陽明学にはもう一つの側面がある。
維新の志士や大塩平八郎を動かした行動学だ。
朱子学的には、
武士道を代表する「葉隠」の山本常朝が選ばれる。
侍の性即理(せいそくり)から忠臣蔵の大石蔵之介を批判した。
侍であるなら命を厭わず、すぐにでも仇討ちを行うべきであると、
こちらは定められた忠義の「性(さが)」反応、
侍としての格物窮理(かくぶつきゅうり)である。
一方、陽明学での行動作用は、心即理(しんそくり)として心で動く
陽明学には行動の法則があるのだ。
「知識」
知識だけではダメ。
「見識」
知識は内容をよく理解して広く見れるよう。
「胆識(たんしき)」
理解は真の覚悟と共に深く。
浅い理解で覚悟は滑稽である。
「狂愚誠愛(松蔭先生のお言葉)」
確信が成熟したら狂って行動せよ。
「天の理」とは形而上(けいじじょう)のものであるが、
陽明学の場合は宗教ではない。
「人」の善い心理を言う。
性善説である。
人の善を置くが、膳人で騙されよとは言わない。
善を主体に物事を胆識で理解するということだ。
天の理、人の理あってこそ、
知識、見識、胆識、狂愚正愛は
動くのである。
全然眠くない。腰痛い!