カン・ジファン、デビュー秘話を公開 | 韓国ドラマ☆映画

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「お前がなぜ1等になれないのか分からない」と友だちに毎回慰められるが、成績表を見ると泣くしかない人。俳優カン・ジファン(32)はまさにそんなタイプだ。
カン・ジファンが主演したドラマは「廃人(熱狂的ファン)」まで生み出したが、視聴率は裏番組の「大ヒットドラマ」に毎回負けていたからだ。『90日、愛する時間』(2006年)は『ファン・ジニ』に、『京城スキャンダル』(07年)は『銭の戦争』に、『快刀ホン・ギルドン』(08年)も『ニューハート』に完ぺきにKOされた。
舞台を映画に移しても、『映画は映画だ』(08年)で好評を博したが、同作品で4年ぶりに復帰したソ・ジソブにスポットライトが集中した。
15日、景福宮の近くで会ったカン・ジファンは、特有の静かな口調で話を切り出した。「僕のポジションはちょっとあいまいですよね。トップスターでもなく、助演でもなく、主演級ではありますが、高視聴率を取った作品がないので…」。
そう自ら「傷」の部分をさらけ出したにもかかわらず、明るい表情で話しているのは、映画『7級公務員』(23日公開)への自信の表れからだ。キム・ハヌルとともに自分の身分を隠さなければならない国家情報員カップルとして出演したこの作品で、カン・ジファンはコミカルながらも大げさではなく、セクシーさを漂わせつつ、ちょっとおバカに見えるよう演じた。その結果、よりキュートなキャラクターを完ぺきにこなしてみせた。
悪口やギャグがなく真剣なため、かえってコミカルに見えていたチャ・スンウォンのグレードアップ・バージョンとでも言おうか。同映画では、重厚な演技を繰り広げるリュ・スンリョンが脇を固めていたため、“カン・ジファン流コメディー”はさらに大きな相乗効果を発揮。二人はまさに終始一貫、観客をとりこにする。
今や俳優として認められているが、もしかしたらわれわれは、「歌手」カン・ジファンと先に会っていたかもしれない。「20代前半、芸能界に入りたかったのですが、当時コネが一つもなかったんです。そんなとき、あるミスコリアが“セラ美容室の院長に感謝します”と言っていたことを思い出しました。ちょうど軍隊時代、ある友だちが“パク・スンチョル・ヘアスタジオ”狎鴎亭店でスタッフとして働いていたんですよ。紹介さえしてくれれば、後は僕が自分で全部やるから、とにかく芸能関係者を紹介してほしいと頼んだんです」

そうしてドラマ挿入歌の担当者と出会った。「歌手としてデビューさせてくれると言うんです。数週間、カラオケボックスで練習をしたのですが、結局家に呼ばれました。焼酎でも一杯やろうと言った後、“僕は今、とても忙しい。ミュージカルを制作している知り合いが新人オーディションをするそうだ”って。一言で言えば、その人がほかの人に責任を押し付けたんです」
周りの人は「ダメだろう」と話していたが、カン・ジファンは無謀だからこそ勇ましかった。ほかの人はジャージにジャズダンスシューズを履いているのに、カン・ジファン一人だけ、スーツに皮靴というスタイルだった。「ダンスはうまいのか。クラブには行くのか」というオーディション担当者の質問に、なぜかソウル江南地区のクラブに行っていると言えば、“金持ちに見える”だろうと思い、当時一番人気のあった「ジュリアナ」に行っている、と即答してしまったという。
「クラブの常連たちは、ビールを一杯飲むと、自然とリズムに乗るじゃないですか。ぽかんとした状態で、一人だけ他の人とは違う動きをしました。本当に今までで一番恥ずかしかった瞬間です。それでも演出家に“やらせてください、掃除でも何でもしますから”と言ってすがったんです」
そうしてカン・ジファンは舞台に立った。大勢いるダンサーの一人だったが、そのときの興奮やしびれた感じは今でも忘れることができないという。そのとき初めて「ファン」というものができた。「女の子二人がほぼ毎回来てくれました。不思議と、多くの観衆の中で僕だけを見ていてくれる四つの視線を感じたんです」
その後、ファンクラブもできた。無名時代から共にしてきた熱い「愛情」のためか、カン・ジファンは自分のファンクラブから「カン教祖」と呼ばれている。その当時の四つの視線が4000個を超え、今や4万個になろうとしている。あのときの視線を忘れることができないからだろうか。カン・ジファンは一生俳優を続けると語った。「ジョージ・クルーニーやショーン・コネリーのように、白髪でもセクシーな俳優たちがいるじゃないですか。僕もそんな俳優になりたいです」

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