「芝居をしてきました」
私は完全にだまされたのです。
これは1994年、新日本プロレス福岡ドーム大会後、
修斗の試合場での挨拶でした。
その時、私は「第二世界」で懸命に修斗の発展に努めていました。
そして、業界全体、マスコミを含めた「1.5世界」との戦いが続いていました。
ついには「第一世界」とも緊張関係になっていたのです。
私たちの選手も育っており、彼らは「第二世界」を誇りに思っていました。
私がああだこうだと言っていたことも、「第一世界」ではなく「1.5世界」のことでした。
ある日、生徒が泣きながら抗議に来たこともあります。
しばらくそういう状態が続いていたことに、
いいかげん「第一世界」と揉めたくない私は、
状況を緩和しようとしていました。
その中で、新日本プロレスのマッチメイクを担当していて、
以前から仲の良かったおやじ(彼は東スポ時代からの友人)から連絡がありました。
内容は、
「ライガーとエキシビジョンマッチをやってほしい」とのことでした。
「第二世界」から見ればエキシビジョンとは、
格闘技スタイルを魅せることです。
そもそもエキシビジョンとはそういうものです。
私はおやじにもそう伝え、交渉が成立しました。
生徒たちも修斗を見せられることに期待していました。
しかし、対戦が決まってからライガーは、
新聞のインタビューなどで、私の悪口を言い続けていたのです。
本当に無礼なやつだと私は思い、試合前日にライガーとおやじを部屋に呼び、抗議しました。
ライガーは礼儀正しく、そんな素振りも全く無く、私を尊重する態度で部屋に来ました。
私が抗議すると、驚いた様子で「試合前の煽りですよ」と言っていました。
おやじはずるい顔をしてニコニコ笑っています。
何と!ポスターやパンフレットを見ると、エキシビジョンなんてどこにも書いていなく、
試合になっていました。
刹那!驚きました。
これは、私を強引にプロレスをやらせる手段で、
デリカシーも全くない仕掛けをかまされたのです。
当時、私はタイガーマスクを一時脱ぎ、修斗育成に専念している時期で、
自身の練習はほとんど行っていませんでした。
可哀想なのはライガーです。
彼もうまく言われたのでしょう。
私とプロレスの試合ができることを喜び、自ら悪役になって私を煽ってくれていたのです。
「あー、狸おやじにやられた!」
おやじは悪びれる様子もなく、得意げに笑っていました。
私は複雑な気持ちになりました。
同じ仕掛人でも、新間さんだったら、
ウインウインを考えて思慮ある事をやってくれただろうと、
私は思うのです。
その前に、私は久々にランニングでダッシュをして、大きな怪我をしていました。
ふとももの裏(ハムストリングス)の肉離れで、内出血もひどく、動ける状態ではありません。
何年も肉離れは私の天敵になっていまし
試合前、福岡ドームの医務室で診察してもらい、
テーピングをしてもらいましたが、「動くのは無理」と言われていました。
とにかく、対戦後も試合になっていたことに、私は悔しくてなりません。
「あの試合はエキシビジョンなんだよ!」と言いたい気持ちが高まり、
つい口にしてしまいました。
狸おやじとは、腐れ縁で仲の良い関係です。
この時のやりきれない気持ちは、とにかく複雑でした。
その後、小林邦昭さんが修斗の大会で、
格闘スタイルでエキシビジョンを行う申し出がありました。
私は喜び、小林さんの友情に感謝しました。
しかし、そのエキシビジョンで、大変な事件が起こったのです。