火穴大神 | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

スネコタンパコの、見たり、聞いたり、読んだりした、無用のお話

 2011年正月3日、神社めぐりにでかけた。ところは、比企郡吉見町前河内。

 前河内と書いて、マエゴウチというらしい。わたしは全国至るところにある河内(かわち・こうち)という地名は鍛冶(かぬち)が訛ったものだと考えている。高知しかり、上高地しかりである。

 前河内字中側通に神社がある。額も石碑の類もなく、社名がわからない。社殿の脇に境内社が四社祀られているので覗いてみると、八幡大神と若宮大神との間の幣に火穴大神と書かれている。初めて眼にする神名だ。火穴・・・ヒアナ?それとも、ホドアナとでも読ませるのであろうか。そらみろ、やっぱり河内は鍛冶のことじゃないか。してやったりと、地内にある集会所に入った。そこでは、これから始まる氏子の新年会の準備中であった。


        左から若宮大神・火穴大神・八幡大神・天神社


                      火穴大神


  「あのお、そこの境内社の火穴大神というのは、ヒアナというのでしょうか、それともホドアナとよむのでしょうか。」4、5人いた男たちが一斉にこちらを見た。なんだかさっぱり話が飲み込めないようで、名状しがたいものを見るような目つきだ。もう一度説明してもやはり同じ。すると、1人が別室にいた長老を引っ張り出してきた。氏子総代なのであろうか。

 更に一度、同じ質問を、倭文の苧環繰り返し述べるものの、やはりなんのことやら毛唐人の寝言といった目でこちらを見ているだけ。そこで、話題を変え、「ここはなに神社なんですか。」と訊いてみる。「・・・あれ、なに神社だっけ。」と、助けを求めるように、男たちを振り返る。そういわれてみると、はて、さて、一体、ここはなに神社なんだろう、といった雰囲気が漂い、互いに顔を見合わせて、お前知ってるだろう早く答えてやれよと眼で促し合っている。新年会は只今準備中だから、まだアルコールが入っているというわけではなさそうだ。やがて長老が「ひ・・・よし、日吉神社。」と出た。まさに宿便が出たという感じだった。



                 前河内日吉神社

 すると、長老は、攻守所を変えて、突然、「じゃ、トーカンとはなんだ。」ときた。ヒアナに対してトーカン…なんだか、無理問答の様相を呈してきたか。「トオカンといいますと・・・」「南小学校の北の森をトーカン森という。このトーカンとはなんだ。」そういわれてすぐにピンときた。「稲荷を音読みするとトウカですね、これをオトウカだとか、トウカンだとかいい、太田道灌に故事付けたりするんです。」「確かに、そこには稲荷が祀られている。うちの息子と同じことをいうね。息子は今熊谷の図書館にいる。」

 ここから話題は千変万化し、始まりもなければ、また、終わりもない新春特別対談となった。

 そんなわけで、後日、火穴大神とはなんなのか調べてみた。

 ところが、『埼玉の神社』「吉見町」の「日吉神社」の項には、火穴ではなく、大穴大神と記されているではないか。そこでもう一度よく写真を見てみると、なるほど「火」ではなく「大」と読めないこともない。大穴なら、それはおそらく大穴持、つまり大己貴命のことであろう。

 《我々が見ているものは事物の中にある我々の心である。》というアンリ・フレデリック・アミエルのことばが浮かんだ。

 「ヒアナかホドアナか」なんてよく恥ずかしげもなく訊けたものである。氏子たちも大層オメデタかったが、それに輪をかけてオメデタかったのがわたし自身であったのはいうまでもない。

 しかし、だからといって、河内=鍛冶説を取り下げるつもりは毛頭ない。なぜなら、前河内日吉神社の氏子の間には《山王様(日吉神社)と隣村の元巣神社の神様が喧嘩をして山王様の方が目を取られて片目になってしまった。》という話が伝えられているからだ。ちなみに、前河内日吉神社の祭神は大山咋命、元巣神社の祭神は啼澤女命である。