宗吾霊堂 御待夜祭 | 千囃連のブログ

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9月7日は
成田市 宗吾  宗吾霊堂 御待夜祭へ行って来ました

千葉県成田市宗吾にある宗吾霊堂は、正式には鳴鐘山東勝寺(めいしょうざんとうしょうじ) 別格本山宗吾霊堂(べっかくほんざんそうごれいどう)といいます。
    縁起は、桓武天皇(かんむてんのう)の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が房総を平定し、戦没者供養のため建立された真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺院です。
  

 歌舞伎でも有名な(平成10年10月に佐倉義民伝が2代目中村吉右衛門により国立劇場で上演、また平成14年12月に5代目中村勘九郎が歌舞伎座で上 演)佐倉宗吾(本名 木内惣五郎)は、佐倉藩国家老による暴政のため領民の救済を4代将軍家綱直訴し、その罪により承応2年(1653年)8月3日公津ヶ 原で磔刑に処せられました。
    その遺骸を刑場跡に埋葬したのが現在境内にあるお墓です。

  

 宝暦2年(1752年)、百年忌に佐倉藩はその失政を悔い、堀田正亮(ほったまさすけ)が宗吾道閑居士(そうごどうかんこじ)の法号を諡号(しごう)し、以来宗吾様と呼ばれるようになりました。

  

 現在、境内には本堂、大本坊(客殿)、奥之院のほか、宗吾様の遺品や関係文章が展示されている霊宝殿、宗吾様の生涯を66体の等身大人形で再現した宗吾御一代記館があります。

  

 享和2年(1802年)義民宗吾の百五十年忌の供養が行われたとき、台方村が総代となり「笹踊り」興行したのが御待夜祭の始まりと言われ、9月3日(旧暦の8月3日)の命日の前の晩を逮夜と呼び、人々は宗吾霊堂に「おこもり」をして夜を明かしました。
    戦前までは「御逮夜祭」と仏教用語でしたが、戦後は現在の「御待夜祭」と称しています。


  と宗吾霊堂の説明にあります



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こちらの祭礼には毎年お邪魔させて頂き 宗和會の面々に色々お世話になっております

7日(最終日)は1時のスタート時には あいにくの雨模様で 昨年の雷雨の中の山車曳きと同じになってしまうのではと言う思いかこみ上げて来ました



スタート前に神社を参拝し 神酒所へ挨拶に行って来ます

宗吾霊堂 本堂と屋台




式典が始まります



手古舞さんも準備が出来ました・・可愛いですね(=⌒▽⌒=)


小雨の降る中 山車のスタートです



お囃子は 佐原囃子 乗車は宗吾芸座連です

雨が降っているので自分はチョット飲食テントの中で休憩しま~す(-^□^-)




・午後の部  6時スタートです





日が落ちて 山車の美しさがいっそう引き立ちます





おひねりを頂いた所で踊りが始まります





宗吾区の見せ場 宗吾団地の坂を上り終えるとメインの振る舞いが有ります
そうめん・スイカ・ハンバーガー・そして飲み物各種・・・・
その後お菓子が山車上から撒かれます



私もお餅をゲットしました~~ヽ(゜▽、゜)ノ




・道中を練り歩き



神酒所へ戻って来ました  終わりが近づいてきます






山車蔵前におさまっる山車



     素晴らしい祭りが幕を下ろしました・・・・また来年お願いします




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