ジワジワ効くボディブロー | キリギリスのつぶやき

キリギリスのつぶやき

キリギリス体質な社内通訳者の悪戦苦闘な日々のつぶやき・・・  
   

毎日ブログを更新できる人って、えらいですね。

私はキリギリス種なもので、そんな勤勉なことは、まずできない。

でも、週3くらいはアップしようかな〜とか思っているわけですが、なかなか・・・

 

 

 

キリギリス、基本的には脳天気な生き様を晒して、このブログ上ではみなさまの失笑を誘って喜んでおるわけですが、たまには落ち込むこともあります。

 

落ち込んでるんだよー。

その上、追い討ちをかけて、仕事が忙しいんだよー。目が回る〜〜

 

 

 

人生とは、まぁ、なかなか侭ならないものと相場が決まってるんだけどさ。

 

ブログは個人的なものながら、インターネットというパブリックなもので発信する以上、あまり個人的感情の垂れ流しはどうかなぁ、と思うのでありますが。いろいろ書いたりすることで、気分を発散することが目的のブログだしなぁとも思う。そういう意図でやっているなら、気重になっている時に、何も書かないのも本末転倒な感じがするしね。

 

 

って、前置きが長いですか。

 

 

 

ま、ぶっちゃけて言えば、2月に乳がん治療をしたことから派生して、3歳年上の兄(が居るのだが)と、仲たがいした・・・っていうだけのことなんですがね。それが何でこんなにこたえているのかも、良くわからない・・・

 

 

 

人間も、ほぼ半世紀も生きていると、生家で生活した時代(主に子供時代)が、遠い昔になり、その比重が人生の1/4になり、そして1/5になり・・・となっていくものですよね。

 

兄と私が一つ屋根の下で暮らした年月というのは、考えてみたらほんの15年くらいのものでした。私は15歳の時に高校生で交換留学に行き、同じ年に兄も大学生として留学したので、それ以来は、お互いに別々に暮らしてきました。

 

ま、かれこれ30年も前の話ってことだよね。

 

そういうことを考えると、生家の家族との関係って、危ういものです。確かに一緒に暮らさなくても、絆の固い家族というのも存在しているので、一概には言えないわけですが、一緒に暮らせば気心も知れるし、情もわくけれど、30年以上も分かれて暮らしていて、それぞれ海外にいたり、アメリカ国内でも遠く離れていたりする場合は、ほとんど接点は、実家の親だけってことになります。

 

そんな中で、自分にとっては一大事である、乳がん治療を受けなきゃならないピンクリボン・・・という事態に直面した時に、まぁ、いろいろ見えてくるものがあったわけです。

 

 

 

結局は、遠くの親戚より近くの友達っていう言い方がありますが、それは真理だなぁ、としみじみ味わいました。

 

 

 

兄はNY在住で、国籍ももうアメリカに変えてしまっているのでね。もう、赤の他人以上に疎遠な仲になっていたんですね。兄妹だから絆がある・・・と思うのは、幻想なのだと思います。

 

 

 

でも、キリギリスの心の中で、それでも肉親なら、心配もしてくれるだろう、ケアしてくれるだろう・・・という期待があったと思います。

 

 

結論から言えば、キリギリスのバカというのは、キリギリスに輪をかけて浮世離れしている人物で、NYでミュージシャンなんていうことをしているので、ますます社会通念や常識ということから逸脱した人間なわけです。←これ、キリギリスに言わせるんだから、相当なもんです。

 

 

 

発端は、めちゃめちゃ下らなくて書くのもためらわれるようなことなんだけれど、実家の和室の

畳替えの費用を誰が出すか・・・という、どうでも良いようなお金の話だったわけです。

 

 

この畳替えの費用ってのはね、私が全額黙って出しました。それが2016年の年末。

 

 

しかし、その直後にガンが発覚した。で、医療保険にも入っていないキリギリスは、急に不安になったわけです。

 

 

お!こりゃ、畳代を出している場合ではなかったんじゃ・・・とね。

 

 

で、2017年の正月に帰省していた兄に、「今回の実家での畳替えの費用は、もうキリギリスが出しておったのだが、悪いけど、年末にガンが発覚した関係上、治療費がいくらかかるかわからないので、今回はキミが畳代を出してやってくれんかえ?」

 

 

・・・・と持ちかけたところ、めっちゃくちゃ抵抗されて、驚きました。そんな抵抗にあう想定がなかったからね。

 

 

 

兄の言い分:

会社員をして安定した生活を送っている(はずの)、日本在住のキリギリスが実家の費用は出すのが当然である。自分はアメリカでフリーのアーティストという保証のない身である上に、正月に家族に顔を見せに帰ってくるだけでも30万からの出費になっているのだから(誰も頼んでないわ!ボケッッ)、キリギリスが病気になったくらいのことで、お金を貸すなどというのは、合理的に考えて、間違っている。

 

 

・・・と、きたもんだ。

 

 

このね、合理的に考えて・・・ってのを、何度も言われたわけです。お互いにヒートアップして喧嘩腰になっていたもので。

 

 

ヤツは、さらにそれを英語に変換してね、

Logically speaking, it doesn't make sense. ってね、わざわざ英語で言い直してました。

 

 

 

馬鹿じゃねーの?!

(言葉遣いが汚くてすみません)

 

 

 

ここで、厳密に言えば、お金を借りたいのは、この場合はウチの両親ですね。でも、そろそろ二人とも50代になろうっていう成人した子供が二人もいるウチで、実家の畳代くらい出すのは、普通のことです。お金を貸す借りるってことではない。

 

 

いくら貯金のないキリギリスだって、ガン告知がなければ黙ってその費用を出していたわけでね。ってか、もう既にそれは正月の時点ですっかり全額支払っていて、畳も新年を前に、新品に代わっていた。その上、アメリカからやってきていた兄貴は、そのキリギリスの畳代で換えた真新しい畳の客間に滞在していたんじゃんか!ムカムカ

 

 

 

すでに私が出してやっている畳代を、兄が後から出すことにして、全額もらったとしても、私の出費はプラマイゼロじゃんね。

 

 

 

 

バカ兄にお金を借りるなんて話を、誰がしてんじゃ、ボケッッッムカムカ・・・・ってことなのですがね。話が通じなかったわけです。(通訳としては、敗北感ありますね、話が通じないって点で)

 

 

 

それで、とりあえず、お正月の時点で、話は平行線になり、それでも根負けしたのか何なのか、正月の日本滞在の最後には、次回に日本に仕事でくる際に、畳代を持ってきてキリギリスに払う・・・と、口約束をしてNYに戻っていったわけです。

 

 

 

それから半年*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

その半年の間には、2月に乳ガンの手術、3月-4月にかけては放射線治療・・・ということが繰り広げられて、積極的治療は、現在投薬のみで、元気に復職もして通常の生活をしているキリギリスですが。

 

 

つい先日、仕事でまた6ヶ月ぶりにバカ兄が帰国してきました。

 

正月の話を受けて、まぁお金のことをうるさく催促するのも気が悪いと思い、キリギリスはFacebookに紐付いているMessenger (ラインのようなメッセージアプリ)で、かる〜い感じでね、お正月の時には、最終的に次回に帰国する時に畳代を兄貴から貰う約束になっていたはずだから、そのお金は実家で父にでも渡しておいておくれ、キリギリスは後で実家に取りにいくから・・・

 

 

と、なるべくソフトめに書いて送りましたら・・・

 

 

Messengerのメッセージに返信もして来なかったどころか。

Facebookのフレンド登録を抹消された・・・・叫び叫び叫び

Facebookをしていない方に説明しますとね。これはまぁ、携帯メールを着信拒否されるとか、ラインをブロックされるとかと同じことな上、今まで太平洋を隔てて住んでいる関係上、Facebook上でお互いの近況を伝えあっていた兄妹間においては、絶縁したのと同じことなわけです。

 

・・・・・

 

・・・・・

 

・・・・・

 

・・・・・

 

マジっすか?!Oh〜〜NO〜〜〜〜!!!

 

 

あ〜〜〜あ。

疲れるわぁ〜笑い泣き

 

 

 

そんな事件を受けて、まぁ長年アーティスト気質というか、アーティスト気取りの男の妹をしてきた経験上、「またか。でも、とうとうここまでやるのか」と思ったわけですが。

 

 

 

でもさぁ。

まぁキリギリスの実家では、それほど驚く事態ではなかったこの腹立たしい状況がね、後からジワジワ効いてくるボディブローみたいな感じでね、だんだん効いてきた。

 

 

 

瞬発的にはね、この、バカ兄貴!!って叫んで、でも、まぁしょうがない、あれはそういう人間だってのは、長年変わらないことだから。

 

 

・・・と、理性で処理できたのですが。

 

 

 

 

ボディブローがジワジワ効いてきた理由として、何がそんなにこたえるのか、なんでこんなに気分が落ちるのか・・・と、自分でもちょっと掴み兼ねているところが、今回の落ち込みの厄介な部分なのかもしれません。

 

 

 

 

畳代のことじゃないですね、本質は。

治療費については、以前に赤裸々告白をこの辺に書いていました(←クリック〜♪)が、ガン保険に入っていないとか、入院保険に入っていないとかいう生き様をしてきたことについては、言い訳の余地もなく自業自得であって、まぁそうなったからには、金銭的に困窮しても、それはしょうがないわけですね。

 

 

 

その辺は、納得行くにしても。

 

 

一番こたえたのは、

血をわけた兄に、ガンになったから手術を受けるんだ・・・という告白をして、お金のことはさておき、結局、いっぺんも「大丈夫か?」とか、頑張れよとか、何らかの優しい言葉が聞けなかったのが残念でならないわけです。

 

 

見舞いの言葉ひとつも言えないのか、わりゃ?!(言葉遣いが汚くて、すみませんが・・・)

 

 

 

これはね、彼の人間性を物語ることで、自分に帰属することではありませんが、まぁ、肉親がガンになったって聞いて、畳代の文句を言うってのを置いといたとしても、お見舞いの言葉ひとつも言えない人間を肉親に持ったのか・・・という脱力感と失望感は、非常に大きい。

 

 

これは、もう、どうにもならないことです。兄は肉親とは言え、独立した個人であり、いい大人なのでね。説教したって涙で訴えたって、こういうことが改善されるわけではないし、50も過ぎた大人のキャラクター特性みたいなものは、今更変えられるものでもないでしょう。

 

 

 

そう思うと、虚しさは募ります。親が他界すれば、この世で血を分けた人物は、この人だけになるのか・・・と思うと。

 

 

でもさ。こうも思うわけです。

 

 

自分は、いったい何を期待していたのだろうか?

 

このブログには、常々書いてきたことですが、今回の乳がん治療については、告知された瞬間から、たいした動揺もなく、さして命の危険も感じず、泣くこともなく、粛々とそれはもう落ち着いて、前向きに治療を進めて来ることができたと自負しています。

 

 

これは、自分でも意外だったわけですが、何だかあまり動じるってことがなかった。

 

 

お一人様人生を送るキリギリスとしては、そうできたことが、まぁ救いでもありました。早期発見できた今回の乳がんレベルのことなら、自分はまだ大丈夫だな、と確信できたので。

 

 

それなのにね。肉親だからというだけで、兄がお見舞いの言葉をかけてくれない・・・という事実が、なぜそれほどこたえるのか。

 

 

これは、甘えの構造なのではないかと思います。

肉親なら当然〜〜であるべき。そういう社会通念や、まぁ今までの経験などから照らし合わせて、人間社会では当然そうだろうと想定する状況があって。それに当てはまらないものには、違和感を覚えたり、失望したりする。

 

 

でもさ。私がガンになったからと言って、自分でさえ一切泣きもせず、動揺を最小限に過ごしてきたというのに、今更誰かに同情してもらいたいってのは、どうなんだろう?とも思います。今更。もう病気のこともあまり考えずに過ごすことが多いこの頃なのに・・・

 

 

 

期待するから失望するわけです。

そして、早期ガンになったくらいのことで、どうして同情されることを期待してしまうのか?自分では大して辛い経験だったと認識しているわけでもないのに。

 

 

 

振り回されている気がします。いろいろな世間のイメージや、常識や、社会通念みたいなものに。乳ガンに絡んだ、生と死と愛と名声の壮大なホームドラマを強制的にマスコミ報道で日々見せられているしな・・・

 

 

 

ガンになったら大変。ガンになったらかわいそう。ガンになったら優しくされるべき。ガンになったら・・・

 

 

はっきり言って、うざい。自分が。

 

かわいそうな私・・・と思いたい自分が、そこに居たような気がして、いたたまれない。

だから、ボディブローがじわじわ効いてきているだと思う。

 

 

 

 

自分の心を弱めるのは、結局は自分。

 

 

アメリカでは、自己啓発本が非常にポピュラーでね。Self Help という言い方をしますが、本屋さんには必ずSelf Helpセクションが設けられていて、心理学から宗教、哲学を駆使したさまざまな自己啓発本が並んでいます。アドラーなんかもね、そういうところからポピュラーになって来たわけです。

 

 

大学時代は、哲学やら美術史やら心理学に傾倒していたキリギリスは、何百冊というSelf Help本を読み漁っていたのですが、その中で、まぁまぁ今でも心に残っている言葉があります。

 

In this world, only thing you can change is yourself. (この世の中で、変えることができるのは、自分自身だけである。)

 

 

この世は、ままならないものです。

政治や紛争や異常気象、経済不振、自分の病気に、家族の介護。薬の副作用に、仕事の忙しさ、職場の人間関係に・・・・と、数え始めたらこの世には、ありとあらゆる障害が満ち溢れている。

 

 

その中で、自分の力だけで、確実に変えることができるのは、自分自身だけ。

 

 

兄を変えようとするのでなく、病気を変えようとするのでもなく。

自分の心の持ちようしか、自分には変えることはできない。

 

 

病気になったから、優しい言葉をかけてもらうのは当然と思う自分を変えるしか、このボディブローの威力から逃れる術はないってことなわけだよね。

 

 

何も当然じゃないんです。

病気になっても、別に同情が欲しいわけじゃないのに。なのに、どうして優しくされるべきだと思ったり、それが得られないからといって、気持ちが左右されてしまうのか。どうして、自分から可哀想になろうとしてしまうのか。

 

 

そんな生き方は、嫌だ。

 

 

 

と、ここに書いておこうと思う。また、誰かに何かをしてもらえない、誰かに何かを言われた。誰かが〜〜してきた。そんなことでまた悩んだ時のために。

 

Only thing you can change in this world is yourself.

(この世で変えることが出きるのは、自分自身だけです)

 

 

 

 

 

 

・・・・・

 

・・・・・

 

・・・・・

 

 

そして、気分が落ちた時のランチは↓

 

 

・・・・・

 

・・・・・

 

・・・・・

 

 

カツカレー食らってやりました!ええ、やりましたとも!!(20年ぶりぐらい)

 

 

カツで勝つ(何に?)

(少しは懲りろ・・・わたし・・・)

 

 

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本日は、ちょっと久しぶりにアップしたと思いきや、個人的な愚痴満載ですみません。そして、落ちていようと悩んでいようと、うまうまは止まらないあたりが、まぁキリギリスらしいかと・・・。しるか!そんな家庭内不和の話なんざ〜って方も、兄弟姉妹あるある〜〜って方も、この辺のボタンをクリックすると、キリギリスが喜ぶ仕組みになっております。よろしくおねがいしま〜す

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