こころ旅 その3 | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

スネコタンパコの、見たり、聞いたり、読んだりした、無用のお話

 

 2016年11月、『にっぽん縦断 こころ旅』585日目の旅は、福岡県北九州市八幡西区にある「曲里の松並木」を目指す旅であった。

 当然、曲里(まがり)という地名が気になり、≪「吾が足は三重の勾(まがり)の如くして甚(いと)疲れたり。」≫というヤマトタケルの謎のことばが思い浮かんだ。

 「曲」という字には、どうも良いイメージに欠けるところがある。曲者(くせもの)・曲々(まがまが)しい・へそ曲がり・歪曲・曲学阿世…etcと枚挙にいとまがない。

 そういう字を地名に宛てるところに、なにかしらイワクを覚える。しかも、曲りの里と書いて、マガリである。『日本霊異記』の「片輪の里」を想起せざるを得ない。

 そこで、試みに『広辞苑』で、「まがり(勾・曲)」を引いてみると、またしても、意外な意味を発見。

 ≪①まがること。まがったところ。まがりかど。②「まがりがね」の略。③手綱のなかほどの部分。④(山言葉)猫を忌んでいう。≫

 ④は、山ではネコとはいわずにマガリと呼ぶ、ということになろうかと思うが、これは、マガリ=ネコということである。つまり、ネコ(採鉱民)に、職業病である「猫手(ちょっけ)」――ゆがみ曲がった腕、あるいは、指が曲がって不具になった手――が多かったため、これを単刀直入にマガリとも称したのではあるまいか。つまり、マガリ=猫手ということであり、曲里=職業病を患った採鉱民のコロニーだったのではなかろうか。

 


 そのような偏見というか、憶測をもって、曲里一帯の地名を見てみる。

 まず、曲里の西に穴生(あのお)がある。穴太衆(あのうしゅう)といえば、近江の坂本を根拠とする石工集団である。先年の熊本地震で崩れた熊本城の石垣は穴太衆が築いたという。穴と石工となれば、当然鉱山が連想される。が、しかし、この穴は、古代朝鮮半島南部にあった阿那、あるいは安羅と呼ばれた国のことだという。

 『日本書紀』垂仁天皇三年の記事に、≪天日槍、菟道河(うぢがは)より泝(さかのぼ)りて、北(きたのかた)近江国吾名邑(あなむら)に入りて暫く住む。≫とあり、≪近江国吾名邑≫とは、滋賀県蒲生郡竜王町綾戸の苗村(なむら)神社付近だという。また草津市穴村には安羅神社があって、天日槍を祀っており、周辺には他に二社安羅神社があると、金達寿はいい、穴太衆の穴も安羅のことではないかと述べている。(『地名の古代史』)

 天日槍は、当時、最先端の技術を持った大陸からの渡来人集団の象徴であり、その名――槍、つまり摩羅から――殊に鍛冶技術に優れていた人々と推測される。

 垂仁帝と金属精錬との関係が深いことは谷川健一が説いたが、『古事記』には、垂仁天皇の子、≪伊許婆夜和気(いこばやわけ)王は沙本(さほ)の穴太部の別の祖なり。≫とある。

 物部の根拠地、河内の八尾市宮町には穴太神社があり、境内の「穴太神社畧記」にはこうある。

 


                       穴太神社


  《一、御祭神 天照皇大神 春日四座大神 住吉四座大神の九柱大神
  一、由緒 抑々穴太の地は間人穴太部皇后(聖徳太子の御母君)の御生地にして由来穴太部落の氏神として由緒特に深く明治以前までは宮座八戸を有し近郷稀なる古社である。(以下略)》

 「畧記」によれば、宮町一帯はかつて穴太と称したようで、聖徳太子の母、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の生誕地だというのだ。

 物部守屋と穴穂部皇子といい、物部と穴太部とは繋がりがあるのだろうか。

 また、京都府亀岡市曽我部町穴太東辻に穴太寺があり、穴太部の菩提寺だったという。近くに、大谷鉱山があり、これと関係があると、小田治は述べている。(『地名を掘る』)

 穴生はこれくらいにして、その南に鷹の巣があるのも曲里と金属との関係を示しているように思われてならない。

 鷹巣地名地には鉱山が多い。例を挙げると山形県南陽市に鷹ノ巣鉱山、新潟県魚沼市銀山平(上田銀山)に鷹ノ巣集落。同県岩船郡関川村鷹ノ巣集落の近くに砂金・砂鉄が採れる鉱山があり、福岡県田川郡香春町の香春岳一帯には石灰岩の鉱山をはじめとして銅鉱や金鉱など多くあるが、鷹ノ巣・高巣地名が数か所残る。(田川郡の田川も多加波、つまり鷹羽のことだとする説がある。)わたしが発見したところでは、栃木市吹上町に鷹ノ巣山があり、その南、吹上中学校の東斜面にマンガンを掘った鉱窟跡がある。また、鉱山は確認できないが、「猿ヶ京」にも書いた、みなかみ町永井に鷹ノ巣山があり、その東に黒金山が控え、その北が赤谷川上流部の金山沢であることを考慮すると、鉄を産出する鉱窟があった可能性は高い。

 ちなみに、鷹ノ巣の「鷹」の字を「高」に変えた高巣はコウノ巣とも読めるように、鴻巣地名にも金属がつきまとう。コウノスの転訛トウノス(鴇巣)もしかり。

 さて、その南の鉄王、鉄竜という地名は旧新日鉄による命名だという。しかし、この名は侮れない。なぜなら、その東隣に別所があるからで、これは案外決定的かもしれない。別所と曲里との間に幸神(さいのかみ)があり、道祖神が祀られている。サイの神のサイはサヒ(鉄の古語)を想起させる。曲里町に接して、幸神に田良原(たらばる)池があるが、これはもしかしてタタラ原かもしれない。

 こう見てくると、曲里=職業病を患った採鉱民のコロニー説はそう突飛なものとは思われないのだが、どんなものだろう。