「神」とは「信」とも言える形而上の意味であり、

宗教(神)に関わらず、

何か強く夢描くものや、

ふと祈るものの対象(目標)でも構いません。

それは自分にとっての「信」でも良いのです。

八百万神のように、万物の全てに神が宿っているとすると、

武士道精神の哲学において、日本では何が起こるでしょうか?

例えば、刀作りにおいて、

刀に神が宿ると信じることで、刀自体が形而上の「神」となります。

魂を入魂する一連の行動が「態」となり、

信じ切ることと「義」が究極度を高め、

最高に鍛錬された「神(刀)」が表れるのです。

武士道が与えた、日本の精神性だったのです。

侍の「家」制度の場合、

形而上の「神」は殿様や藩になります。

「義」を立てることで、その命を懸けた生き様が「態」に表れるのです。


16世紀のヨーロッパ覇権国に対して、

最強の軍事政権で特殊な精神文化を持っていた我が先人達は、

純粋な「神・義・態」を持っていました。

彼らに対しても臆することなく、堂々と接してきたのです。

当時、日本とタイ以外のアジア諸国は列強にことごとくやられていましたが、

極東の端にある我が国は、侍階級であっても庶民であっても、

これまで接してきたどの国とも異なる、

精神性の高さを感じていたのでした。

宣教師をはじめ、当時の外国人の日記や手紙に多く残されています。

それは戦乱の世を経ても乱れることなく、「神・義・態」が構成され、

偏に先人たちの価値判断能力が高かったことを意味するのです。

宗教や哲学が古来より備わり、

長く続く習慣・伝統があることを物語っているのでした。


17・18世紀頃は、太平の世を歩む日本で軍備に陰りが見えてきますが、

侍の「神・義・態」は士道をはじめ、陽明学、水戸学、国学、古学、蘭学などによって発展してきました。

この頃、列強自体にも強烈な争いが続き、

遠くのこの地に目を向ける余裕はなく、

19世紀は当時の二大強国である英国とロシアが争っていたのが幸いでした。

しかし、いよいよ中国にもその手は延べてきて、尽くやられてしまいます。

英国は日本でオランダ船を乗っ取り、幕府に賠償金を払わせたり、

ロシアは幕府に貿易を迫ったり、

長崎の島を休憩基地として居座ったり(その後、ロシア自体で撤退)。

列強は次第に日本へ目を向けることになってきます。

この時の列強にはもうひとつの野心が存在していることを、日本は深く知りません。

それは現在も何ら変わりがないのです。

形而上が拝金になった者たちが、母国の中枢まで影響し、

権力を持っていたのです。

その昔は宗教がその役目を担っていましたが、

国は彼らを利用し、彼らは国を利用する、

悪どい貿易で侵しまくり、最後は軍事介入というパターンを生み出していたのです。

助けることで介入し、逆にめちゃくちゃにして、乗っ取ってしまうというものでした。

キッシンジャーの有名な言葉があります。

「アメリカの友達になることは危険だ。しかしアメリカの同盟国になることは致命的だ」。

彼らは、例え多くの人が死のうと関係なく食いつくしてきました。


30年前ソビエトが崩壊した時、

まるで当時のマセソンやサスーンやラッセル商会のようなグループが、

ロシア経済に群がったのは前記しましたね(その時はゴールドマンサックスやジョージ・ソロス(彼は政治的信念))。

レーガン大統領やブッシュ大統領が、ゴルバチョフやエリツィンに、

何度も公の場で(十一回)、冷戦終了は両者差し引きのない、五分五分だからと言っていたのにも関わらず、
国営だったものを民営化して経済や資源を侵しまくり、

国家のGNPを半分にまでしてしまいました。

更に、前ソビエトの衛星国のうち14ヶ国にまで、NATOを広めます。

ウクライナまでが加入しようとしていましたが、

その時、ウクライナにロシア派政権(ヤヌコビッチ大統領)が生まれました。

するとCIAは革命を装いウクライナ極右(アゾフ等)を使って、

暴動を起こし政府を転覆させます。

更にはロシア派が住む東ウクライナ地方にまで暴動を仕掛け、

一部虐殺も行ないました。

これに怒ったプーチンは、ロシアの極右を用いて、その地方に介入させます。

これが「ウクライナのロシア人を守る」と発言したプーチンの建前でした。

正規軍ではないのは両者とも、大きな拡大(戦争)は避けようとしていたためです。

すると今度はドイツ、フランスが介入して、

ロシアとウクライナに紛争停止を呼びかける、

ミンスク合意を仕掛けます。

平和裏に両者に主権を与えようとしたと思われますが、

何とそれは西側の引き伸ばし作戦だったのです。

その間、CIAはウクライナ軍を育て、いつでもロシアの軍事介入を待っていたのでしたと、

後にドイツのメルケル首相が堂々と答えています。



狙われる日本の幕末期、

米国ペリーの来航はウェルカムだったのです。

当時のアメリカは未だ列強とは言い難く、
第一等が断然イギリス、
第二等がロシア、
第三等がフランス、
第四等がアメリカという位置でした。

幕府は「阿蘭陀船風説書」をオランダ船から毎回提出させていて、

海外の情勢を把握していました。

要するに維新側よりも幕府の方が、

諸外国の情勢をよく知っていたのです。

開港はせねばならないだろうが、

脅威の列強(特にイギリス)との危険な開港はしたくない。

そこへペリーが来てくれたのです。

徐々に世界へという幕府の相手には絶好の機会だったのです。

小栗忠順ら幕府官僚は臆するどころか、堂々とした対応を見せていたのでした。

ただし、新しい勢力が隠れていることには気がつきませんでした。

不平等条約や金の流出を許したのは、

ハゲタカのような世界を知らない、

デビュー国日本を露呈したのです。

しかし薩英戦争辺りから状況は変わり、

維新方にはイギリスがつき、

幕府方にはフランスがつくという、

代理戦争のような形になって、列強の狙い通りになって行きます。

しかし、西郷と勝とで交わされた江戸無血開城は驚くべきことでした。

両者が世界の情勢を知り、手がけた「神・義・態」の叡智がこの国を救ったのです。


目が疲れました。
続きか
プリンシプルの日にします。