「武魂統一」

「武」とは矛に足編を構成した文字であり、

兵が矛(ほこ(槍)を担いで堂々と行進する、誇りある戦闘者の姿です。

日本の場合その魂とは、強靱な意志や精神力、勇気、規律、知力、忍耐力などが含まれ、

「武魂」とは我が国の歴史や文化において重要な概念です。

戦乱の時代や困難な状況下での精神的支柱として、

多くの武将や武家がその信念を貫き通しました。

やがて太平の戦間期にも、その道は事欠かさず、

武道の修練や精神修養を通じて磨かれるものとなります。

為政者として武のスキを見せない、
社会情勢や学問、思想、歴史、教養などを究極にまで追い求め、

武と共に統一して来たのです。

古来から現代まで続く我が国の、
国民性を作り上げたのでした。



日本は素晴らしい国です。

高速道路は何処へ行っても良く整備され、

町並みも綺麗でゴミも落ちていません。

官僚機構もしっかりしているのです。


人々は世界的にいっても礼儀正しく優しい。

落とした財布でさえも、高い確率で帰ってくる。

非常に民度の高い国民性です。

しかし、この七十年の日本人は、

先人とは全く違う民族と化しているのです。

この平和な文化に何も感じず、民度の高い民族だと満足し、

大切な(戦間期にこそ大切な)ものを失わされている事を……

知らされてないのです。

戦争という悲惨な事は繰り返したくないのは当然です。

それが最初から仕組まれたものとすれば?

戦後でさえも、
国ごと国民をコントロールし、

ただ精神性の欠如を気付かないまま……

七十年を過ごした事には呆れるばかりです。


本来我が国の精神文化は

為政者として武士が武士最初から自身を律する秩序を生み出したものが、

古来より独自の道を歩む、日本の真の姿でした。

建国以来、
集権性を固め大和朝廷という独自文化を作り、

独特な普遍的国風を作ったのでした。

ちなみに戦いのための山城の跡地は、この国に五万とも十万ともあると言われています。

数々の国難にも堂々と立ち向かい、

「刀伊の入寇」や「新羅の入寇」など海外から侵入を経験し護りきった事も。

同盟国に援軍を頼まれ、唐と新羅の連合軍に数万の兵を送り立ち向かった事も。

この白村江の戦いは、当時の人口比率からいえば、今でいう百万ともいう兵隊を送りました。

それくらいの統制力があったのです。

その後、唐には堂々と対等であるという国書を送り、

独立した独自の道
冠位十二階や、
17条憲法や、
独自の律令制度を制定

平安末期は主権が崩壊し、家族や部族等の地方集団が固まり、
自己で身を守る自己救済の時代から、

武士の時代へ流れます。

鎌倉に至っては、

自己を律する、
御成敗式目や禅を取り込み、 
御恩と奉公が成され、

最高の誇りと精神性を宿し始めました。

武士が武士らしく生きた時代ともいえます。

当時、最強である元軍の親書を堂々と無視し、

文永弘安の役では、
優れた武器や敵人数をも厭わず堂々と元の襲来を防ぎ切り、
(現在の研究では様々な資料から逆説となっている。
例えば神風(台風)は元軍が鎌倉武士に圧され、退却する戦いの終焉に来たもの)

秀吉の時代には、
朝鮮半島から明を攻め、スペイン・ボルトガルの野望を崩そうとした。

加藤清正や島津義弘の真の活躍。

江戸期、
当時、幕府は世界最強の軍事国家の元、
列強が世界を目指す中、
250年の鎖国を保つ、

平安時代の350年間の時代と合わせると、

我が国は約600年もの平和な時代があった世界でも例のない国。

海に囲まれた特殊な利もあるが、
もっと特殊なのは心の方だった。

鉄砲でさえもより繊細に作り上げ、

最強の軍備を持つ国だったのです。

衰弱した幕末にもかかわらず、

堂々と黒船を向かい入れ、植民地化を許さなかった。

列強が覇権を進める中、王政復古を示し世界の列強に立ち向かう体制を作り上げ、

ここでも独自の憲法を作り、
富国強兵を目指し、完全独立国を歩みだす。

列強と同盟を結び、もう一つの列強をも様々な手で勝ち抜き、

その後、世界の仕組みが見えず、
仕組まれた策略に、劣勢に追い込まれるも、

堂々と戦った。

仕組まれた戦いであったのは、いつかプリンシプルで話します。

戦いの後も彼らの術中通り、

ここに、ある例があります。

終戦前の昭和20年2月

以下は英国のシンクタンク「王立国際問題研究所」(ロスチャイルド系)が、

米国の「太平洋問題審査会」(ロックフェラー系)の会議において発表したものです。

「日本は憲法の制約を受け、
軍事費の重荷から解放され、
またアジアの巨大な潜在的市場への接近を保証された日本は、
2、30年内には、
軍事的勢力ではないとしても、 
再びアジアにおける一大勢力になることは間違いない。
これは、民主主義が根付くのにも、軍国主義が枯れるのにも、短すぎる期間である。
日本式共産主義政権 (皇統計画経済)のもとで」


両者共に戦後は知日派ですが、

同盟を結ぶにも敵にするにも、彼達の正体を知らずにはあり得ません。




よく日本人は礼儀正しく優しいと言われますが、

礼儀正しく優しいのは、朝廷という真摯な世風に育てられた社会性と、縄文人の心が合わさったからです。

しかしそれは表面上の姿でしかありません。

芯が無いという事です。

武士道的に言えば、「節」が無いという事です。

節とは人で言う骨みたいなもので、骨がないと人は立つ事も出来ません。


鎌倉時代に禅で磨かれた心は、やがて朱子学による為政者教練が敢行され、

朱子学を専攻した他の国々では、
そこから何も進まなくなったと言われます。

しかし同じ朱子学だった我が国では、庶民も含め独特の文化が作られました。

朱子学の全てを現代に当てはめようとは思いません。

現代の我々の秩序は一件素晴らしいのですが、

何かが欠如しているのです。

「武魂統一」です。