8.29神田明神さんでの講演用に書いていた佐山武道の冒頭文第一章です。
この文を書いていたら、
ふと、この一章を先に読んでもらえれば、次の章の、具体的な不動心の実戦編をより解りやすく書けるかもしれないと思い、ここに出す事にしました。
この一章は日本精神の源流の話ですが、二章からはガラリと変わる戦いの実戦精神自体の説明になります。
敷島・日本の精神潮流と現代武道
1. 古代日本の原初的信仰と「共同体気質」の誕生
卑弥呼の時代より遥か昔、アジアの最東端に位置し、遠く海に囲まれた島国日本。 そこには、一万四千年にも及ぶ狩猟採集を中心とした、豊かな縄文文化が息づいていました。
その精神の柱となっていたのは、以下のような自然や生命への敬意にあふれた信仰の数々です。
- 万物精霊信仰(アニミズム)
- 穀霊(こくりょう)信仰
- 祖霊(それい)信仰
- 巨石信仰(磐座・いわくら)
- 太陽信仰(天体崇拝)
- 生殖崇拝: 土偶に象徴される生命力への呪術的信仰と、子孫繁栄への祈り
- 原始シャーマニズム・卜占(ぼくせん)信仰
それはまさに「文化のガラパゴス諸島」とも言うべき、独自の精神世界の結実でした。
心豊かで純朴な人々が暮らすこの島に、やがて大陸からの外来の知恵が入ってきます。
仏教のような制度化された形ではないものの、大陸や朝鮮半島から、のちの「道教」に通じる「神仙思想」などがもたらされ、日本の土着信仰と絶妙に重なり合っていきました。
これにより、日本独特の「神」の概念が醸成されます。
それは西洋的な「個人を対象とする絶対神」ではありません。
時に猛威を振るう自然そのものであり、恐れるべき存在でもありました。
世界有数の災害大国であるこの地では、天災が起きるたびにそれを神の怒りと捉えたのです。
人々は、大家族制の村で共同生活を送り、祭司を立て、祭りを行い、皆で肩を寄せ合いながら感謝と鎮魂を捧げました。
これこそが、現代まで続く日本人独特の「共同体気質」を生んだ要(かなめ)にほかなりません。
「畏敬と感謝が育んだ純朴で繊細な気質」を持つ古代日本人が、神に捧げる品々を職人技で徹底的に仕上げたことは想像に難くありません。
神のために知る(シラス)ことに強い意欲を持ち、より良いものへと昇華させていく。
この独自の精神潮流は数千年にわたり流れ続け、今も私たちの普遍的無意識の最深部に生きているのです。
2. 『魏志倭人伝』が証明する日本人の普遍的無意識
隣の先進大陸の文化を少しずつ受け入れながらも、日本は大戦火による決定的な壊滅を経験することがありませんでした。
王朝が変わるたびに前王朝の血統が根絶やしにされる「易姓革命(えきせいかくめい)」が存在しないまま、万世一系の独自の文化を二千年にわたり歩んでいくことになります。
当時の日本にはまだ文字がありませんでしたが、中国の正式な国書『三国志』の「魏志倭人伝」には、3世紀前半から中頃、卑弥呼が王として君臨していた日本の姿が詳しく書き残されています。
魏へ使者を送ったこと、邪馬台国や倭人(日本人)の風俗、地理的距離などが詳細に記述されている中に、次のような一節があります。
- 「倭人は礼儀正しく、争いを好まない」
- 「人々は正直で、盗みを働くことはなく、争いごとも少ない」
- 上下関係に厳しく、道ですれ違う際、目下の者は草むらへ下がり、膝をついて頭を下げていた。
これは、儒教や仏教が日本に本格的に伝来する、まだ三、四百年も前のことです。
自然崇拝や卑弥呼の呪術が盛んであった当時、純朴な民を統べる「権力を付随した強烈で温厚な信仰的文化」が存在していたことが推察されます。
奈良などの博物館に展示されている当時の祭祀道具の精巧さには、目を見張るものがあります。
日本の「物作りの精神」や「礼儀正しさ」の源泉は、この頃、あるいはそれ以前の遥か大昔からの純朴な信仰心にあったのです。
当時、これらを牛耳っていたのが物部(もののべ)氏、大伴(おおとも)氏、忌部(いんべ)氏といった氏族であり、彼らは「祭祀」と「軍事」の双方を司っていました。 彼らは「もののふ(武士)」と呼ばれる兵(つわもの)たちをまとめ、武器や祭祀道具を管理していたのです。
中世(鎌倉・室町・戦国)の武士たちが独自の秩序を生み出したように、古代の共有権力社会のもとでも、兵たちの間には確固たる精神秩序が存在していたことが窺えます。
もし当時、文字文化が存在していたなら、『葉隠』や『武士道』に匹敵する名著が生まれていたかもしれません。
3. 秩序と自己責任を生む厳格さ
さらに『魏志倭人伝』は、法制度の厳しさについても言及しています。
- 「軽微な罪でも厳しく罰し、重罪を犯すと家族まで連座(連帯責任)となる」
この強い規律は、純粋で厳格な信仰のもとで共同体を守り抜くために不可欠な意味を持っていたのでしょう。
同時に同書は、倭人が互いに助け合い、争いを避ける行動様式を「礼儀正しさ」や「穏やかな国民性」として捉えています。
現代の私たちが諸外国人から評される気質――礼儀正しい、優しく親切、他人に迷惑をかけない、尊敬心が備わっている、清潔で物作りに長けている、言葉が少なくとも「空気を読む」力がある――これらの特色は、まさにこの古代から滔々と流れる日本の潮流そのものなのです。
日本人の気質の源流は「中世(鎌倉)の武士に始まり、近世(江戸)に花開いた」としばしば言われますが、実はその遥か先に真の源流があったことが分かります。
この時期に培われた「集団としての規律」や「厳格な統治」が、のちの武士階級にも通じる、日本の精神的基盤(争いを避け、秩序を重んじる土台)となったのです。
考古学者たちも指摘するように、縄文時代から発掘される品々の制作技術は大変素晴らしく、かつ、一万年を超える時代の中で戦争の痕跡がほとんど見られません。
共同体意識が極めて高かったとされる縄文人にこそ、私たちの気質の真の淵源があると言えます。
戦国から江戸初期、幕末から明治、そして大正から現代にいたるまで、外国人による日本人評が一貫していることこそが、私たちの心に流れる普遍的な潮流の証拠なのです。
4. 中世武士の荒ぶる魂と「静と動」の精神革命
やがて大集団で殺し合う時代が始まり、軍団は貴族のもとでプロ化され、独特の武士文化へと流れていきます。
武士の棟梁たる桓武平氏、清和源氏のプライドは、数百年ののちの鎌倉期、最終的に「ルールそのものを書き換えて政権を奪う」という独自の武士社会を打ち立てました。
しかし、当時の関東武士たちは、極めて荒々しい存在でした。
「鬼のような人」と恐れられ、自らの生き様を「弓馬の道」「兵(つわもの)の道」と称した彼らは、通りすがりの一般人を弓の試し撃ち(犬追物など)にしたり、領地を巡る命がけの奪い合いを頻発させていました。
自分の土地は自分で守るしかない、苛烈な時代だったのです。
武家政権を樹立した源頼朝は、この荒ぶる武士たちを統治・教化するために、仏教(禅)を重んじ、侍のルールである『御成敗式目』を制定しました。
さらに小笠原流(弓馬・作法)、今川氏(規律・文武のバランス)、伊勢氏(武家故実)といった、弓矢を基調とした礼法を取り入れていきます。
その中でも、「ただ座り、己の恐怖と向き合う」臨済宗などの禅は、武士の心身に完全にフィットしました。
「生死一如(生も死も本質は同じ)」の教えは、命を捨てる恐怖を克服し、何事にも動じない「不動心」を養う拠り所となります。
「いつでも人を殺せる圧倒的な力を持ちながら、それを完璧な理性のコントロール下に置く」という、法・禅・礼法を融合させた武士独自の意識は、こうして鎌倉の治世に深く染み込んでいきました。
一方で、鎌倉時代の終わりに向けて、現実世界を正しく変革し「今を生き抜くこと」を説く日蓮宗が武士の世界へ急速に浸透します。 「死ねば極楽浄土に行ける」という現実逃避的な顕教に対し、「絶対に勝って生き残る」という生への強い執着とエネルギー、どんな逆境や強敵を前にしても己の軸を曲げずに突き進む「不撓不屈(ふとうふくつ)」の圧倒的な気迫は、最前線の武将たちのサバイバル精神と見事にマッチしたのです。
- 禅的なアプローチ(「静」): 不動心・無心(アルファ波系)
- 日蓮宗的なアプローチ(「動」): 圧倒的な気迫(ガンマ波系)
一見、真逆に見えるこの両者の思想は、武士たちに「静」と「動」のハイブリッドな思想を植え付けました。
この一見矛盾するような「凶暴性と高い精神性の同居」こそが、日本精神の圧倒的な特徴なのです。
5. 近世・江戸期の精神改革と、現代における「戦える心」
なぜ彼らは、これほど高い社会性と、戦闘者としての最強の精神を両立できたのか。
江戸時代に起こった精神改革において、様々な学問と哲学が教育されたことは、現代日本の基盤となる「聖書」のような役割を果たしました。
それは決して戦いや強さを煽るものではなく、戦国期に花開いた
「戦いの死生観」という武士本来の哲学を、
「平和な泰平の世を統治するために、武士らしく過ごすための哲学」へと昇華させる試みでした。
時が経ち、侍の戦う魂は座学化され、実際の戦場で戦う機会は失われました。
しかし、朱子学、士道、陽明学、国学、古学、蘭学といった学問は、生きる上で必要な深い死生観を日本人に植え付けたのです。
日本の精神史から見れば、非常に意義深い時代であったと言えます。
元々民度の高かった国民性に、世界に先駆けて独自の精神性を高めていった日本。
これに対し、諸外国は徐々に宗教性をその分裂と共に弱め、伝統的哲学も弱め、金権社会へと突入して大戦争を繰り返していきました。
日本が戦闘精神を弱め、その金権社会を模倣し、国際社会の仕組みの本質を見誤ったまま、かつての大戦へと突き進んでしまった歴史を悔やむのは、決して私だけではないはずです。
私は今、「戦える心」を養うべくここにいます。
戦いとは、勝つためにその能力を、形而上(精神世界)であろうとも、科学であろうとも、あるいは実戦であろうとも、信じも疑いもした上で、徹底して「100パーセント」に極めることなのです。
そして決して潮流の流れを忘れずに