Shakespeare Borderless『Much Ado About Nothingーから騒ぎー』@座・高円寺2


身内知り合いが小劇場レベルで『古典』に出る時は、他の観劇より優先順位を上げている気がする。シェイクスピアはその最たるものだししかも観る機会が多い。小田島雄志完訳版が出て(もう40年以上前だって^^;)上演のハードルが下がったんだろうね。玉石混交の玉と石の差がかなり激しいジャンル、とはいえ古典特有の現代劇では出せない(ある種気持ち悪いとも云える)空気感が好きなんで、割とどんなんでも楽しめる身体を持っております。

しかも私が触れたのは'90@日生劇場の野田秀樹(遊民社解散直前、NODA・MAP設立以前)版で、斉藤由貴、樹木希林、三浦浩一、唐沢寿明という攻めたキャスティングで話題になった作品がTV放送されたから(良い時代でしたなぁ……)、というきっかけでした。あのビデオはマジで何回観返したか。


そんな思い入れを抜きにしても、楽しめる部分は十分楽しめました。例の空気感はもちろん、俳優陣は(恐らく)私よりもヴェテランな方が複数人務めておられたようで、彼ら彼女らの佇まいだけで説得力醸すところなんかも元々好物だったから二度美味しい気分。

耳の不自由な方の為にホリゾント上辺に字幕を出す、という取り組みには感心しました。いくらテクノロジーがあってもいざ『やろう!』と決断しなければ踏み込まない部分(当然お金も掛かるし)。その姿勢には賛辞を惜しむには当たらない(しかも今の台詞にどんな地口が入っていたかの確認も出来る。これは便利(^^))。


残念ながら9日千秋楽。お疲れ様でした……と〆られれば良かったんですが、ねぇ……。





(注:この先はキツい事が連発されると思います)


(注:基本、容赦はしないので読むの辞めるんならここです)





・演劇の興行としてはどーなんだろう。今までの観劇経験からするとブログ冒頭からボロカス書いててもおかしくないレベルでした。

とにかく演出が機能していない。若手俳優の部分は割と頑張っていたみたいだけど、ヴェテラン陣の芝居には手が入っていないのがミエミエで(>_<)発言力が無かったのか、実は演出家も一緒に舞台立ってたんで手が回らず「先輩方にはおまかせで♪」となったのか、その先輩方から「これしか出来ないよ!」が出たのかは判りませんが、そのヴェテラン陣がなべてテンポを悪くし、セリフを噛み、セリフを跳ばし、舞台上での交通事故を無数に引き起こしておりました、これはいただけない。あまりにあからさまだから、字幕が出るから間違いがバレちゃう♪なんてレベルの話じゃ無かった(また字幕スイッチャーの方が大変そうで大変そうで)。ああも酷いと若手俳優の部分も実は演出の仕事じゃなくて「演出を待ってても出て来ないから、アタシ達で勝手に作っちゃおうぜ」てな具合だったのかなとすら思えて来る。

私もいちお(じゃねぇか^^;)ヴェテラン枠俳優ですけど、演出のお言葉に傾ける耳は持ってるつもり……ですよ^^;(ホントかよ!)。少なくとも興行としてやるんなら演出家は時に鬼になってでも演出の仕事をするべきと思います。野っ原で勝手に騒いでるんではなく観客入れてカネ取ってるんだしさ。


・作品自体は400年以上前の、しかも他所の国のお話で、当時の一般大衆が笑う用に造られた喜劇。いくら小田島版が頑張ってたとはいえ、それをそのまま掛けたって客席には伝わらない。わざわざギリシャ、ローマから引っ張って来なくても、明治期に成立した古典落語だって現代人に通じないものは山ほどあるんだから。しかも地口や掛詞(いわゆるダジャレ)だけでなく反語表現は鬼のように頻発するし、同様に山ほど出て来る隠喩暗喩メタファーは聖書や神話からの引用。更に当時の風俗や偏見(「イタリア人はこれだから…」「女って生き物は…」って類い)まで乗ってくるから一般的日本人に難解さは極まっちゃう。野田秀樹は『往時のひと達はこんなに楽しくシェイクスピア観てたんですよ』というコンセプトの元に大幅にアレンジを加え、判り易い爆笑喜劇に仕立てる、という工夫がありましたし(結果相撲部屋の話になっちゃいましたけど^^;)。

予算も劇団側の上演ポリシーもある事ですし、野田を引き合いに出した私も大人気ないですごめんなさい。無理してそこまでやれとは云わないけど、スタッフクレジットに『構成』を上げてるなら、もう少し伝わり安いように手を入れても良かったのではと思います。あんな「さんせいのはんたいのはんたいのはんたいのはんたーい!(赤塚不二夫先生お借りしますm(_ _)m)」みたいなセリフ、聴いてるこっちはもちろん、喋ってる本人だって判んなくなってそうだったもの。