篠津から連想する(下) | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

スネコタンパコの、見たり、聞いたり、読んだりした、無用のお話

          

           正面の森が篠津久伊豆神社 真ん中辺り ブロック塀で区画された部分が遺跡地

 遺跡が出たという篠津の小字中妻とは、篠津久伊豆神社一帯の小字で、中妻遺跡は神社の南にあり、現在宅地化されている。遺跡地元所有者に話を伺ったが、大した収穫はなかった。神社一帯は、野与党鬼窪氏の館跡と推測されている。鍛冶師はしばしば鬼に例えられるのである。野与党は武蔵七党の一つで、武蔵七党というのは、平安後期から鎌倉期、頼朝を支持した武蔵国の武士集団で、七つの集団に分かれていたのでこう呼ばれる。


            
                            篠津久伊豆神社社殿

 五穀大明神

 

 篠津久伊豆神社には、境内社がやたらに多く、浅間神社、諏訪神社、八幡神社、稲荷神社、雷電神社などの他に、五穀大明神というのがあり、傍に建つ「知足霊神之碑」によれば、祭神は豊受姫・埴安姫の二柱のようである。それにしても、興味深いペアである。そういえば、境内には、榛名神社もあった。なんだか、製鉄系の神社を束ねたようにも思えてくる。


          
                           諏訪神社・雷電神社合殿

 雷電神社は、おそらく、群馬県邑楽郡板倉町にある、いわゆる板倉雷電神社から勧請したものであろう。この神社は関東地方一帯に分布する雷電神社の本宮的存在なのである。雷神もまた鬼として表現され、鍛冶はしばしば雷神にたとえられてきた。それは、カミナリの音と閃光、雨と風に由来するものと想像される。


           
                              板倉雷電神社

 板倉雷電神社境内の案内板によると、祭神は以下の通り。火雷神、大雷神、別雷神、相殿神として、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊弉冉神、大日孁神、天水分神、建角身神、菅原道真公。

 板倉雷電神社のWebにはこうある。

 ≪推古天皇6年(598)、聖徳太子が天の神の声を聞いて、伊奈良(いなら)の沼に浮かぶ小島に祠(ほこら)を設け、天の神をお祀(まつ)りしたのが最初とされています。≫

 わざわざ、聖徳太子をもちだすところに、鍛冶との関係が見える。


          
 

            

                              なまずさん

 また、境内裏手の別棟に置かれているナマズの像「なまずさん」は、≪なでると地震を除けて、元気回復、視力改善、自信が湧き出るとして、親しまれて≫いるという。視力改善というのも鍛冶を想起させ、ナマズとは「鈍す(なます)」という語の誤認によって導き出されたのではないかと想像する。

 真っ赤に焼いた鉄を水中に入れて急冷すると、非常に硬くなり、鋭利な刃物を鍛造することができる。これを「焼入れ」という。これとは逆に、ゆっくり冷やしていくと、軟らかく、加工しやすい鉄に変化する。これを「焼鈍し(やきなまし)」という。切れ味の悪い刀のことを「なまくら刀」というのも関係があるだろうし、蓮田市馬込の寅子石伝説で、寅子の肉が膾(なます)にされてふるまわれたことや、春日部市大字内牧字谷向の楽応寺の伝承で、「薬師様は生ものを忌む」というのも関連があるにちがいない。

 ちなみに、社務所で伺ったところでは、昔、飢饉のときに、ナマズを食して糊口をしのいだことから、ナマズを神聖視しているのだとのこと。にもかかわらず、参道には、数軒の食事処があって、飢饉でもないのに、ナマズを食すことができるというのは、いったいどういうことだろう。

 ところで、ササキとはスズメの古語でもあった。仁徳天皇のことを大雀命(おおさざきのみこと)とも、大鷦鷯尊とも書くのは、ササキが、スズメやミソサザイのように、小さな鳥を指す語であったことを物語っている。(ちなみに、鳥取・島根両県には、苗字を鷦鷯と記すササキさんが少なからずいる。)それで思い出すのは、柳田國男が、スズメのことを、クラとか、イタクラとも称した、と述べていることである。(『野鳥雑記』)

 板倉といえば、邑楽郡の板倉以外に、往古、備中国賀陽(かや)郡に板倉郷があった。現在の岡山県岡山市吉備津付近を指す。ここに、鬼退治で有名な桃太郎のモデルとされる、吉備津彦を祀る吉備津神社がある。吉備津彦が打ち取った鬼の名を温羅といい、ウラは天津真浦、つまり鍛冶師にほかならないことはすでに書いた。

 そして吉備津彦の父、孝霊天皇の和風諡号は大日本根子彦太瓊天皇(おほやまとねこひこふとにのすめらみこと)とネコが付き、異母は細媛(くわしひめ・ほそひめ)命というが、これはササ媛ではないか、というのが若尾五男の説である。細媛は磯城県主大目(しきのあがたぬしおほめ)の娘で、大目とは一つ目のことをいう。孝霊天皇・細媛命・吉備津彦命などを祀る神社が、鳥取県日野郡日南町大字宮内などの日野川流域に12社あり、その社名を楽々福(ささふく)神社というのも偶然ではないのである。

 楽々福神社にも鬼退治伝説があり、孝霊天皇の若宮である鶯王が鬼を成敗したことになっているが、ウグイスはスズメ目の小鳥であるから、当然、ササキとも呼ばれたにちがいない。