患者の声 | 悪性胸膜中皮腫と診断を受けて8年目を迎えましたが、いよいよ来たかな

悪性胸膜中皮腫と診断を受けて8年目を迎えましたが、いよいよ来たかな

平成28年7月突然の「悪性胸膜中皮腫」確定診断。その後「中皮腫サポートキャラバン隊」中心に全国行脚を展開しながら治療を続けてきました。お蔭で7年を経過致しました。ここにきて、腫瘍が両肺多発転移してあることが分かり、これからは好きなことをしていきます。

こんばんは爆笑




今日は関東では患者会が開かれ、今の患者さんや家族の辛さや相談事を皆さんで話し合われたようですねウインク


suisuichichiさんやchi-chan5555さんが来てくれたそうで本当に良かったと思いますおねがい


こうして患者さん同士の絆が繋がっていけば良いなあと思いますウインク




さて、私ですが先ほど患者さんところから帰って来て夕飯を食べたところですてへぺろ


ほぼ約束の午後2時に、今日お会いする本多さんのご自宅前の駐車場に到着ウインク
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このだだっ広い分譲マンション群の中に、本多さんのご自宅があるのですが、目当ての棟番号を探しながら彷徨い、ようやく見つけたお目当ての棟ウインク

いざ、部屋に上がろうとエレベーターに乗り込みましたが、急にお腹が痛くなり一旦エレベーターを降りて、管理人さんに「トイレありますか」とアセアセ

そしてトイレに閉じこもって5分タラー

漸く本多さんのお宅に行くことができましたてへぺろ


お会いするまでの印象はもう寝たきりでそんなに話せないのかなあ??なんて思ってたんですえー?

昨日、一昨日の電話ではしんどそうでしたえー?


しかし、会ったらにこやかに私を迎えてくれたではありませんか


今月の26日で71歳を迎える本多さん、パンチパーマが似合う昔ヤンチャしていたような風貌で、鼻には呼吸器の管が何とも言えないミスマッチが過去の苦労を物語っていましたびっくり


冒頭挨拶を交わしただけで
「どんな人が来るのかと思ったら、話しやすそうですね」
やはり金髪に好感を持たれたようですてへぺろ

パンチパーマに金髪、周りから見たら親分と子分

そんな感じじゃないでしょうかルンルン


笑顔の中で本多さんから話されました

「マスクしときや。タバコの煙あかんやろうから」

???

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なんと本多さんは徐ろにタバコを吸いましたではないですかびっくり


!?タバコ!?中皮腫!?10年!?!?


そうなんですびっくり

本多さんは中皮腫と言われて、人生半ばヤケクソに思い、タバコは手放さなかったのですてへぺろ

それでいて10年目の生存爆笑
こんな所に長期生存者がいてたなんて爆笑


その根性見習わなきゃいけないですねてへぺろ


曝露歴は不明、17歳の頃に約一年電気工事の見習いをしていたそうで労災申請する際、古川さんについて来てもらい、雇い主にそこで働いていたと書いてもらったといいます。
しかも少し長い目にてへぺろ

しかしそれでも労災が認められず、当時の労災の審査のええ加減さに口が塞がらなかったらしいですガーン


その後もヤンチャな仕事を色々して来たそうで、色々伺いましたが、切ない話やら面白い話やら本多さんらしく赤裸々に語ってくれましたウインク



最初の症状は十数年前に、家族とプールに行って泳いだ時、息ができなくなりあわや溺れかけたそうですガーン
そこでおかしいなあと思いながらも普通に過ごしていたら、50才前から8、9年ほど介護タクシーをしていたそうで、その際車椅子をトランクに積む際息が上がってしまい運転するのが辛かったそうで、周りの患者さんから逆に「病院行け」と言われたそうですガーン

それでも我慢していたら、とうとう肺炎を起こして病院に運び込まれ、中皮腫と分かったそうですが、当時掛かった大阪医療センターの先生は「ここはデータ不足だから」と兵庫医科大学病院を勧められたそうですが、既に手術ができない状態と知らされ、大阪医療センターでの治療をしたそうです。

しかし、そこで入院していて主治医からある日言われた言葉は
「この病院は治療する病院や。本多さんの場合、治療する方法ないから退院してくれ」
と言われたと言います。その時主治医から余命数ヶ月と言われたそうですガーン

本多さんは言いました。
「あの時はかなり落ち込んだ。傷付いたよ。でも横に付き添いで来てた友達に助けられた。医者と患者の間にいてる人間が大事や」
と。主治医から余命数ヶ月と言われた本多さんは酷い落ち込みで医師の声が聞こえなかったと言います。その時、医師の説明が入るように、大きな声で励まして医師の説明を伝えてくれたそうですおねがい

「あの時は本当に助かった」

切実に語ってましたびっくり


そう言えば、私も妹に助けられたのかも知れませんね照れ


後は、この10年間病院食は不味くて食べられたもんじゃないから一切食わなかったともてへぺろ

それは私と全く同じ意見でした爆笑


最近の病院は生物の刺身が出たり、アラカルトなんかもあるようで、そんな病院にどこもならないものかと思いますよねタラー


そして、本多さんは障害年金を取得して認定されていますびっくり

やっぱり障害年金取得できるんだ!!

ただ本多さんは新潟にいたブログ仲間からヒントを教えて貰って、何十回と足繁く社保庁や役所に通って、時には泣きつき、時には笑って、時には相手の立場を理解したり、時には怒りをぶつけたりとあの手この手で係の方と信頼関係を作って見事取得できたそうです照れ


「10万円の救済給付金で今時何ができるんや!西成行ったら生活保護費貰ったヤツがその金持って飲み屋行ったり、バクチしたりするところたくさん見て来た!そんなヤツらに払うんやったら、公害とも言うべきこの病気の患者の補償するべきやろう!」

今日イチの熱さで語ってくれましたプンプン

もちろん私も同意見ですので、100人集会で代弁してきます!!と言いました照れ



本多さんは10才の頃から両親がおらず、かなりの苦労を虐げられたそうです。

その中で色々な友人や仲間と知り合ったそうです。
中にはヤクザになって殺された人もいれば、病気で亡くなった方も沢山いたと。


そして自分がこの病気になった今、

「病気は運や!長生きするのも、どうなるのかも運やろう」

なんか説得力あるわ〜びっくり

「とりあえず笑うこと!いくら不味い料理でもみんなで笑いながら食べるのが一番体に良い」

しみじみと言う本多さんの言葉に強く説得力を感じましたおねがい


本多さんはブログをyahoo!でやっていました。

見せてもらうと、数人の中皮腫のブログ仲間がいましたが、そのほとんどが数年前に亡くなっているように、ご家族からのお礼の言葉で締めくくられていましたショボーン


独居で仲間が消えていく寂しさも一人で感じていたんだと思うととても切なく思いましたショボーン



人と話がしたい
声を出すことは肺の運動
寂しい気持ちを前向きにしたい
人とのふれあいが欲しい
介護ヘルパーじゃ届かない心のケア

独居で話す相手がいない希少ガン患者の心の叫びを聞きましたガーンもやもや


「いつでもこれ見たら仲間が呼び掛けてくれるから」

本多さんのパソコンに「アメブロ」のアカウントを設定して、いつでも私のブログを見れるように設定しておきましたおねがい

もちろん、本多さんのアメブロ設定しておいたので、皆さんkhondamostさんの「悪性胸膜中皮腫10年目」に励ましのコメントよろしくお願いします!!



本多さん、また行きますねウインク


(今夜は長くなりましたが、本多さんは実名も全てオープンして構わないと許可を得て公表しました)