やっと観た。実写アラジン | キリギリスのつぶやき

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キリギリス体質な社内通訳者の悪戦苦闘な日々のつぶやき・・・  
   

なんだかここんとこ、”やっと観たシリーズ”と化している当ブログですが、ジメジメした梅雨気分を吹き飛ばすべく、実写版アラジン観てきたキリギリスであります。

 

 

 

↓コレね。はい。ネットから画像拝借。

 

この、そのまんまウィル・スミスが青くなっただけじゃーーーん!!って感じが、公開前から全世界的に話題騒然になってたわけですけどー。

 

 

 

 

私は好きでした。もともとウィル・スミスのファンだし。

 

 

 

 

彼は、私が初めて高校生の頃に交換留学していたくらいの時期に、The Fresh Prince of Bel-Airっていうシットコムに主演していたのをよく観ていたので、思入れがあるんですよねー。ちなみに、シットコムってのはシチュエーションコメディの略で、観客の笑い声などが入る30分の公開収録方式のコメディドラマのことです。日本でも大ヒットした”フレンズ”などはこの形式です。

 

 

 

このシットコムで、ベルエアーっていうロスの高級住宅街に、フィラデルフィアでヒップホップやってた、まぁ言うなれば”不良”っぽいストリート系のアフリカン・アメリカンの男の子が、事情で引き取られてやってきて、そういうカルチャーには免疫の無い”上流”ぶっているコミュニティでいろいろと面白い事件を起こしていくコメディ。

 

 

当時ってさぁ、ヒップホップっていう言い方とか、ヒップホップカルチャー自体が、今ほどまだよく知られていない時代でした。アメリカの大多数の人はこういう新しいコメディ番組でヒップホップってなに?ラップってなんぞや?アフリカンアメリカンカルチャーって何?ってことを学んだりしたわけです。

 

 

その後、ウィルスミスは大映画スターになってしまったので、TV時代の過去を知らない人も多いかもしれないなぁ。

 

 

 

 

 

ま、さておき。アラジン実写版。

 

 

確かにね。アニメ版は私も大好きでした。私の中ではディズニーアニメ映画の中では、トイ・ストーリーに次ぐ第2位くらいの地位を占めています。だからこそ、アニメ版の伝説のロビン・ウィリアムス版ジーニーの、あの早口でウィットに富んだ秀逸なアドリブと、それに合わせて絵に変更を加えつつ作ったと言われている、あの変幻自在なジーニー像を実写で超えるのは難しいだろうなぁ・・・というのが懸念としてあったわけですが。

 

 

 

 

青色ウィル・スミスもけっこうよかったよ。

 

 

ロビン・ウィリアムスのアニメ版ジーニーとは、全く違っていましたけれど、違った面白みがあった。元々ヒップホップアーティストでもあり、ラッパーであり、コメディアンでもあるウィル・スミスだからね。あの早口でたたみ掛けるジーニーのしゃべりが、リズムも発音もアフリカン・アメリカン的な感じも取り入れつつ、ヒップホップテイストで、超絶に面白かったわーーーー。

 

 

 

最初に洞窟でランプからジャジャジャーーーンって出てきて、アラジンに名前を尋ねるところあたりは結構違和感あるわけですけど、でも妙なおかしみがある。←だってさ、実写なんだから!!

 

 

それで、What's your name?(おめぇ、名前なんてーんだ?)ってアラジンに名前をきくセリフからして、もうラッパーな感じなのがサイコー。英語の発音自体がね、黒人ラッパーっぽくて、それが良かったです。全く別物な感じが良かった。

 

 

 

日本語吹き替え版では、アニメ版と同じ山寺宏一さんがジーニーを担当されているので、吹き替え版を観る方には、アニメ版との違和感は無いのかもしれませんねぇ。でも芸達者な山寺さんだから、きちんとヒップホップ感も出してくれているのかもしれないなぁ。

 

 

実写版のアラジン役の男の子は、街中をパルクール張りに走り回る感じとか躍動感があってよかったんだけど、いかんせん歌がイマイチだった気がするんだけど、どうなんだろう?!

 

 

もちろん下手ってわけではない。うまいとは思わなかったけど。で、あの素人臭さが初々しい感じでアラジンのキャラとしては良かったのかもなぁ。あんな半人前のウブな青年の役がミュージカルスターばりにWhole New Worldを歌い上げたりするとイメージに合わないっていう総合的な判断だったのかなぁ、ディズニーの。

 

 

ジャスミンは美しくて強くて、歌も超絶うまくて、良いヒロインだった。

 

 

今回の映画は、アニメとエンディングは違っていますね。

 

 

 

 

 

90年代辺り、キリギリスがまだアメリカに生息していた頃から、ディズニー映画というのはアメリカのカルチャーの一部として、子供にも大人にも長く愛されているがために、社会のさまざまな批判を受ける立場にありました。で、90年代に盛んに糾弾されたのが、”プリンセス”問題。

 

 

 

つまり、綺麗で可愛くて産まれながらに恵まれていて、非力で王子様に助けられるのを待っているだけの女性像が、これからの世界を担っていく世代の女の子たちのロールモデルとして適切なのか?という点。

 

 

ディズニーアニメは、元々はおとぎ話を題材にした作品が多く、白雪姫、シンデレラ、眠りの森・・・と、60−70年代、ウォルト・ディズニーがまだ存命だった時代のディズニーの長編アニメ映画と言えば、おとぎ話でも有名なプリンセスが出てくる物が多かったわけですが、それが80年代後半から90年代にかけては槍玉にあげられ、アメリカではボイコット運動さえ起こりました。

 

 

 

その過渡期に出たのが、リトル・マーメードで、当時アメリカに居た学生キリギリスは、あの可愛いアニメ映画に対して、親世代が不買運動を行ったりする意味を考えて、アメリカっていうのは面白い社会だなぁ・・・日本とはなんて考え方が違うのだろうと思ったのでした。

 

 

 

あ、もちろんリトル・マーメードは良い映画だし、素晴らしい音楽も相まってアメリカでも数々の賞もとりましたし、今でもファンの多い長編アニメです。まぁプリンスに見初められる/プリンスを見初めるっていう形はオールドファッションなラブストーリーではありますが、アリエルという可愛らしい主人公が、もともと海の神ネプチューンの娘で海のプリンセスであった地位を捨てて、自分の意思で人間になることを選ぶ・・・みたいな主体的な部分があったし、まぁいわゆる”自分の足で未来を歩いていくヒロイン”みたいな比喩的な意味合いもあったので、まぁ良しとしよう・・・みたいな落とし所になったみたいです。

 

 

 

そういった社会の流れ、考え方の変遷に合わせてディズニーは”自立した女性像”とか、少女たちのロールモデルとしての女性像というのを模索していきます。そして、ポカホンタスやムーランなどを打ち出します。それまでは”白人”であることが当然と思われていたプリンセス像に、人種的にも多様性を求め、しかも女性の主体性や自立などをお話として打ち出すものを出していくことになりました。

 

 

多民族国家であり、女性の権利ということに非常にセンシティブであるアメリカ国内では、そうしたディズニーの姿勢が社会的に評価されつつも、まぁ、世界的にはさぁ。結局はキレイキレイなおとぎ話の方が大衆にはウケる・・・っていう図式もあって、ディズニー映画は低迷することになっちゃうわけでね。

 

 

で、低迷している間にはピクサーを買収したりして、今までの手書きセル画で美しく作り上げるのこそがディズニーアニメの真骨頂!とかいうこだわりは捨て、CGアニメの世界を強化していくことで、ニモだとかトイ・ストーリーだとかのヒット作を連発していきます。

 

 

そんなこんなで、これからはピクサー系のCGアニメが主流になるのかな?ディズニーアニメ??と思っていたところで、90年代2000年代を通して20数年に渡り、ディズニーが試行錯誤して取り組んできた”プリンセス問題”にカタをつけるFrozen(アナと雪の女王)が満を辞して登場したというわけです。

 

 

プリンセスではありつつも、異端の力を持った不遇の生まれつきに悩み苦しみつつ自己を確立していくプリンセスの物語。王子様や男性キャラとの恋愛を絡めつつも、姉妹愛を中心にして描く・・・って感じ。さすがに20年以上かけて構造から作り上げただけあって、よく社会の要求に答えた名作となりました。あのアナ雪の構想は、まだウォルト・ディズニーが存命の頃から、アイデアを練りに練って作り上げたらしいですよ。

 

 

へーーーーー。

 

 

 

 

 

ま、さておき。今回のアラジンのプリンセス像も、そんな今までのディズニーが辿ってきたみちの延長線上にあったのだと思います。アニメ版では、単純にアラジンとプリンセスが結ばれてめでたしめでたしでしたけどね。

 

 

 

今回は中東での女性差別・女性蔑視のような社会的問題に一石を投じつつ、個別の宗教を攻撃しないで描くにはどうしたらいいか・・・というところで危ういバランスを取った仕上がりになっていました。

 

 

 

風景や人々の見た目としては中東のお話だというイメージは与えつつも、国名などを含めて全てはファンタジーという感じを押し出し、さらには衣装なども中東風というよりは、インド風と西洋風を混ぜたような感じにして、宗教色や文化的オリジンなどはふんわりさせてあるような感じ・・・

 

 

 

 

めちゃめちゃ一生懸命に、ディズニーは決してイスラム圏の文化を否定するつもりはありません!!!!という主張をしつつ、中東・インドを含めた東洋圏の女性差別を語る・・・という微妙な離れわざ。

 

 

 

 

でもさー。ジャスミンの父王がね。キングじゃなくて、スルタンって呼ばれちゃってる時点でがっつり中東感が出てるよね。スルタンとかサルタンとか言えば、イスラム教国の君主。オスマン帝国の皇帝を表す言葉だから。

 

 

 

そんなこんなで、エンディングはあっちにもこっちにも配慮しつつ、アメリカやひいては世界中の女の子に対するメッセージとして、進化させたストーリーを持ってくる辺りが、ディズニーです。伊達に長年アメリカで批判にさらされつつエンタメの雄として君臨しとらんわぃ。

 

 

 

 

↓とかなんとか言いながら。コレね。

 

 

単純に、ヒップホップジーニーなウィル・スミスの、あの青塗りで生々しい感じがね。

 

 

一見の価値あり!!笑えるんだわ。

 

 

 

 

それにしても、一向に少女たちのロールモデルとして”プリンセス”って存在が適切なのか・・・なんて議論も成されず、それどころか、10代でミニスカで男に媚びるカワイイカワイイだけのアイドルが”女としてのロールモデル”となっても大人が全く頓着もせず、金儲けのために未成年女子を搾取し続けている日本社会。大人の男性が性的な対象として10代の子供達を大々的にメインストリームのメディアで見ることのできるニッポン。インテリジェントな女性でも、わざと”天然キャラ”で”おばかキャラ”を作らないと男性に好かれないどころか、”弱い・幼い・拙い・頭悪い”ってことが女性の特性としてもてはやされるような社会。それを前面に出さなければ、男性が優位に立てて気持ちよくなれないから萎えちゃうような社会って、どうかと思うけどね。

 

 

男女雇用機会均等化だとかー、少子化問題の打破だとかー、そういうこと言うまえに、このあまりにも世界から乗り遅れたお粗末な精神構造と社会のあり方をどうにかした方が良いんじゃないかね?!

 

 

 

 

 

 

 

ま、さておき。

 

 

 

言語的な観点から観ても、アニメ版のロビン・ウィリアムのジーニーと、ウィル・スミスのジーニーは興味深いものがあったし、なかなか感慨深い新作ディズニー映画でした。

 

この夏は、トイ・ストーリーの第4弾も出るし、さらに次にはライオン・キングの実写版が出るみたいですよ。

それも楽しみだなぁ・・・

 

 

 

 

 

 

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本日は、ちょっとかるーく観た映画について感想を語ろうかと思っていたのに、書き進めるうちになんだか暑苦しい感じになってしまいましたとさ。ちょっとばかりの言語ネタもちりばめつつ、青年の主張的なパターンでお送りしておりますが、この辺のボタンをクリックすると、キリギリスが喜ぶ仕組みになっております。よろしくおねがいしま〜す

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