかに関してはわかっている。それが今、フスマ状の物が置かれた鉱窟前の広場なのである。つまり、この祭りが鉱窟と密接にかかわっていることを暗示している、といえる。次にこの祭りが執り行われるのは、20数年後だという。

 この祭りの対象となる神は誰なのかといえば、それは、おそらく、天目一箇神ではなかろうか。始め天目一箇神が鎮座していて、その後、太平山神がやってきたというのが、神社の公式見解のようである。(確かに、太平山の山域では、同市岩舟町鷲巣に鷲神社があり、阿波忌部氏の祖神天日鷲命を祀り、また佐野市奈良渕町の小梥神社は天太玉命を祀っており、忌部氏の痕跡がないことはない。)

 


鷲巣鷲神社


奈良渕小梥神社

 

 皇大神社を始めとする境内社10社を集めた横に長い社殿の裏辺りから、太平山へ向かうハイキングコースがあり、そこを道なりに進むと、太平山の手前に天目一箇命を祀る太平山神社奥宮(劔宮・武治宮)が鎮座する小ピークに出る。この辺りを神社では御影山と呼んでいるようだ。

 


太平山神社奥宮(ダミー)


(わたしは、むしろ、このピークの先50mほどのところにある一段と高いピーク――「保安林」の看板があるので保安林ピークとする――の方が御影山の名にふさわしいと考えている。その山の半分は岩が崩壊して高さ3mほどの崖状になっており、もともとは磐座だったのではないかとも考えらるからである。)

 


保安林ピーク


保安林ピークの崖

 

 御影とは、おそらく天之御影命からの命名で、この神は天目一箇命の別名とされる。そして、天之御影命を祀っているのが、近江の三上山(近江富士)の西麓にある御上神社で、三上山といえば、俵藤太の百足退治に出てくる、百足の住処だったとされる山にほかならない。百足が鉱脈を表していることはすでに述べたが、ここからも太平山神社本殿下に開いた穴が鉱窟であるということが推察できる。それほど重要な奥宮が、こんな陳腐な石宮というのはどう考えても納得がいかず、この宮がダミーであることは明白で、本物はおそらく、太平山神社本殿近くにあるものと考えられる。

 それでは、この鉱窟からはどんな鉱物が採掘されたのか、といえば、それは、おそらく、鉄(赤鉄鉱)であったであろうと推測する。その理由の一つは、奥宮の別名が「劔の宮」というように、天之御影命は刀鍛冶の神といわれるからであり、もう一つは、この山の地質がチャートで構成されているところからの推測である。チャートが赤鉄鉱を含有することはよくあることなのである。

 

展望台から 栃木市街


太平山自然観察路


 太平山神社から展望台方面へ東へ向かって進むと、御影山へ登るハイキング道の下あたりに、地層が露出している箇所があり、ジオパークと銘打たれている。層状チャートがぶつかり合ったり、褶曲した様子を観察できる。栃木のこの辺りの山域はチャートか石灰岩がほとんどで、栃木県は有数のマンガン坑の所在地でもある。鉄にマンガンを加えると強度や耐摩耗性、加工容易度が飛躍的に向上するので、日本刀を造る際には必須の鉱物だという。