そうだな。まず何から話そうか。
おまえのわかりやすい話から始めよう。
そこの金網の向こうはもう日本じゃないんだぜ。
おれは何度もその中に入ったことがあるよ。
知り合いがいたんだ。
いや。別に仲がよかったわけじゃない。
そこに出入りするためにそいつに近づいたんだ。
そいつだっておれの考えは知ってたはずだ。
でなきゃまぬけだ。
白人でいい顔をしてるから日本の女の子を紹介してやるとすぐにいい感じになった。
おれはその様子を見て心が痛んだ。
こいつが本物のまぬけだったらおれは地獄へおちるだろうなんて考えたりした。
もう顔もよく覚えてないけどな。
よくいる好奇心旺盛な白人だよ。
何十年も前の話さ。
この話をするのはおまえが初めてじゃない。
あの頃はまだあいつとよく話をした。
あんた本当はいくつなの。
あたしとそんなにちがわないんじゃないの。
おまえとおれはためだよ。だからあれの相性もぴったりだろ。
運命を信じろよ。おれたちは同じ時代を生きのびてきたんだ。
神様はおまえのためにおれを作ったんだと思うよ。
おまえもそう思うだろ。おれといると幸せを感じるだろ。
ぜんぜん感じないね。ほんとくだらない。あんたはくだらないよ。
あんたって戦争孤児みたいなイメージがあるんだ。
ふざけんなよ。おれは大卒だぜ。おれのパパは大富豪なんだぜ。
あははは。ばかじゃないの。ほんとくだらないことばっか言って。
おまえはおれのことが大好きだった。
おれたちはいつも余裕でふざけてた。
そうじゃない。
そんな話、するつもりはなかった。
昔の女の話を聞いておまえは笑ってる。
おまえはいつもそうやって薄く冷たく笑ってる。
そんなおまえが好きだよ。
ありがとうと言っておまえはまた薄く冷たく笑った。
ほんの一瞬だった。
低い音がしたと思ったら大きな鉄の影が頭上を横切った。
目で追いかけたけど無駄だった。
飛行機は鼻で嘲笑うように遠くへ消えていった。
巨大な鳥のおなかを見ているようだった。
そこが開いて何かが落ちてきても不思議じゃない。
それでぼくが傷ついたのだとしたらたぶん、悪いのはぼくのほうだ。
そう考えてしまうほどにそいつは正々堂々とぼくのまぶたの上を横切っていった。
この町は少し特殊で排気ガスの濃度がここらへんでは最も高い気がする。
おれが初めて来た二十年以上前からずっとそうだ。
でも普段の生活がつまらないと感じるといつも来てしまう。
悪いやつらがたくさんいる。
昔は、週末の夜になると必ず何人かが死んだ。
数え切れないほど血まみれの人間を見た。
昼間はみんなどこかに隠れている。
スプレー缶の落書き。
傾いてぶらさがったブラックライト。
前の日の化粧がこびりついた初老の女が買い物してる韓国食材店。
だぼっとした服ばかり売ってる店先には置物みたいに太った黒人が座っていて目を血走らせてる。
駅の裏にはほとんど朽ち果てたアパートが並んでいて、そのうちのひとつをおれは買いたかったのに。
将来のために。
それが将来いったい何の役に立つのか。
こんな崩れたコンクリートだらけの町だけど。
歩いてみる価値くらいはある。
金網ぞいに歩けば兵隊が銀玉みたいな目を光らせてぼくを見た。
ひとに警戒されながらふらふら歩くのは楽しいことだ。
そう。
あれは何十年も前の夜。
酔っぱらった兵隊を殴って逃げたんだ。
あれは最高の経験だよ。
そこのマンションの裏。
あいつらはみんなさびしいんだ。
でも、おれはあの夜もっとさびしかったからなあ。
だから勝ったんだ。
おまえにはわからないだろ。そんな気持ち。
そんなつまらない気持ち。
次はここで会おうよ。
おまえと。
ふたりで。
それでいいじゃん。
ここのマンションを借りてやるよ。
ここらで見るのは混血の子どもばかりでみんなかわいいよ。
おれは本気で言ってるんだ。
みんなにこにこしてくれるよ。
一緒に話しかけようぜ。
大丈夫。誰にも殴られやしないぜ。
おまえのことはおれが守る。
そう言ったらおまえは少し心を動かした。
おまえに必要なのはそういうことだろ。
知ってるくせに。
