足利市 大小山 | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

スネコタンパコの、見たり、聞いたり、読んだりした、無用のお話

 先日――といっても、去年、山へ行った――といっても、山といえるかどうか、標高313.8mのちょっとした出っ張りに過ぎない。そういえば、最近、NHKBSで、「吉田類のにっぽん百低山」という、新たな酒飲み番組が始まり、記念すべき第一回目に取り上げられた鋸山の標高は329.4mだから、一応、低山という分類には入るようだ。

 


                                  大小山


 山名を大小山という。大きいのか、はたまた小さいのか、よくわからない、変な名である。それで、こんな小咄を思い出した。

 ネズミを捕まえようと、ネズミが餌を齧ると、支柱が倒れて、鍋がかぶさる仕組みのワナを作った。しばらくすると、鍋が倒れる音がしたので、行ってみると、なかでネズミがしきりに暴れる音がする。「おう!かかった、かかった。これは大きいぞ。」「いや、小さいよ。」「いやぁ、大きいよ。」「いや、小さいよ。」「おっきい!」「ちっさい!」と云い合っていると、なかでネズミがチュー。

 登山口の駐車場には、《大小山の由来》と題して、こんな説明板がある。

 《大小山は古くは鷹巣山といい、伝説では源義国(鑁阿寺開祖である足利義兼の祖父)が鷹狩りの鷹を逃してやったという故事に由来する。山陰の岩場に懸けられた「大」「小」の大文字はJR両毛線の車窓からも望まれる。登山口にある阿夫利神社は大天狗、小天狗の棲む霊場として当時は多くの信徒で賑わったという。》

 

     
                                   阿夫利神社


 大小山西麓に鷹巣という集落があるのは承知していたが、この山を鷹巣山といったとは、このとき初めて知った。大小山名の由来は、この大天狗、小天狗からきているようだ。ならば、神奈川県伊勢原市の、いわゆる大山詣で有名な大山(ちなみに、この山は「吉田類の日本百低山」の二山目に取り上げられていた。)にある、式内阿夫利神社の勧請だろうから、祭神は大山祇神かと思いきや、社殿近くに建つ「大字奉納記念碑」には《當社ハ鷹巣山ニ鎮座御祭神ハ石凝姥命》とある。妙である。

 妙といえば、この「記念碑」の碑文もまた妙である。といっても、ほとんど判読しがたいのではあるが。上の文の後に、こう続く。《人皇十二代景行天皇ノ御宇日本武尊東夷御征伐ノ 東國和平シタマヘ 此岩層ニ叡慮 安ジタマヘシ》スペースは判読不能字。この後、説明板にもある、源義国の鷹巣山の由来が記されているようで、その後、《文化年中彼ノ岩層  光輝》《里人古語 縁ヲ尋ネ新ニ祠ヲ建テ石尊大権現ト称ス 明治維新ニ至リ阿夫利神社ト改称ス(以下略)紀元二千六百一年八月七日 六十五翁 島田甚五郎謹書》とある。(島田という姓氏は足利市・佐野市には極めて多い。)

 


                              妙義山頂の層状チャート

    

                            見晴台から仰ぐ大小山のチャート


 《岩層》という語が2度出現する。確かに、この山は、いわゆる層状チャートの山で、岩というよりは岩層といった方が適切なのかもしれない。この岩層という語と鷹巣山とがクロスオーバーした結果が祭神石凝姥命ということなのではなかろうか。(自分でも云っている意味がよくわかっていない。)

 鷹巣(鴻巣・鴇巣)という山(地)名地には鉱山や鍛冶遺称地が多いことは何度か述べてきた。大小山にも穴が開いている。

 

 

  
                              足利市Webより転載


 ここで正確を期すために、ことわっておくと、地理院地図や昭文社スーパーマップルには、313.8mピークに大小山とあるが、Googleマップや足利市で出しているハイキングマップには妙義山とあり、その南の282mのピークに大小山とある。もともと、この辺り一帯の山を鷹巣山と称し、その後、大天狗・小天狗から大小山となり、さらに、山名は細分化され、「大」「小」の文字を取り付けたピークを大小山というようになり、最高点のピークを、群馬の妙義山と似ていなくもないので、妙義山と名付けたものと思われる。

 

     
                            大岩から見る三毳山と筑波山


 わたしは、反時計回りに、阿夫利神社→大岩→西場富士分岐→妙義山→大小山→男坂→阿夫利神社の周回コースをとった。その穴は登山口から稜線に出たところの、大岩と称するチャートの巨岩がある場所に口を開けている。「ヤマレコ」の記録などを見ると、《自然の洞窟》などと書かれているが、チャートに自然の洞窟とは、ちょっと考えられない。穴はいくつか足元に、まるで落とし穴のように、ほぼ垂直に開いており、最も大きい穴には大人一人なら充分に入れる広さを持つ。ここを起点として、ほぼ円筒形の穴が、北へ向かって下りつつ、ずっと奥まで続いている。匍匐すれば前進できないことはないようだ。これは人工的に掘られた穴に間違いあるまい。

 

 


           こちらの穴はすぐに掘るのをやめたようだ 黒い部分がマンガンだと思われる


 ここから、妙義山方面へ5分ほど歩いたところで、下山する二人連れの男から声をかけられた。「平日なのに、小学生を連れているので、不審に思った。」という。小学生…わたしはこの日単独ではなく、連れがいた。立派な大人である。連れ本人も喜んでいいものやら、睨みつけてやるべきなのか、わからないようで、ヒビの入った笑顔を浮かべている。気まずさを和らげようとしたのか、もう一方の男が「この人この山のヌシです。この山のことならなんでも知ってます。」すると、そういわれた当人が「ガイドやってます。何でも聞いてください。」という。そこで、即座に、大岩の穴について尋ねた。「あれは、マンガンを掘った跡です。」一発当ててやろうと、採掘を始めた人がいたのだそうだが、結局、割に合わないので、やめたということらしく、それほど昔のことではない話だった。自称ガイドは更に「もう一か所、掘った跡がありますが、行く気があるなら、ご案内します。」という。この尾根の東側だという。「だからって、やみくもに入り込むと危険ですよ。」大岩の東側は崖状に切れ落ちていたから、結構な危険が伴いそうだ。行ってみたいとは思ったが、連れがいたし、鷹巣山と鉱山との関係はここでも明らかだったわけだから、やめておいた。

 連れがいなかったら、はっきりしたことはわからずじまいだったであろうから、連れがあるというのも、まんざら悪いことばかりではないのかもしれない。

 妙義山頂にも地元のベテランハイカーがいて、いろいろとこの山域について、教えていただいた。この人は大小山のピークで、打ち合わせのために、知人と待ち合わせていたものか、自治会の催し物について侃々諤々の議論が開始された。ひたすら平べったい沖積地に暮らす者にとって、なかなか見られない光景であった。