道は狭くなれど | もの思う葦のつぶやき

あけましておめでとうございます、いろいろあった2011年も明けてくれました。去年の個人的な総括としてこのブログにもいろいろ書こうとおもいましたが、胸のうちにこめたものが多すぎて頭で整理するのがやっと、ですのでもう2011年を振り返るのはよそうとおもいます。


今年から仕事を変えました、18歳から31になるいままで地元の水道設備業に携わってきましたが、ことしから水管橋や添架の架設を本職とした業務の現場管理になります。もちろんお世話になった地元の職場は退職しました。

秋口にこの話をもらって、最初は天秤にかけるに値しない話ではあったのですが、夏に父親がなくなった時のことを思い出し、おもいもよらず父がこれほどまでに周りに慕われた人間だったのだ、と痛烈な印象に見まわれたことがふと過ったのです、このとき「自分もこんな最後でおわりたい。」とおもったのを覚えています。多分これからの自分の礎になっていく出来事でした。


自分と父の職業はまったく異なりますが、少なくとも最後そうなるには今のままではいられない、とう思いが転職のきっかけでした。

といっても水道設備の仕事は皆の家庭に水を供給するなくてはならない仕事です、実際震災のときに一番必要だったのはガスでもなく、電気なし、水だったはずです。震災直後ほどこの仕事にやりがいを感じたことはありませんでした。この困難をようやく乗り越えようやく水道設備士としての誇りに確信をもったときにこの話が舞い込み、本当に悩みました。

でも以前の仕事にマンネリ化を感じていたのは事実で「もっと、さらに」とは思っていたのですが環境のせいにはしたくないですが、通勤は楽、勤務時間は通常、お昼は休める、といった条件でどうしても打開できない自分に負けていた気がするのです。で、新しい職場に答えを出す前に、今の思いをこの職場で発揮すればもっと上に登れるような気がして、破談のメールもつくりましたが結局送信できませんでした。


年末に次の職場にあいさつに行きました、正直いってどんなにいままでのノウハウを生かそうとしても無理みたいです、多分津波と同じものがいままでの自分を一瞬で飲み込んでいくでしょう。レベルの違いに圧倒されてしまいました。通用しない、なにもかもが、です。

自分なりに考えてみたところ、自分の負けを認め、しっかり分をわきまえないと生き残れません。死にます。

でも、このぐらいは想定内です、正直怖いですが、恐怖と不安しかありませんが一年後にこの記事を見直して苦笑する自分に期待したいとおもいます。 絶対に生きてやる!