さすがにこの時はパンチ技術にも自信があったのですが、

当て感やタイミング、ステップやパンチの角度が実際の試みでした。

多くの人は、私がアップライトに構える、キック主体の選手だと思っていると思いますが、

実はそのスタイルは「第一世界」で表現しているものです。

パンチはハードパンチであるほど、「第一世界」では表現しにくいのです。

「第一世界」でスペクタクラーに魅せるために、蹴りのイメージをつけたのです。

それはスーパータイガーの時に顕著に出しました。

それを「第一世界」で使ってくれているのは光栄です。


かつて馬場さんは、
「格闘技(第二世界)を超えたものがブロレス(第一世界)」と言いました。

これはブロレスが格闘技より優れているとか、強く上というのではありません。

ブロレスの醍醐味を語ったものです。

格闘イコール戦いは同じですが、
価値観が違うのです。

「第一世界」では、
格闘から醸しだす迫力や華麗さを、魅せる或いは魅る技術という事です。

かくしてストロングスタイルを標榜した猪木会長は、

プロレスに誇りを持ち格闘によって戦いを魅せるとしました。

力道山先生も然りです。

一方「第二世界」は、
魅せる事よりも、一つ一つの技術に命がかかっているのです。

それは1 ミリ単位で変わったり、

その選手の特性によって最適な攻防方や、

選手の変化や育ちにより、また技を変えなくてはなりません。

指導者はそれだけ多くの技術を持たなくてはならず、

教える技術に全プライドを持つのです。

私が「第一世界」と「第二世界」を分けるのは、

「第二世界」から「第一世界」への技術は当てはまっても、

「第一世界」から「第二世界」への技術は当てはまらないからです。

当初、「第一世界」ばかりの生徒に、その違いを説明するのは大変でした。

想像ください。



面白いのは、エキシビションを含めて、

殆どの人が私の「第二世界」の蹴りや、パンチを見たことがないということです。

当時、「第二世界」の環境があったとして、私が選手として試合をやるなら、

タイガーマスクやスーパータイガーやザ・タイガーやタイガーキングのような攻め方はしませんし、

蹴り方もまるで違うでしょう。
タックルも積極的に入るでしょう。

「第二世界」から「第一世界」への技術を当てはめたていたのです。

ですから、その技を見て「第二世界」に評価されてもねえ……

当初「第一世界」に生きた私の宿命です。

組み技の選手対打撃のスーパータイガーのマッチメイクでは、

例えば藤原嘉明さんとの組み技対私がキックの試合ですが、

藤原さんは充分にボクシングもできる人なのです。

私も充分に極め技が出来ます。

パンチも然りでした。

実は、タイガーマスク以降の私の「第二世界」のパンチを、

目のあたりにした者は何人かいます。

前記の通りタイガーマスクとして凱旋してまもなく、

その時のフルスパーは、
16オンスの大きいグローブでしたが、
結果はすぐにつきました。

1ラウンドすぐ、最後は右を振って、左ポディーへちょっとフェイントをかけ、

刹那!左フックを飛び込みながら顔面に打ち放ちました。

もの凄い感触!

やった!と思いましたが、
相手選手が朽ち木のように吹っ飛んで倒れるのを、

今でも覚えています。

正にヘビー級のパンチで相手をふっ飛ばしたといった感じでした。

倒れた相手の尋常ではない様子を見て、

私はハッと我に返り慌てて介抱に向かいました。

もしかして重大な事故がおこったと思ったからです。

介抱して数分後、彼は一応立ち上がりましたが、

フラフラとリング下を歩いていて、意識ここにあらずといった状態でした。

後から聞いた話ですが、その後、ずっとリングで寝ていて、

起きた後、記憶が無いと言っていたそうです。

選手の誰かが見ていて、後から教えてくれました。