初犯刑務所からの手紙 -5ページ目

初犯刑務所からの手紙

弟からの手紙は刑務所の住所だった。

初めて服役する人達が舞台の初犯刑務所物語。

塀の中の話は、出所した弟から聞いた後日談である。



一般人の私は、拘置所と刑務所の区別さえよくわからなかった。

細かくはいろいろあるが、簡単に言えば警察の取り調べ後、起訴され判決が下るまでの被告人が収容されるのが拘置所。刑が確定し服役する場所が刑務所である。拘置所は無罪の可能性もあるのだから、基本的に罪を償う場所ではない。よって被告人はある程度の自由が許される。例えば労働を強いられることもないし食べ物の差し入れも受けられる、たばこを吸うこをも許されることもある。

ここでは担当者が付く。被告人からは“オヤジ”と呼ばれオヤジとうまく付き合うことで拘置所の生活が良くもなるし悪くもなる。暴力団組員などは組織がオヤジを軽くもてなす慣習があり被告人である組員をかわいがってくれるらしい。取調室内は比較的自由に過ごせるので、頻繁に「取調室へのお呼び出し」があり差し入れを食べさせたりたばこを吸わせたりさせる。オヤジを特にもてなさなくてもうまく取り入れば、お気に入りとなり「取調室へのお呼び出し」が行われる。

ところが目を付けられると大変。めったな事では「取調室へのお呼び出し」はなく、ひたすら檻の中で禁欲生活。時にはちょっとしたことで独房行きとなる。

弟は最初に持ち物を乱暴に扱った職員に口答えでしたことで独房行きとなり、以後このシステムを理解を知り学習し上手に取り入った。




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拝啓、

いつも迷惑ばかり掛けてしまい本当に申し訳ありません。

前回、面会に来てもらった翌日の七月十日に○○拘置所へ移監になり七月二十三日が一回目の公判でした。

二回目が八月六日の朝十時からで、この日に判決が出ると思われます。

拘置所に移って一週間程は独居房に入れられていたのでしばらくは頭がどうにかなりそうでした。今は雑居のほうへ移り五人部屋に四人でゆっくりと生活しています。

今回拘禁生活を送りながらいろいろな事を考えました。もう誰にも迷惑を掛けずに自分で頑張っていこうと思います。もう一度やり直すためにあんなに力を貸してもらっていたのに裏切ってしまい本当にすいませんでした。もう二度とこの様な事がないようにします。

ひとつだけお願いがあるのですが僕の子供たちの写真を一枚だけでも手紙か何かで送って頂けないのでしょうか。今後、子供達の父親として、やるべき事をきちんとやっていきたいと思うので…。

それから僕の借金などでその後、迷惑はかかってないでしょうか。その他のことも…。

よかったら手紙ででも教えて下さい。宜しくお願いします。

本格的な夏になりましたが風邪などには充分気を付けて下さい。それでは乱筆短文ではありますがここら辺で失礼させて頂きます。  草々

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これは、刑が確定し拘置所から刑務所に移る直前に届いた手紙。

私は弟が逮捕された直後、担当刑事からの依頼で着替えと金一万円を届けて、留置所で一度だけ面会に訪れていた。弟には弁護士は国選にすることと、弁護はしないのでしっかり罪を償うように伝えていた。

逮捕後の流れは警察署内の留置所から検察の拘置所に移り裁判で判決が下ると刑務所へと移監される。

裁判中、一度だけ国選弁護士の女性から連絡があった。

「証人として出廷して頂けませんか?」

なぜか慌てたような早口の口調で滑舌の悪い声はまだ若いように思える。いやならいやでいいんですよとでも言いたげだった。

「弟には伝えてますが、おことわりします。」

彼女は、拍子抜けするほどあっさり、そうですかと電話を切った。

こんなものなのだろう。彼女も面倒くさい仕事のひとつでとっとと終わらせたいのだろう。

結局、弟は罪を素直に認めとんとんと裁判は進み「実刑二年」の判決を受け刑務所へと移監されたのであった。




弟の件で警察に行くのは何回目だろうか。九歳違いの年の離れた弟は二歳のとき父親を亡くしたが、父親のことは全く覚えていないらしい。中学生だった私は母を手伝おうと自分なりに父親みたいに接しようと粋がっていた。そのせいか私には全く頭が上がらないようだが、反面母親には反発し道を外れることが多かった。高校へはほとんど通わず中退しアルバイトで小遣いを稼ぎ、やんちゃな仲間とバンドや夜遊びに明け暮れていた。年上の女性と同棲しできちゃった婚。若干二十歳で父親になる。子供が子供を作ったようなものである。それでも貧乏暮らしが長かったせいか、仕事だけはちゃんとやっていた。そんな中、母が病に倒れ闘病の末死んでしまった。弟夫婦は喧嘩が絶えず、看病もに見舞いに来ることもなかったが弟だけは看取ることができた。

私から見れば、ただでさえ普通とはいえない人生を送っていたが、狂ってきたのは折角正社員として働いていた仕事を辞めて建築業を営んでいた義父の仕事を手伝うようになってからだ。その義父は景気がいいゼネコンの下請けをしており羽振りがいい時は女遊びが激しく水商売のフィリピン女性を囲っているような人だった。結局は女性問題がもとで警察のお世話になり会社は廃業になってしまった。

弟は就職せずに義父の仕事を継承し自ら個人事業を始めてしまった。現場の仕事は一人前にできたようだが会社を運営すること簡単ではない。ましてや職人を数人雇ったままである。この業界でのお金の回収は私から見れば異常に見える。手形は日常茶飯事、焦げ付きも多い。それでも従業員の給与は支払わねばならないし、材料の仕入れ、ガソリン代などの出費も必要。一年もたずに、たった一件の焦げ付きで会社は傾き、サラ金で運転資金を繋ぎ、ついには暴力団系のヤミ金にまで手を出してしまった。こうなるともう落ちるだけである。暴力団の追い込みに屈して工事現場の材料を盗み質入れしたのだった。

この頃から度々、私に無心するようになり、かなりのお金を用立てた。あまりことに不審に思い、弟に問いただすとやっと暴力団の事を知ることになった。窃盗の事まで知らなかった私は弟を連れ警察に相談に出向いた。警察は盗難の件を掴んでおり、暴力団の件はおいといて弟はその場で逮捕されてしまった。

私は弟を見放し面会はおろか裁判にも行かなかった。弟には前科があり執行猶予中だったため実刑二年が確定した。弟は初犯刑務所(読んで字のごとく初犯の受刑者の刑務所)に収容された。しばらくして一通の白い封書が届いた。差出人は弟、聞き慣れない住所は刑務所のものだった。

今さら…もう見捨てた弟、読んで情にほだされるかもしれない。封を開ける決心がつくまで眠れない一晩が必要だった。

手紙を一度だけ読んだ。二度読む気にはなれなかった。それでも面会に行くことにした。情にほだされたわけではなかった。もしかすると刑務所への好奇心だったのかもしれない。理由ははっきりわからない。

数日後、刑務所の門をくぐった。

ドラマとは全く違っていた。そこは見る物・聞く物、奇々怪々・摩訶不思議、初めて知ったもう一つの世界。私はこれが知りたくて、これを感じたくて刑務所に来てしまったのだろうか。